烏丸百九さんと初めて会ったのは、2022年の10月、路上でのことだったと記憶しています。
おそらく、その年に烏丸さんからTwitterアカウントをフォローされ、わたしがフォローバックして、相互フォローになったのだと思います。
烏丸さんの投稿から、彼も道産子(北海道民)であると知り、親近感を抱いていました。
2022年当時、札幌市がオリンピックを招致しようという動きがありました。
それまで烏丸さんとは、ネット上の知り合いに過ぎなかったのですが、オリンピック招致反対デモの場で、初対面を果たしました。
この時、彼のTwitterアカウント(@crowclaw109)が凍結されたことが、話題に出て、「Twitter社は酷いですねー」と語り合いました。
ですから、私も、彼のアカウント凍結に抗議する投稿を行っています。
その後、烏丸百九さんとは、社会運動の現場など、様々な場で会うこととなります。
2023年の7月には、彼からお誘いを受けて、「老ナルキソス」というゲイ映画を、一緒に観に行きました。
私が気になっていた映画を、烏丸さんも興味を持ったということで、うれしく思いました。
「老ナルキソス」という映画は、当事者にとって、「あるある」に満ちあふれた作品でした。
パンツのメーカーがTOOTだったり、婚姻やパートナーシップといった制度への態度や、関係性の築き方に、当事者間でも温度差があったり。
濡れ場に関しても、丁寧かつリアイティに満ちた描写で、感銘を受けました。
しかし、「あるある」が故に、当事者ではない人、知識の薄い人には、どの程度伝わっているのかしら? という心配も、脳裏を過ぎりました。
たとえば、レオと隼人というカップルの、セックスシーン直前に、「洗ってくる」というセリフがあります。
これ、よく分かっていない人だと、単にシャワーを浴びてくることだ、と誤認してしまうのではないでしょうか。
世に溢れているゲイ映画・BL映画は、前戯の後すぐ挿入したりしますが、どう考えても不自然すぎます。
そういうノイズがなく、実態に即した繊細な描写は、当事者が作った作品ならではだと感じました。
コンドームだけでなくローションまで映すのは、かなり珍しいと思います。映画「老ナルキソス」の東海林監督も、そのようなことを仰っていました。
また、ネタバレとなりますが、この映画で、主人子である老年のゲイ・山崎は死にません。
同じく、年老いたゲイを主人公にした名作映画に、「スワンソング」がありますが、この作品も最終的には主人公が死んでしまいます。
そもそも、歴史的に見て、映画における同性愛者は、犯罪者ポジションや笑いの対象とされ、殺されたり死んだりする存在でした(映画「セルロイド・クローゼット」などを参照)。
東海林監督は、次のように語っています。
だからこそ、この「老ナルキソス」で、主人公が死なないというのは、とても大切な意味があると思います。
ましてや「老ナルキソス」の主人公、山崎は老人のゲイです。
彼が、死ぬどころか、老いてなお盛んに、性を謳歌している。
そういった意味で、「老ナルキソス」は、非常に画期的な作品であると思います。
さて、烏丸百九さんは、この映画を観て、どのような感想を抱いたのかなと水を向けてみたら、まったくピンと来ていない様子でした。
隣に座って観ていた人が、理解していなかった。
乱交シーンとか、性的な描写も多いので、圧倒されたのでしょうか。
彼は、その後、自らのnoteに、「老ナルキソス」の感想を投稿しました。
それがまた酷い。
フィクションのキャラクターとはいえ、ゲイに向けて、「クソジジイ」「ゲイの偏屈で孤独な老人」などと言い放ち、彼がウリ専利用者(note内の表現では、「風俗店の熱心な利用者」)であることを含め、『おおよそ擁護することが難しいタイプの「日本の悪いオッサン」の類いに見えてくる』と評しています。
また、 自分語りから、『私にとって「父」はあくまでも「父」であり、男として「コンプレックス」を抱く相手ではあっても、性欲の対象では有り得なかったので、性的指向が違うと(同じような体験をしていても)思考やメンタリティに与える影響が全然違う、という(当たり前だが普段あまり意識しない)事実を再確認する』と主張し始めるのですが、ゲイは父が性欲の対象ではありません。
(もちろん、父親が性的対象であるゲイも存在するでしょうが、逆に考えれば、異性愛男性は皆、母親に発情しているのですか? そんな馬鹿な)
「(自分にとって同性が)性欲の対象では有り得なかった」という表現だと読むにしても、言葉が強すぎます。
「有り得ない」という言葉を選び、何故そこまで強く、同性への性愛を否定するのか。
さらには、パンフレットで読んだ知識をもとに、トンチキ理論を振りかざします。
彼は、この映画の中で、「イケメン」が「クソジジイ」に惹かれるのは、「ファザコン」という要素があるからだ、と整理しているようですが、人間の性愛をめぐる複雑さを、単純化しすぎです。
烏丸さんはルッキズムを批判しますが、そのわりにゲイの関係性を読み解くのに、ルッキズム要素を持ち出すのは、どうかしていると思います。
幅広い層に向けて発信することは、難しいですね。
当事者間の軽口であっても、斜め上の発想に繋げられたりしてしまう。
(そもそも、今の時代にエディプスコンプレックスかよ、という問題があります。異性愛かつ男根中心の概念で、理解した気になられましても)
「家父長制国家から結婚を禁止されているゲイパーソンにとって、当然ながら養子縁組は選択肢のひとつとして保護されるべきだと思うが、それでも恭介のような青年は誰かの(疑似)息子になるべきではない」という物言いも、やむを得ず養子縁組という手段を選ぶゲイカップルのことを、踏みにじっているなと感じます。
「イケメン」の好青年ならば、養子縁組ではなく、国家に承認を受けた婚姻をして、幸せになるべき、ということですか?
