第24話 いと昏き道 3



 大変長らくお待たせいたしました。

―――――――――――――――――――――――――――――



 ゴル・ラ・レッドフォートがガラ・ラ・レッドフォートを遠出に誘ったのは、

 ルーファス・アクィナスがゴルに面会を求めてから十日後のことだった。


「父上。珍しいですね」

「……何、たまには気分転換だよ」


 淡々と、かつての父親のような素っ気なさで、ゴルはそう応じた。

 その態度に、ガラは僅かに違和感を抱く。

 ルーファスとの面会後、ガラは父にどんな話をしたのか問い質した。


「ああ、剣術について語り合ったのだよ。あのルーファスという男、なかなかの使い手のようだ。一度、手合わせをしてみるのもいいかもしれないな――」


 穏やかな口調。穏やかな態度。

 何も変わらないというような仕草。


 それを虚偽だと見破るのは当時のガラにとっては難しかったろう。

 感じたのは微風そよかぜの如き、僅かな違和感。

 しかしそれも、十日が過ぎる頃には「何でもなかったのだ」と思える程度には薄れてしまった。


 故に、この提案も気分転換のためだろうとガラは考えた。

 あるいは、かつての父に戻ったのかもしれないと。そんな期待を抱いたからか。


 ――嗚呼。何て呪わしく、愚かな期待だったろう。


§


「少し旅に出る」

「お土産は!?」

「今回は期待しないで欲しい。いつもの山ごもりだからな」

 子供たちがえぇー、と失望の声を上げる。

 ガラはしばし考えて、山ごもりの後に街に行けばいいか、と思い直した。


「仕方ない。街に寄って土産を買ってくる。何がいい?」

「氷菓!」

「無理」

 氷の魔術を扱える魔術師がいれば何とかなるが、そんな人間はこの集落に存在しない。

「ちぇー」

「まあ、とにかく甘いものならいいだろ?」

「糖分、糖分♪」

 沸き立つ子供の頭を軽く撫でて、ガラは父と旅に出た。


 二日ほど街道を歩いてから、道を外れて山に向かう。

 道途中のモンスターたちを狩りながら、目当ての洞窟へと向かう。


 ――不思議なことに。ゴルは故郷が遠のいていくと、たちまち少し前のゴル――つまり、鼻持ちならない笑いをへらへらと浮かべ始めた。


 ガラの疑念は深まった。

 何かおかしい、何か、致命的な、何かを見逃している気がする。


 決断を迫られていた。

 これをすれば、自分は父と決別することになる。だが、このままでは何かを見逃すことになる。


「父上」

「どうした?」

「もう一度尋ねたい。ルーファスという人間と何を話した?」


 その言葉で、不穏な雰囲気が洞窟に充満した。

 たとえ魔獣が傍を徘徊していたとしても、この殺気に当てられて逃げるだろう。


「……前にも説明したよね?」

「それでは納得いかないことが多すぎる」


 ガラは決断した。

 これについて問い質すということは即ち、父を敵に回すということ。


 だが、それに関しては悲しみこそあれど絶望はない。

 何しろ――


「本当に……生意気に育ったものだな、お前はッ!」


 振りかざされた大振りの木刀を、ガラは素手で受け止めた。蛇が獲物に絡みつくように、ゴルの手を掴み、激痛のツボを押した。押されたゴルは絶叫しながら反射的に木刀を手放し、それはガラの手に奪われた。


 そして。

 ガラは躊躇なく、ゴルの顔面へ木刀をしたたかに打ち据えた。

 鼻血が出たが、ゴルは垂れ流すに任せた。


「喋ってください。何もかも、全て」


 ゴルは観念したように口を開く。


「……アイツは、ルーファスは……天下五剣てんかごけんだ」

「――――は?」


 数瞬、思考が停止した。

 ゴルはようやく抱えていた秘密を吐き出せる安堵感からか、のべつまくなしに喋り出す。


「あの、私が殺してやったアイツ。そう、名前も思い出せないアイツ。どうやらお貴族様だったらしくてな。私に復讐をするべく、天下五剣てんかごけんを派遣してきたんだ!」


 目の前の男が、何を言っているか理解はできている。

 だが、遠い彼方で起きた出来事のように現実味がない。


「ああ、もちろん殺されると理解したし、勝てないとも思った。だがな、彼はこう言った。『貴公が逃げれば、貴公の息子を斬らざるを得ない』と。だからこう言ってやったさ」


 ――それならば選択の余地はありませんね。私が腹を切りましょう。


 ガラは悟った。

 父は穏やかにそう言って。


 父が居なければ、息子を斬る。 

 では、息子が居なければ?


