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やはり、令和人文主義の正体は "キャンセルカルチャー2.0" だった。

まるで80年前の日本のような焼け野原に終わった「令和人文主義」の炎上だったが、"戦争の反省" と同様、追及を中途半端にしてはならない。そこにはこの数年間の、人文学をダメにした潮流が詰まっているからだ。

第一にコロナ以降の混乱では、「人文学は高尚な趣味なんで」と世の中に何も言わないくせに、平時に戻り自分の本が売れるや、「俺ら社会に影響力持ってるんすよぉ!」と誇り出す厚かましさだ。そんなダブスタの指摘が、炎上を加速させた。

第二に、実は炎上の発端はこちらなのだが、「ぼくらはどんな観客でもウェルカムで、対立を持ちこまずに語ります」と称する彼らが、その実、裏ではキャンセルに手を染めていたのでは? とする疑いだ。これについては、すでに報告している。

で、このたび、やはり令和人文主義なるものが、コロナ禍を機に顕著になった社会の不寛容、とりわけ論壇や出版における陰湿なキャンセルカルチャーと一体だったことが実証されたので、ぜひ広く "オープン" にしたい。

新たな事実を知るきっかけは、12/3の年間読書人氏のnoteだった。以下のXが、引用されていた。

投稿した松井健人氏は東洋大学助教で、ドイツ図書館史の研究者。文中で非難される「カール・レーフラー捏造を行った人物」とは、2018〜19年に研究不正で社会を騒がせた、深井智朗氏を指す。

自著で存在しない史料を "典拠" に用いた深井氏が、糾弾されたのはあたりまえで、大学を解雇されたのも妥当な処分だろう。その一方で、松井氏のこのツイートにも、明らかな問題がある。

① 今年の2/6の出版社による「見本が届きました」のツイートを、翌日に松井氏は非難している。つまり刊行前の書籍に対し、現物を見ずに "不適切なもの" だと印象づけている(発売日は2/14)

② クレームの文面で、松井氏は「本質問文および頂いたご回答は…公開する場合もございます」と通告している。が、①のとおり、実際には回答を待たず即座に質問状をXに投稿し、ネットの世論で版元に圧力をかけている。

③ 出版社は2/12に返答をツイートし、同書の訳者あとがきでは「深井氏本人が…深く後悔し、強く反省して」いる旨を明記したことを明かした。謝罪を表明する場でもあった訳書について、松井氏は(刊行を待たず)企画自体を非難していた。

いかに深井氏が最重度の研究不正の当事者であれ、問題を感じた書物は "世に出させるな。未読でも、出る前から評判を落とせ!" とする松井氏のふるまいは、定義どおりの「キャンセルカルチャー」と呼ぶ他はあるまい。

では、今年2月にそんなキャンセルを仕掛けた松井氏が、どこで「令和人文主義」と関わるのか。

この松井氏は今年の8/1に、『大正教養主義の成立と末路』を出している。「結論としては「教養はいらない!」ということになりました」とする本人のツイートに映る、同書の帯にはこうある。

たくさん読み、たくさん考え、差別する
 (中 略)
リハビリテーション不可能なありさまを描き切った、教養主義の死亡診断書、発行!

強調箇所も原文に倣った

いやはや、煽りタイトルでは人後に落ちない私も(苦笑)、正直ビビるくらいのスゴい帯である。で、そんな松井氏の8月の新刊に、すかさず喰いつき自説の論拠に使う学者がいた。

すでにその経緯を紹介したとおり、9/11のネットコラムで「令和人文主義」を自称し始め、10月・11月と雑誌連載でも連チャンで同じ趣旨を連呼し続けた、哲学者の谷川嘉浩氏だ。

11/6に出た『Voice』12月号の記事では、のっけから松井氏の著書を「とんでもない名著だ」と絶賛する。大正教養主義が「何の実体ももたない虚像」だとジッショーされたというのだが、谷川氏が援用する論旨はこんな感じだ。

誰も理解できないがすごそうな話を展開する〔東京帝大の〕ケーベルに対して、当時の知識階層がとった態度は、「なんかとにかくすごい」「いやもう教養人と言えば彼だ」「人格者なんだよ」と褒め称えることだったと思われることが示される。

加えて、ケーベルのハラスメント実態を明らかにし、人格者とも言えないことまで暴露されるのだからもう大変だ。

32頁(強調と改行を付与)

……はぁ(笑)。あのさ、キミは学者なの? スキャンダル記者なの?

