東京都立呪術高等専門学校二年転校生早川那由多 作:同じ顔の別人
【side:夏油傑】
「──夏油、お前の特級昇格査定任務が決まった」
夜蛾先生の発言に、しんと教室が静まった。
「特級呪霊が発生した。一刻を争う状況ではないが、この特級がいつ移動を始めるか予想がつかない。最低限の準備を整え次第出発だ」
「!」
ようやくだ。やや不謹慎だが、待ち望んでいた任務だった。
四級呪霊は四級呪術師が、三級呪霊は三級術師が。二級は二級が、一級は一級が処理するのが通例だ。夏油傑は特級への昇格査定中だった。悟から早くしろとせっつかれていたのだが肝心の審査に相応しい呪霊が中々発生しなかったのだ。
「遅っせえんだよ。傑、さっさと特級になって那由多のお守り代わってくれ」
「夏油を特級に推薦したのは五条だからな。今回は査定役として別の呪術師に要請を──」
「私も行く」
「──何?」
「私も行く。行きたい」
説明を遮ったのは早川那由多だった。
「だから無理だっつってんじゃん。お前は俺がついてなきゃ外にも出られなくて、これは俺がついてかない任務で──」
「この呪霊は、血を操って、武器を作ったりできるって書いてある」
那由多は鬼気迫る様子で続けた。
「会いたい」
悟は私の方を見た。
早川那由多を連れて行くということは、監視役であり傑の特級呪術師昇格推薦者である悟も連れていかなければならないということ。それでは審査として成り立たない。
貴重な昇格試験の機会を逃すなど普通はありえない。ましてや特級呪霊の暴れる現場に特級呪霊を連れていくなど。もしも那由多が暴走すれば、特級呪霊を二体同時に相手取らなければならなくなる。そんなことはあってはならない。だからそんな願いは受け入れられるはずがない。
だが生憎──私たちは最強なのだ。
答えなど最初から決まっている。
「構わないよ」
ニヤリと悟が笑う。はぁと硝子がため息をつく。那由多は眉一つ動かさないまま言葉の続きを待っている。それら全てを夜蛾は見守っていた。
「なにせ『早川那由多』は特級呪霊。今回発生した血の呪霊とやらと同じくらい、力を入れて挑むべき問題です」
「だが、こいつと行くということは五条もついていくことになる。昇格査定は中断に」
「
「……はあ、なら全員で行ってこい。今回同行する筈だった呪術師とは俺が話をつけておく」
「「イエーイ」」
「まったく、こいつらは…」
傑と夜蛾のやりとりも、悟の悪ノリも、硝子の呆れ顔も全部無視して、那由多は今回発生した呪霊の資料を見つめていた。
発生場所は長野県市営牧場。異臭騒ぎにより一般人より通報有、その後『窓』の調査により呪霊の存在を確認。先行して対応した二級術師2名、準一級術師1名は現在音信不通。死亡扱いとなっている。
現場に残された異常な量の血痕と残穢、凝固した血液により形成された武具の数々。人間のみならず馬、牛、野鳥、その他の生命を無差別に襲う特徴から、対象を『血』の呪霊と推定する──
「もしかして……デンジの……探してた……」
※
「それにしても、那由多の呪術師申請が間に合ってよかったね」
「うん」
「呪霊が呪術師ねえ。世も末だな」
「下っ端の四級だけどね。呪霊としては特級なのに」
「というか今まで何扱いだった訳? ペット? おい、ワンって鳴いてみろよ」
「五条、セクハラだよ」
「残念でした〜呪霊に人権はありません〜」
「それもそうだ」
「このクズどもめ」
「わん」
「那由多もこんなの従わなくていいよ」
だべりながら新幹線と電車を乗り継ぐこと三時間。市営牧場までたどり着いた時には正午を過ぎていた。
夏油傑の特級昇格査定は一時中断。特級呪術師五条悟を代表とした高専二年四名での任務という形式に変更された。
【わははは! ワハハハハハ!】
「うわ、マジで赤血操術じゃん。加茂家の不始末は加茂家がつけろよな」
ひどい悪臭だった。悟はずっと前から指で鼻をつまんだままで、さっきの発言も鼻声だ。
牛と熊と小鳥と犬と、老若男女の人間と。数キロ先から臭った死と血肉と糞尿が入り混じりあたり一面を埋め尽くす。女と獣を混ぜ合わせたような無数の手足を生やした奇妙な存在が、血の海の中心でケタケタと笑っていた。
「あれが特級呪霊…」
「あまりに異様な光景すぎて報告聞いた段階じゃ生得領域かと思ったが、これ全部マジモンの血だぜ。食いしん坊め」
「こんなに食い散らかしてマナーもなっていないようだ」
──闇より出でて闇より黒くその穢れを禊ぎ祓え
「これ以上一般人に不安が広がる前に片付けるぞ」
傑が帳を降ろす。異変に気づいた特級呪霊があたりを見回した。まだこちらには気づいていないようだ。
(感知能力はそこまで高くないか)