「……!」

「間に合うものか、お前も斬られるぞ。戻れ……戻れ!」


 そんな声を背中に受けながら、ガラは全力でひた走る。

 いざという時は、自分が斬られればいい。それでいい。

 いくら、いくら何でも。


「戻らぬと言うか! ならばお前も私の敵になる! 覚悟しろガラ!

 など、私の敵ではない!」


 


§


 ――ガラは過去を振り返る度に、はらわたが引き裂かれるような痛みがある。


 あと一日早くそれに気付いてさえいれば。

 この炎の光景を見ることもなかったろうに。


 そう考える度に論理が否定する。確かに見ることはなかったかもしれない。

 ただ、それはお前が死んでいるというだけで。


 燃えていた。

 何もかもが燃えていた。人口100人にも満たない小さい村のあらゆる場所に、

赤い焔がひしめきあっていた。


「■■ッ! ■■■ッ!! ――■!」


 誰かの名前を呼んだ。今となっては、それが誰なのか思い出せない。

 村の人間、全員の名を呼んだのは確かだった。


 誰も応じない。

 穏やかな近所の老人も、二軒先の快活な女性も、村で一番元気だった子供も、誰一人応じようとはしなかった。


 それはそうだ。

 だって、ホラ、地面に、黒い塊がある。


 引き千切られた死体がある。斬られた遺体がある。破裂した人体がある。

 死体、死体、死体、死体、死体の山が積み上がっていた。

 死んでいた。殺されていた。

 誰も彼も、無惨に、残忍に、丁寧に、一人残さず殺すという憤怒と憎悪が滲み出ていた。



 獣のように吼え立て、慟哭しながら、村を彷徨うガラの前に。

 一人の男が現れた。男の顔は覚えている。

 中つ人アヴェリアンの男。ガラに一冊の本を渡した男。



「ルーファス・アクィナス……」

「――ああ。私は君の父上を、見誤っていたようだ」

「お前が、これを、」

「……そうだ。気の毒に思うが、君の父上が手を出した男は、それほどに高貴な出だった。虚仮にされたのなら、百倍の憎悪で返すほどのね」



「一人残らず殺したか」

「一人残らず殺したよ。君で最後だ」



 そう言って、ルーファスは刀を抜いた。

 ガラは当然の如く、無手である。逃げることはできない。

 しかも気付けば、刀の間合いにいた。

 何故いたのかといえば、ルーファスが踏み込んでいたからである。音も気配もなく。話題の剣呑さに注意がいって、気付けば一振りで死ぬ間合いであった。


 魔に会うと書いて

 今、まさにガラ・ラ・レッドフォートは魔に遭遇していた。


 逃げれば死ぬ。

 止まれば死ぬ。

 戦えば死ぬ。


 だが、ガラの心境は己の死に想いを馳せる余裕はまるでなかった。

 義憤、憤怒、と断言できるほどの邪悪。


「許せん」

「――そうか!」


 滑らかな一撃であった。音もなく、気配もなく、澱みもなく、殺意すらない。

 左肩から右腰へと抜ける、その袈裟懸けの斬撃を。

 神域に達したと言わざるを得ない一撃を。


 ガラは怒り狂った状態で受け止めた。

 憤怒のせいで、肌を赤くしたまま。


§


 レッドフォート一族における【原初帰り】。

 100年以上、発現させた者がいないと言われていた。

 100年前の、最も強く発現させた者でも両腕を赤色化させるのが精々だと言われていた。


 それは、怒りに狂ったことがなかったせいだ。

 温和な故郷、穏やかな生活、滑らかな時間。

 そういうものがあるだけで、肌を怒りで赤く染めることはできない。


 翻って言えば。

 


