《昭和52年、鴨川シーワールドに就職。ベルーガ(シロイルカ)の飼育係兼トレーナーを経て〝獣医修業〟が始まったが…》
当時は分からないことだらけでした。肺炎だと思ったイルカが胃潰瘍だったり…。イルカの呼吸は私たち人が潜るときと同じで、深呼吸の後に息を止めます。大気中の細菌やウイルスなどを吸い込むと肺炎を起こしやすいので、イルカの体調不良ではまず、肺炎が疑われます。しかしそうではない病気も当然あるわけで、どうしたら健康に過ごさせることができるのか分からず、お先真っ暗でした。
《暗中模索の日々。米国の水族館に学びを求めた》
海獣の飼育は米国の水族館が先を行っているので、55年12月、休みを取って学びに行くことにしました。訪ねたのはシーワールド・サンディエゴ。シャチやベルーガの飼育で知られています。ロサンゼルスに住むいとこが日本に来ていたので、帰るタイミングで同行させてもらいました。鳥羽山照夫館長に書いていただいた紹介状をもとに、シーワールド・サンディエゴで働く飼育課長のジム・アントリムさんを紹介してもらいました。園内を案内してもらったのですが、英語が分からず、ろくに質問もできません。でも、飼育技術がすごいことはよく分かりました。健康に過ごしているから、動物たちの魅力をお客さまに伝えることができる。私が目指すのはここだと思いました。ジムにはここから先、何十年とお世話になることになります。
《当時は男女雇用機会均等法もない時代だった》
当館ではかつて、イルカの水中パフォーマンスで活躍する女性がいましたが、アシスタント的な役割が多く、トレーナーはいませんでした。今では女性トレーナーが圧倒的に多く、男性トレーナーは希少動物のようです(笑)。
尊敬する獣医師に、上野動物園(東京都台東区)で初の女性園長を務められた増井光子さんがいます。女性獣医師の大先輩としてあこがれ、著書もたくさん読みました。研究会などで一緒になると、発表の合間などにチャンスを探して質問させてもらおうと近付きます。いつも多くの人に囲まれているので、なんとか輪の中に交じっていました。
増井さんの時代は女性が獣医師として動物園で働く前例などはなく、「決して辞めません」と宣言して動物園に就職されたと聞きます。そしてさまざまなことに挑戦し、61年に人工授精によるパンダの誕生に携わられました。女性も獣医師として活躍できることを証明し、道を切り開いてくださいました。そのレールの上を、私は歩かせてもらっています。私が海獣の本を書いたときには、「おもしろかったわ。頑張りましたね」と感想を寄せてくださいました。増井さんは平成22年、英国で亡くなりました。馬が好きで、馬のマラソン競技の選手でもありました。
《昭和58年、新しい海獣、セイウチがやって来る》
12月8日、ソ連(ロシア)から2頭のセイウチがやって来ました。セイウチは国内ではまだほとんど飼育例がないころです。当館に到着し、トラックから降ろされたのは大型犬が入るくらいの檻(おり)。扉を開けると出てきたのは小さな子供のセイウチでした。体重はメスが99キロ、オスが96キロ。シーワールド・サンディエゴで見た大人のセイウチは1トンを超えていたので、まるで違う動物のように感じました。
輸送の檻から出すと、2頭は「ワンワン!」と鳴いて、隅っこの方に逃げていきます。犬みたいな鳴き声なのです。知らないところに連れて来られて不安なのでしょう。しかし、大きな目に、たくさんのヒゲが生えた口元。そのしぐさや愛くるしさに、たちまちとりこになってしまいました。(聞き手 金谷かおり)