ケーベルはその講義が東京帝大の学生に影響を与え、大正教養主義の礎になったとされる美学者だが、彼が(今日の基準で)ハラスメントをしていたらどうだというのか。そんなことで、大正期の教養は全否定できるのか。

そもそも大正教養主義じたい、今日 "絶賛" する人などまずいない。むしろ、昭和の戦争への歩みを止められなかった「ひよわな思想」として、批判的に回顧されるのが戦後の通例だった。

もし哲学者として、大正教養主義に新たな批判を加えるというなら、たとえば和辻哲郎ヘッダー写真)の思想のどこがまちがっていて、虚妄なのか、具体的に指摘すればよい話だ。

なにも、岩波文庫で4巻分の倫理学の本を書けというのではない。和辻と重なるテーマを選び、「今日の水準では、ぼくの分析の方が妥当だ!」という腕前を見せればいい。平成前半には、そんなのはあたりまえだった。

学者や学風を "否定" する際に、真正面からその業績に取り組んで、克服することはしない。むしろ周辺のゴシップを蒐集し、「アイツ、いまで言えばハラスメントなんだよ。進んだボクらは、もう無視でよくね?」と安易なレッテルを貼る。

そんな態度がキャンセルカルチャーに通じ、かつ最もチープな反知性主義に他ならないことは、いまや自明すぎて、繰り返すまでもないだろう。

そうした「令和人文主義」の姿勢は、近年の日本を席巻した "令和キャンセルカルチャー" を代表する事例とも、実際につながっている。

そもそも松井健人氏のX投稿を教えてくれた、年間読書人氏のnoteとは、ずばり次のものだ。

小林えみ氏は、2021年4月にオープンレターで呼びかけ人を務め、23年12月にはトランスジェンダー関連書籍の "刊行前抗議によるキャンセル" にも、出版人の代表として関与した人だ。私自身、かねてその経緯を詳論している。

しかし、それでも今回の年間読書人氏の指摘は、衝撃だった。

さすがにキャンセルへの批判が高まり、トランスジェンダーのブームが下火になったいま、小林氏はキリスト教に入信したことを根拠に、自分の主張は "当事者の声" だとする論法で、深井智朗氏の訳書への排斥を、松井健人氏と並んで今年も仕掛けていたというのだ。

引用される資料(小林氏自身のブログ)によれば、小林氏は深井氏にはなお "勤めている職がある" ことをわざわざ名指しで指摘し、要は、

クリスチャンの小林えみは、講談社の「寛容」は誤りだと、批判しているのである。言い換えれば、

一一そのくらい徹底的に痛めつけられないかぎり、犯罪者は許されるべきではない。許してもならない。「普通の人」と同じように、仕事が与えられてもならない。ましてや、学者ヅラを許して、訳書なんかを刊行させるべきではない。最低限、「公開謝罪文」を出さないかぎり、あらゆる出版社は、深井智朗を使うべきではなく、キャンセルすべきである。その点で、講談社は(金儲け優先なのか)、犯罪者に対して甘すぎる

一一と、そう小林えみは、主張しているのだ。

年間読書人氏note、2025.12.3
(段落をまとめ誤字を修正)

という次第なのだ(笑えない)。

端的にまとめると、こういう構図である。

マスクをしない人、ワクチンに疑念を持つ人、鍵アカが口汚い学者、ロシアに甘そうな人…といった「敵」を名指し、こいつらを叩けっ! と叫ぶ "キャンセルカルチャー1.0" は、煽った人たちのボロが後からどんどん出てきて、もう人気がない。

ので、表では「大正教養主義と異なり、誰にでも開かれた人文知です」と自称しつつ、だからそんだけイケてるこの主義以外あり得ないですよね? 俺らが認めない書物とか推さないでくださいね? と裏でこっそり行う "キャンセルカルチャー2.0" が、「令和人文主義」なる虚像だったのだろう。

江藤淳が言ったことだが、最強の検閲とは、検閲されていることを "意識させない検閲" である。

一見すると、誰とも衝突しない・批判しない・推してバズらせるのがミッション!…とポジティブずくめな体裁でも、それは単に目の前の世界の、または自分自身のダークな部分を、裏面に追いやっているだけかもしれない。

実際にSNSが始まった平成期に比べても、「令和人文主義」の担い手は異論への耐性が低いらしい。違う感性の人は "いない" ことを、内心で前提にしていれば、批判への免疫ができず、ブロックして引きこもることにもなる。

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2025.12.4
(赤線は引用者)

この "主義" の看板役になっている、三宅香帆氏の言をもじるなら、もはや時代は平成ではない。令和なのだ。批評の時代ではない黙殺の時代なのだ。そんな時代の変化が有象無象の "識者" のふるまいに見られる。

平成のSFが描いたディストピアのように、クリーンワールドを満たす「溢れる善意」こそが、最大の箝口具となり、令和の空気を支配するのだ。

そんな時代を象徴するキラキラしたXで、この記事を閉じておこう。もちろん2025年とともに、本来閉じられるべきなのは、そうしたスパンコールをまぶした "キャンセルカルチャー2.0" である。

かつては教養主義の末裔のことばとして、「肥った豚より痩せたソクラテスたれ」と言われもした。だが "美食をむさぼるソクラテス" の虚像を煽ることほど、人文主義と無縁な営みもない。なによりも、私たちは豚ではない。

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2025年5月に『江藤淳と加藤典洋』を出して、「戦後批評の正嫡」になりました。もとは日本史のお店で修業したので、歴史の素材を活かした味つけに定評があります。ここに載るのはささっと仕上げた軽めの料理ですが、楽しんでくだされば幸いです。(2023年11月開店)
やはり、令和人文主義の正体は "キャンセルカルチャー2.0" だった。|與那覇潤の論説Bistro
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