「な、に……!?」


 とはいえ、ルーファスにも瑕疵はある。

 彼は愛刀である最上大業刀さいじょうおおわざとう改剱蜻蛉切かいけんとんぼきり』を持ち込まず、練習用の古い打刀を帯びていた。


 彼にとって、此度の依頼は極めて理不尽かつ許し難いものだった。

 バルデカイン大公爵は苦しめたいのだろう。自分の孫を殺した蜥蜴人リザードマンを。


 だが、それで仇の息子を殺すのはやりすぎだ。

 そう考え、ルーファスは制止したが大公爵である彼の権力は絶大であり、天下五剣てんかごけんも本格的にバルデカイン家と対立する訳にはいかなかった。


 天下五剣は絶大な権力を持つとはいえ、振るうに足る理由がなければならない。


 少数民族の、人口100人の村落。

 天下五剣にとって庇うには当たらない、その程度の存在である。


 ただ一人だけ、猛烈に反対していたし何ならバルデカインに殴り込もうとしていた者もいたが、残り二人が強硬に抑えた。


 穏健派だったルーファスはゴルが腹を切ることで全てが落着らくちゃくするようにバルデカイン家と交渉した。

 だが、大公爵はそこで条件をつけた。


 ――ゴル・ラ・レッドフォートに腹を切るように告げる。

 ――ただし、それから十日間放置する。

 ――逃げれば彼の息子を殺す。

 ――息子と共に逃げれば、村を滅ぼす。


 ルーファスはゴルと話し、彼が腹を切ることに同意したのを確認して安堵した。

 少しでも躊躇すれば、斬ることを決意していた。


 ゴルは躊躇することなく、嘘をついた。

 つい先日まで、周囲と自分自身に嘘をつき続けてきた男故に、その嘘はあまりに滑らかだった。


 ルーファスは彼が腹を切ると確信し――そして、裏切られた。

 その失敗の代償として、彼は蜥蜴人リザードマンの集落の命全てを背負った。


 殺したのはバルデカインの私兵でも、そうさせたのはルーファスである。

 ともあれ、いずれにせよ今、斬ろうとしているガラが彼にとっては初めて斬る蜥蜴人リザードマンであった。


 ガラ・ラ・レッドフォートは原初に帰った。

 もし、ルーファスが曲がりなりにも真実を苦悩と共に明かしていれば――逆に、ガラは怒り狂うことができずに、その首を刎ねられていたに違いない。


 何たる皮肉。

 純粋な怒りと共にガラの肌は赤く染まり、刃が肉に食い込んでなお防ぎきり、血飛沫を上げながらも、その拳はルーファスの胸板を的確に殴打した。


 ――逃げなければ。


 怒りの一撃を喰らったルーファスは、33尺(10m)の距離を吹き飛んだ。だが、今の一撃は数多の幸運に助けられた慮外の一撃だ。


 だから、逃げるしかない。惨めったらしく、彼に背を向けて。


 畜生。糞ったれ。惨めだ。無様だ。だが。

 生きてやる。生き足掻いてやる。

 そして。大いなる神エル・アギアスがもたらしたこの奇跡を使って。

 絶対に。

 この復讐を果たす。


§


 脱兎の如く、という表現が似合うような逃げっぷりのガラを、ルーファスはただ見送った。

 自分の折れた胸骨は授業料だと割り切ることにした。


 元より追うつもりはない。

 あれは、雛だ。

 空を飛ぶこともできない駄鳥だちょうになるか、鳳凰ほうおうとなって天を翔るか。それはまだ不明だが。


 いずれにせよ、彼が鳳凰であらんとすれば自分の目の前に姿を現すだろう。

 復讐のために。

 応報のために。

 ――――ならば、それを斬るまで。

 ――――あるいは、それに斬られるまで。


 ルーファス・アクィナスはそこまで思考して、薄く嗤う。

 どうやら、天下五剣てんかごけんと言ったところで、己の本質は何も変わらぬ。


 充実した斬り合いでしか、己が人生の価値を見出せない。

 強者を斬ることに、何よりの悦楽を抱く。


 ルーファス・アクィナスは、そういう男だった。

 彼はバルデカイン大公爵に孫の敵である蜥蜴人リザードマンは戻ってきたところを斬った、と報告した。元より「誰」と区別がつくような状況ではない。それに、竜人ドラゴニュートとしてのメンツは保てたし溜飲は下がった。

 大公爵はこれでよし、と割り切ることにした。

 