傑は硝子を後ろに下がらせた。彼女だけは負傷させるわけにはいかない。万一の時の衛生兵役だ。
「ま、何とかなるだろ。行くぞ那由多」
「ん…」
悟が無下限を展開し、早川那由多を連れて接近する。ただ祓うだけではなく彼女の反応も観察するためだ。
早川那由多が高専に通いたがったのは、この『血の呪霊』か『赤血操術』に関する情報を調べるために違いない──というのが三人で出した結論だった。悟は今回の任務で確かめてやると意気込んでいた。本来は参加しないはずだった硝子を無理言って連れてきたのも、この連休中に一緒に調べ物をした流れあってのことだ。こいつは案外そういうことを気にする性格なのだ。
とはいえ特級呪霊は文字通り別格。那由多のせいで勘違いしそうになるが、どれだけコミュニケーションが取れようとも基本的に人類の敵対者。何が起こるかわからない。前衛は二人に任せ、私は硝子の護衛をこなしつつサポートに徹するつもりだった。
早川那由多は一体血の呪霊に何の用があるのだろう? せめて特級呪術師への切符をぶん投げただけの情報は出してくれよと思う。
傑は巡回用の呪霊を三体呼び出し、この場にいる血の呪霊と早川那由多、この場に存在する二体の特級呪霊に全力で警戒を向けた。
【なんじゃ、呪術師か】
血の呪霊はその場を動かない。一瞥しただけだった。
「……あ?」
「ごぷ、」
それだけだ。
それで、
早川那由多と五条悟の、腹と、胸と、喉と、額から、いくつもの血の刃が飛び出している。
「────悟!?」
「っ……!!」
悟はどうにか不意打ちに耐えたらしい。だが致命傷であることは変わらない。これ以上の傷を負わないように傑が呪霊で身体を回収し、硝子は即座に反転術式を使用した。
悟がなす術もなく一方的にやられるだなんて考えたこともなかった。上手く想像も出来なかった。白い髪に赤い血がつくとこんなに目立つものかと、妙に冷えた頭で傑は思考していた。
早川那由多は即死だった。
首と胴体が完全に分かれてしまっている。
(死んだ!? 本当に…こんなあっさりと…!?)
ぼとりと落ちた肉の音が妙に生々しくて、悪い夢のようだ。
硝子は反転術式で他人を癒せる無二の人材で、学生ながら現場経験も豊富だった。命の順位をつけるのにも慣れていた。迷わず手遅れの早川那由多を見捨てて悟の治療を始めることができた。
……だからと言って、平気なはずがない。彼女と一番親しく、気を許していたのは硝子なのだから。
「これ、全部この馬鹿の血だ…」
硝子は悟の額から突き出す剣に触れながらつぶやいた。悟が無防備に攻撃を食らった原因を知る。刃が無下限術式を貫通したのではなく、最初から無下限の内側で発生していたのだ。
この呪霊は、他人の血液を操作できる。呪力でのガードすら意に介さない。
(これが特級……!)
不用意に近づかせるべきじゃなかった。舐めていた。舐めていたつもりもなかったが、この程度の警戒では全然足りていなかった。
あの足し算すらままならそうな幼稚な言動を繰り返す呪霊は、間違いなく現在の夏油傑よりも格上だ。血の通った生き物など奴の前ではゴミ同然。問答無用で弾け飛ぶ。
悟が致命傷に至らなかったのは、無下限術式をすり抜けて傷つく自身の肉体の異常に即座に気付き、内側にも術式を展開したからだ。だがそれは六眼を以ってしても難しい荒技で、硝子曰く逆に内臓の一部を傷つけることにもなったらしい。
目に見える切り傷以上に悟は傷ついている。回復には時間がかかるだろう。
【ワハハハハハ! ワシは強い! ワシは強い! 貴様らは雑魚! 雑魚! 雑魚!】
「呪霊風情が。ほざくなよ」
ひい、ふう、みい、よ。手持ちの呪霊の中から血の通わないものを手当たり次第に呼び出した。
(おそらく、この中でこの呪霊と一番相性がいいのは私だ)
早川那由多は死に、悟は瀕死、硝子は治療につきっきり。ならば、この呪霊を倒すのは傑の役目だ。もとよりそういう任務だった。
私たちは──最強なのだ。こんな小物に舐められたままでいられるか。
【なんじゃぁ! カスカスの生き物は嫌いじゃ! つまらん! 血をよこせ!】
「死ね」
やつの必殺の間合には絶対に入らない。距離をとりながら呪霊操術で攻撃を仕掛ける。物量作戦で押し潰す。
【逃げるな卑怯者!】
「っ!? 守れ!」
赤血操術の射程圏外を位置取っていた傑に痺れを切らした血の呪霊が、無数の血の刃を形成し射出する。赤血操術の本来の攻撃手段だ。迷わず手持ちの中で最高硬度の外皮を持つ呪霊を呼び出した。
【──サウザンドテラブラッドレイン!】
油断なんてするはずがない。ただ単純に、何もかもが足りていなかった。
傑の手札をゆうに超える物量が降り注いだ。
(まだ、生きている……?)