結婚や養子縁組をめぐっては、当事者間でもかなり温度差があり、それが対立の火種になることもあります。
かなりセンシティブな話題に、非当事者が、とても無神経なことを書いているなと思います。
言葉遣いや、論の展開も含めて、全体的に違和感と不快感に襲われます。
改めて、この烏丸noteを読み返すと、のちのち露わになってくる問題の萌芽が感じられます。
すなわち、「ゲイに対して、過剰に否定的な物言い」「マイノリティの振る舞いへの裁き」「実体験ではなく、どこかで読んだ知識から編み出された謎理論」「過度な一般化」「婚姻をめぐる、当事者の葛藤に対する無知」などです。
なにより、「クィアは死ぬべきではない」と言いながら、のちに烏丸百九さんは、死の淵に立っているクィアを追いつめました。
これは、皮肉という言葉では済まない、深刻な事態だと思います。
(続く)
おそらく、その年に烏丸さんからTwitterアカウントをフォローされ、わたしがフォローバックして、相互フォローになったのだと思います。
烏丸さんの投稿から、彼も道産子(北海道民)であると知り、親近感を抱いていました。
2022年当時、札幌市がオリンピックを招致しようという動きがありました。
それまで烏丸さんとは、ネット上の知り合いに過ぎなかったのですが、オリンピック招致反対デモの場で、初対面を果たしました。
この時、彼のTwitterアカウント(@crowclaw109)が凍結されたことが、話題に出て、「Twitter社は酷いですねー」と語り合いました。
ですから、私も、彼のアカウント凍結に抗議する投稿を行っています。
2023年の7月には、彼からお誘いを受けて、「老ナルキソス」というゲイ映画を、一緒に観に行きました。
「老ナルキソス」という映画は、当事者にとって、「あるある」に満ちあふれた作品でした。
パンツのメーカーがTOOTだったり、婚姻やパートナーシップといった制度への態度や、関係性の築き方に、当事者間でも温度差があったり。
濡れ場に関しても、丁寧かつリアイティに満ちた描写で、感銘を受けました。
しかし、「あるある」が故に、当事者ではない人、知識の薄い人には、どの程度伝わっているのかしら? という心配も、脳裏を過ぎりました。
たとえば、レオと隼人というカップルの、セックスシーン直前に、「洗ってくる」というセリフがあります。
これ、よく分かっていない人だと、単にシャワーを浴びてくることだ、と誤認してしまうのではないでしょうか。
世に溢れているゲイ映画・BL映画は、前戯の後すぐ挿入したりしますが、どう考えても不自然すぎます。
そういうノイズがなく、実態に即した繊細な描写は、当事者が作った作品ならではだと感じました。
コンドームだけでなくローションまで映すのは、かなり珍しいと思います。映画「老ナルキソス」の東海林監督も、そのようなことを仰っていました。
また、ネタバレとなりますが、この映画で、主人子である老年のゲイ・山崎は死にません。
同じく、年老いたゲイを主人公にした名作映画に、「スワンソング」がありますが、この作品も最終的には主人公が死んでしまいます。
そもそも、歴史的に見て、映画における同性愛者は、犯罪者ポジションや笑いの対象とされ、殺されたり死んだりする存在でした(映画「セルロイド・クローゼット」などを参照)。
東海林監督は、次のように語っています。
現実にある差別や不平等な社会構造を訴えるために、クィアパーソンを悲惨な目に合わせることが作劇上必要な場合もあるだろう。
しかし、それらはマジョリティによる消費が前提の作品とは眼差す先が違う。
日本映画のスクリーンに同情という名の排除ではなく、寛容という名の見下しでもなく、真に対等な立場でクィアの登場人物が現れるのが当たり前になるまでに私たちはあと何人のアッシェンバッハを殺せば気が済むのだろうか? 墓場はもういっぱいだ。
(『「クィア」たちを埋葬する』東海林毅、「映画芸術」2023年 夏 484号 所収)
※読みやすくするため、改行・字下げを施した。文中の「アッシェンバッハ」とは、映画『ベニスに死す』の主人公。
だからこそ、この「老ナルキソス」で、主人公が死なないというのは、とても大切な意味があると思います。
ましてや「老ナルキソス」の主人公、山崎は老人のゲイです。
彼が、死ぬどころか、老いてなお盛んに、性を謳歌している。
そういった意味で、「老ナルキソス」は、非常に画期的な作品であると思います。