§


 肌が緑色に戻り、肩から流れる血も目から流れる涙を気にもせずに走り続けた。

 だが、それも束の間。


 ガラは街道で倒れ込むようにして意識を失った。気付けば時刻は夜。

 自分の後を追う者はおらず、敵意悪意も感じられない。


 ――見逃されたか。


 ガラは立ち上がり、ふらふらとそれでも歩き出す。目的地はあの山の洞窟。

 ゴルがそこに居るとは思えないが、あの場所に行くことは必要だった。


 案の定、父は姿を眩ましていた。

 だが、慌てて逃げ出したのか、あるいは一抹の情を残していたのか――ガラはだと踏んでいたが――ガラの荷物は残されていた。


 僅かではあるが食料と水、そして無銘の苗刀みょうとう

 水を飲み干し、食料を貪り食って、ようやく一息つく。


 復讐する。否、

 あれは許されざる蛮行だ。絶対に応報しなければ、己は己でいられない。


 ――だが、何よりもまず先に。


 やるべきことがある。そのために、数日を待たなくてはならない。



 村の者の弔いだ。


§


 焼け焦げ、刺され、首を刎ねられた遺骸は数日経って腐乱を始めていた。

 ガラは心を凍らせるかのように、その遺骸を一つ一つ土に埋めていく。


 見つかる危険性はあった。数日経って様子を見に来た『誰か』に、今度こそ

殺される運命が待ち受けているかもしれなかった。


 だが、ガラはそれでもやった。

 やらなければならなかった。記憶に刻まねばならなかった。レッドフォートという村の、穏やかだった頃の記憶と、今の陰惨な光景を、ただ一人胸に刻まねばならなかった。


 そして死体の状況で気付く。この村を襲ったのはルーファスだけではない。

 彼の手下か、あるいはバルデカインの私兵が虐殺に加担している。つまりは、殺すべき存在である。


 いつか、復讐心が薄れたならば。

 この光景を思い出せ。何度でも立ち上がり、睨み付け、立ち向かうために。


 天下五剣てんかごけん、ルーファス・アクィナスを殺せ。

 バルデカイン大公爵を殺せ。

 バルデカイン公爵家の命令を受けて、この村の虐殺に関わった者たちを殺せ。

 リミットを設定しろ。……3年。3年以内に全てを片付けろ。


 全ての死体を埋めて、全ての遺体を弔った。

 最初にやるべきことは一つ。


 ――父、ゴル・ラ・レッドフォートに因果のツケを払わせる。


 十五年、寝食を共にした男なのだ。

 強い事も知っている。賢い事も知っている。苗刀を扱う技量が、自分より優れていることもよく理解している。

 それはゴルも同様だろう。

 ゴルにとってガラは大事な跡取り息子であると同時、常にであったはずだ。

 だから、互いに情報は知り尽くしている。


 ……故に。今のゴルはガラが決闘を申し込んだなら、嬉々として応じるだろう。

 追われる不安故に、彼は自分と早く勝負をつけたがるはずだ。




 ――その焦りは、自然と技の選択を狭める――


「意外に早く辿り着いたものだね。あと一年は大丈夫だと踏んでいたが」


 ――ガラに練習で勝ち続けた技、ガラが苦手としていた技に勝機を見出す――


「大人しく腹を切ってください、父上」


 ――先手に、練習で勝った時と同じパターン同じ速度で技を繰り出せば――


「誰が……切るかッッ!」


 ――ゴルは同じ技を繰り出すだろう――


「そうですか」


 ――しかしそれは、悲しい程に予測されたもので――


 血飛沫が上がる。ガラの肌は赤く、血は滾っている。


「お、おまえ、その、その、いろ、は、」

「いずれ地獄で会いましょう、父上」


 ――何より、ガラは既に【原初帰り】を身に付けている――


 斬。


 情はない。元よりゴルの一抹の情も一緒だ。行動のパターン化と、最後の最後に剣腕が鈍ることを期待しての、荷物の置き去りだろう。


 血。


 父のために流す涙はない。

 ただ、思い出への鎮魂のために涙を流す。


 剣に狂った。狂ってしまった。それほどに、技の熟達が魅惑的だったか。

 それほどに、人を斬ることが蠱惑的だったか。


 だとすればガラにはやはり。

 は、不要だった。

 剣の技量は必要だが、剣に狂う訳にはいかなかった。


 ともあれ、因果応報への道をガラは一歩進んだ。

 残り三年。その内の二年、ガラは修行に費やすことにする。


 ガラ・ラ・レッドフォートがテクステリーの街を訪れ、冒険者ギルドに鉄級冒険者として登録した時、彼が見出したリミットは残り一年であった。



 ――かくして物語は、ブロキオン侯爵家が滅んだあの日に戻る。




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駄鳥だちょうの駄は意図的ですハイ

ちょっとタイミング的には妙な状況な過去編です。

後々、順序など入れ替えるかもしれませんがひとまず。


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