血の刃が直撃する寸前で、傑は横から突き飛ばされた。爆心地から外れたおかげでなんとか防御が間に合い生き延びた。
(しかし、誰が──?)
【ワハハハハハ! 最強最強ワシ無敵ぃ! 新鮮な血が飲みたいのう! おう、女】
(まずい、硝子が見つかった……!)
血の呪霊は愉快そうに硝子に近づいた。硝子は一切反応を返さず、悟の治療に専念していた。自衛手段のない身で、特級呪霊にこれほど接近されて、一切手先を狂わせず施術を続ける胆力は凄まじい。
……彼女は逃げられない。頭部の治療をしているのだ。少しでも移動させれば悟は死ぬ。
(間に合えッ……!)
大きく長い芋虫型の呪霊を突撃させた。血が通っているので先程は出さなかったのだが、赤血操術で対処される前に吹っ飛ばせればそれでいい。
だが、僅かに遠い。届かない。
【腹が減ったのう、死ね】
「わんわん」
【──ん?】
べちょりと、血が飛び散る。
早川那由多が硝子の身代わりになって死んでいた。──また?
(とにかく今のうちだ!)
事態の把握よりも先に、惚けている血の呪霊を吹っ飛ばす。そのまま追撃を仕掛け、硝子たちのいる場所から少しでも引き剥がす。
【ぎゃーーーーーーー!? 痛い!!! 何をするんじゃぁああああ!!!!】
シチューパイのように陥没し中身が溢れていた早川那由多の頭部が逆再生に巻き戻っていく。綺麗な、いつもの那由多が立っていた。制服だけがズタズタに引き裂かれて汚れている。
【あれ? さっき殺したような】
「……私は、支配した相手に
すまし顔で、とんでもない術式の開示をした。そんなこと聞いてない。
血の呪霊は微塵も怯まずゲラゲラと笑った。
【なるほどなるほど。つまり、殺したい放題の食べ放題じゃな!】
早川那由多の身体を再度血の刃が貫いた。負傷を厭わず発動した見慣れない術式は血の呪霊に届くことなく飛散した。
(あいつ、支配した相手の術式も使えるのか)
いつかの呪詛師が使っていたものに似ている。ここに来ていくつも披露される隠し球に反応する余裕は無い。傑は呪霊操術ですかさず特級呪霊に連撃を浴びせた。血の呪霊に赤血操術を使用させ力を消耗させるために、肉の身体を持つ呪霊を。攻撃のために、血の通っていない虫、甲殻類、その他あらゆる呪霊を。硝子と悟のいる場所に近づけさせてはダメだ。傑自身も血の呪霊から身を隠した。あの血液操作は強すぎる。位置を気取られれば確実に死ぬ。だが今までの様子からして、感知能力はそこまで高くないはずだ。
早川那由多も傑の意図を察したのか、同様の指針で動き出す。
血の呪霊に攻撃されれば、自身の不死身さを活かして死にながら攻撃に転じる。血の呪霊が移動しようとすれば捨て身で食い下がる。
【ガハハハハハハ!! 殺したい放題ぃ〜!! 血は! 暖かいのう!】
そして、ここまで規格外の札を以ってしても。血の呪霊にはあと一歩届かない。
【ワハハハハハハ!!! 命は軽い! 牛も! 豚も! 人も!】
あと何人だ?
あと何人分の肉壁になれる?
術式で支配した呪詛師に死を押しつけて、押し付け続けて。
早川那由多の命のストックは後どれだけ残っている?