さて、烏丸百九さんは、この映画を観て、どのような感想を抱いたのかなと水を向けてみたら、まったくピンと来ていない様子でした。
隣に座って観ていた人が、理解していなかった。
乱交シーンとか、性的な描写も多いので、圧倒されたのでしょうか。
彼は、その後、自らのnoteに、「老ナルキソス」の感想を投稿しました。
それがまた酷い。
フィクションのキャラクターとはいえ、ゲイに向けて、「クソジジイ」「ゲイの偏屈で孤独な老人」などと言い放ち、彼がウリ専利用者(note内の表現では、「風俗店の熱心な利用者」)であることを含め、『おおよそ擁護することが難しいタイプの「日本の悪いオッサン」の類いに見えてくる』と評しています。
また、 自分語りから、『私にとって「父」はあくまでも「父」であり、男として「コンプレックス」を抱く相手ではあっても、性欲の対象では有り得なかったので、性的指向が違うと(同じような体験をしていても)思考やメンタリティに与える影響が全然違う、という(当たり前だが普段あまり意識しない)事実を再確認する』と主張し始めるのですが、ゲイは父が性欲の対象ではありません。
(もちろん、父親が性的対象であるゲイも存在するでしょうが、逆に考えれば、異性愛男性は皆、母親に発情しているのですか? そんな馬鹿な)
「(自分にとって同性が)性欲の対象では有り得なかった」という表現だと読むにしても、言葉が強すぎます。
「有り得ない」という言葉を選び、何故そこまで強く、同性への性愛を否定するのか。
さらには、パンフレットで読んだ知識をもとに、トンチキ理論を振りかざします。
典型的なエディプスコンプレックスのモデルに例えるなら、「父の不在」があったときに、「父を求める」人間は保守/右翼になり(自ら家父長制に組み込まれる)、「父と戦う」人間は革新/左翼になる(家父長制とバトルする生き方をする)……なんて傾向はあるのかもしれない。「フケ専ゲイは母子家庭が多い」というネタから、ここまで壮大な理論を作り出すとは、圧巻です。
ただしゲイパーソンの場合、父が欲望の対象でもある時点ではヘテロセクシャルの女性と共通するわけで、単純に「男性性モデル」に当てはめることは躊躇われるけど。
彼は、この映画の中で、「イケメン」が「クソジジイ」に惹かれるのは、「ファザコン」という要素があるからだ、と整理しているようですが、人間の性愛をめぐる複雑さを、単純化しすぎです。
烏丸さんはルッキズムを批判しますが、そのわりにゲイの関係性を読み解くのに、ルッキズム要素を持ち出すのは、どうかしていると思います。
幅広い層に向けて発信することは、難しいですね。
当事者間の軽口であっても、斜め上の発想に繋げられたりしてしまう。
(そもそも、今の時代にエディプスコンプレックスかよ、という問題があります。異性愛かつ男根中心の概念で、理解した気になられましても)
「家父長制国家から結婚を禁止されているゲイパーソンにとって、当然ながら養子縁組は選択肢のひとつとして保護されるべきだと思うが、それでも恭介のような青年は誰かの(疑似)息子になるべきではない」という物言いも、やむを得ず養子縁組という手段を選ぶゲイカップルのことを、踏みにじっているなと感じます。
「イケメン」の好青年ならば、養子縁組ではなく、国家に承認を受けた婚姻をして、幸せになるべき、ということですか?
結婚や養子縁組をめぐっては、当事者間でもかなり温度差があり、それが対立の火種になることもあります。
かなりセンシティブな話題に、非当事者が、とても無神経なことを書いているなと思います。
言葉遣いや、論の展開も含めて、全体的に違和感と不快感に襲われます。
改めて、この烏丸noteを読み返すと、のちのち露わになってくる問題の萌芽が感じられます。
すなわち、「ゲイに対して、過剰に否定的な物言い」「マイノリティの振る舞いへの裁き」「実体験ではなく、どこかで読んだ知識から編み出された謎理論」「過度な一般化」「婚姻をめぐる、当事者の葛藤に対する無知」などです。
なにより、「クィアは死ぬべきではない」と言いながら、のちに烏丸百九さんは、死の淵に立っているクィアを追いつめました。
これは、皮肉という言葉では済まない、深刻な事態だと思います。
(続く)
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