我々は、私は、ここに、自由を愛する誇り高きファシストであることを宣言し、そして、必ずしや国家転覆と政権奪取を実現し、ファシズム独裁を樹立する意志を固めるものである!
自由とは普遍では無い。自由を求む誇り高き我々と、秩序に安住する大衆がいる。これは私が街宣やヘゲモニー闘争を戦う中で、ひしひしと確信を持って実感した。大衆こそは、民主主義こそは、自由の敵であると。だからこそ、自由を愛する誇り高き自由人である我々ファシストが、結束し独裁せねばならない。
アナキストは歴史上ボルシェヴィキに負けっぱなしだ。最近は、とにかく勝つためにピョートル・アルシノフの綱領主義などの鉄の規律を持つアナキスト組織を指向していた。そもそも、社会運動や闘争というのは極めて権力的な営みであるが、アナキストが運動する際「水平性」とか「コンセンサス」と云って権力性を回避しようとする偽善を止めて、むしろ開き直って権力性を積極的に肯定してファシストに転向した。
もちろん、ファシストはある意味で過激なアナキストなので、アナキズムを捨てたわけではなく、発展させたと言える。だから、これからもアナキズムの実践を続ける。もちろんファシスト的に。
僕にとってファシズムとは、我々が結束して自由意志を肯定し、権力として社会的に展開する運動である。主語は左翼の言うような普遍的な「各人」ではなく、あくまで「我々」という一人称複数形であり、だからこそ我々ファシスト諸個人は結束するのだ。我々として結束できるならば軸は民族でも階級でも党でも別に良いが、既存の結束軸を最大限に活用する。
私は私で在り、他者では無い。この実存主義の証明不能な事実は、左翼の云うような普遍的理想を打ち砕く。私は気が合う他者と結束する事によって、積極的に生成された共同存在「我々」となる。
ファシストの愛する「自由」とはニーチェ的な力への意志、社会的には権力そのもので在り、我々の自由意志を社会に向けて物質化し具現させる能力と定義される。自由とは権力であり、権力こそ自由である。ゆえに、我々は権力の掌握を目指し、ファシスト独裁体制の構築を目指すものである。
ファシズムは本質的に反国家主義で在り、アナキズムである。我々は支配される事を拒む。ここで普遍的なアナーキーを目指すのが左翼のアナキズムであるが、しかし我々は実存主義者であり普遍主義では無い。つまり、**殺られる前に殺れ!**の精神で、国家に支配されない為に国家を支配する事を目指す。
我々の自由の妨げになる一切合切全ての超越的権威を総破壊せよ!
アナーキー万歳!ファシスト独裁万歳!我々の自由に永遠の栄光あれ!
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