夏油傑が呪霊を操作し攻撃をしかける。
早川那由多が囮を引き受ける。
家入硝子が五条悟を治療する。
早川那由多が死ぬ。
死んで、死んで、生き返って、死んで、死んで死んで首が吹っ飛んで──
※
死ぬ
※
死ぬ
※
呪霊の足を道連れに死ぬ
※
死んでいる
※
生き返る前に死ぬ
※
赤い死
※
どのくらい時間が経っただろう。
【ワハハハハハ! ワシの方が強かったようじゃのぉ〜! 頭脳勝ち! ワハハハハハ! はーっはっは!】
特級呪霊が
高笑いをしてはいるが、特級呪霊は消耗していた。彼女の死が呪力を確実に削り取っていた。だが万全でないのは傑も同じ。手持ちの呪霊のストックは残り五分の一を切っていた。
あと一手。あと一手が足りない。あと一手さえあれば──
「お前は殺す。術式のタネはわかった。不意打ちはもう食らわない」
──
※
「ずいぶん格好良くなったんじゃないか? ついでに制服も着替えてくるかい」
「いらねー、那由多じゃあるまいし」
血の刃に切り刻まれ穴まみれの制服で帰還した五条悟は、目の前の特級呪霊から目線を逸らさない。純粋な殺意と敵意だけを向けていた。
【卑怯じゃ! 復活ばっかりで恥ずかしく無いのか! やはり人間は醜いのぉ!】
「知るか、クソ野郎が」
【……あれ?】
ようやく異変に気づいた血の呪霊が首を傾げる。五条悟の血液を操作できていない。さっきは瞬殺出来たはずの相手に攻撃を当てることができていない。調子に乗っていた特級呪霊はダラダラと冷や汗をかいてみっともなく逃げ腰になる。
【降参! 降参! 今の無し!】
「呪霊って頭悪ぃのな」
五条悟は、体内での無下限術式の使用を完全に会得していた。
流れが変わる。
私/俺たちは最強だ。
勝てない敵などないのだから。
硝子が遠くからピースサインをしていた。
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報告
2006年5月
長野県北部市営牧場にて発生した血の特級呪霊討伐
戦功者
五条悟
夏油傑
家入硝子
死亡者
早川那由多
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【side:五条悟】
──私はこの学校に通うためならなんでもする
早川那由多は口癖のように言っていた。宣言通り依頼は真面目にこなしていたし、授業態度も真面目だった。
彼女は今の生活を楽しんでいた。
「本当に
悟の六眼はあらゆる術式を丸裸にする。早川那由多が他人の全てを支配できることも、支配した相手に死を押し付けられることも、支配した相手の術式を自在に利用できることも、初めて会った時から気づいていた。どれも自己保身の塊のような能力だ。だからこんな馬鹿なことをするとは思いもしなかった。
──君の眼は、術式は見えても、何が本当で何が嘘かはわからないみたいだね
うるせーバーカ。
那由多は死んでも消滅しなかった。普通の人間にも見える、写真にも写るという特異性故か。こんなことになった今、それが良かったのか悪かったのか俺には判断できなかった。
ぐちゃぐちゃで原型をとどめていない那由多の肉片は、補助監督たちが駆けつける前にその場で全て回収した。悟の六眼と硝子の医療知識と傑の呪霊操術による手数を総動員すれば不可能では無い。
傑は思い詰めた表情で、硝子は赤く目を腫らしていた。こいつらこんな顔できたんだなとぼんやり思考する。
五条悟は、こんな状況になっても微塵も悲しさを感じなかった。むしろ自分の術式がより進化したことへの高揚感の方が大きいくらいで。
(俺って薄情なんだな……)
たかが一ヶ月。たかが呪霊。本当に……たかがそれだけの関係だ。
「……死んだら意味ないだろ」
ようやく絞り出した悟の声に反応するように、肉片がほんの少しだけ動いた気がした。
血が流れていく。
那由多はそれきり冷たくなった。
【キャラ紹介】
早川那由多(はやかわ ナユタ)
性別:呪霊(女性型)
年齢:9歳(外見年齢16歳)
好きなもの:家族、ハグ、映画
嫌いなもの:クソ映画、クソ映画を絶賛している時の五条悟
イメージソング:Mr.Children『抱きしめたい』
出典:チェンソーマン最終話等
自分よりも程度が低いと思ったものを支配できる。呪術組は『支配術式』と呼んでいる。デンジの教育と愛情により健やかに育った。でもクソ映画は嫌い。クソ映画の存在は許容できるようになったが、クソ映画愛好家の五条悟は嫌い。