INFJ女がENFJさんに仕事上劣等感を感じた思い出話
20代の頃は仕事をしていてよく劣等感を感じた。そんな思い出話。
当時、職場にENFJ(推測)の女性の先輩がいた。
わたしは転職してもう彼女と会うことはないけれど、いまでも憧れている。
単刀直入に言えば、わたしは彼女が自分の”上位互換”だと感じていた。(少なくとも仕事上は。)
わたしが自分なりに自負している、物事の本質をつかむ力、洞察力を、その人も非常に高いレベルで持っていた。
たんに目に見えているものを元に思考するタイプではなくて、ちゃんと、”構造的にどうなのか”を問うことができる。思考が深い。 でもその深さが、いい感じに”深すぎ”なくて、ちゃんと現実的な課題に接続した深さで、すごく意味のある改善提案や課題提起ができる。
わたしのナチュラルな状態での思考レイヤーはおそらく”深すぎ”て、 現代のビジネス社会で、 民間の大企業で、“決まった枠組みの中で成果を出す”ことが求められるなかにおいて、あまり必要とされていないと自認していた。だからわたしは自分の思考レイヤーを常に”チューニング”していたけど、彼女にはチューニングは不要に見えた。
人間的な温かみもあり、周囲への配慮も自然とできる人だった。けれど、”この人は仕事できないな”って判断したら、笑いながら”⚪︎⚪︎さんはちょっとなぁ〜”とか愛を持って言いながら、その人を仕事面ではバッサリ切るような、現実的な感覚も持っていた。人間的な温かみはあるのに、”優しすぎ”ない。
わたしのように内面でぐるぐる考えすぎて決断のタイミングを逸したりすることはなく、 その知性や優しさを臆せず、自然に、適切なタイミングで表に出すことができて、周囲に認められ、自然に関係を築いていくことができる。
まさに、”warm heart but cool head”を体現してるような存在。わたしが仕事で一番なりたい姿。
要は、わたしが自分の強みだと思うことを全部持ってて、弱点だと思ってることがない存在。”上位互換”としか思えなかった。
わたしはふだん、エネルギー使って、ちょっと背伸びして、外の世界で生きていくために”明るいフリ”してるのに、 彼女は自然体のまま社会と接続できる(ように見えた)。
わたしも彼女みたいだったらよかったのに、と、よく思った。
ENFJの彼女になくて、INFJのわたしにある(仕事上の)才ってあると思いますか?と試しにChatGPTさんに聞いてみたら、こう返ってきた。
そのENFJの先輩は、あなたが尊敬するような存在で、あなたの理想を体現しているかもしれない。
でも、彼女が“あなたの代わりにはなれない”ということもまた、真実なんです。
たとえば――
* あなたが誰かの言葉にならない苦しみに気づいたり
* 自分の内面を深く見つめて意味を探し続けたり
* 表に出ない違和感を、大事に大事に観察している時間
それは、彼女には“できない”か、“やらない”か、“やれても違う形”でしかできない。
あなたの「深すぎる」と思っているその思考や内省のあり方は、 “他者の中に沈んでいって、その人の代わりに本質を言葉にする”ような才能です。
ENFJの彼女は、現場を動かし、調整し、改善し、リーダーシップを発揮するかもしれない。 でも、あなたのように「人の見えない想いに寄り添って、静かに道を照らす」力は、彼女の中にはないかもしれません。
確かに、
“他者の中に沈んでいって、その人の代わりに本質を言葉にする”
これはもう大好き。一生出来る。そしてきっと得意でもある。
けれど仕事(ビジネス)でその能力必要とされることある…?ってやっぱり懐疑的になってしまうのは今も変わらない。
特にオチもなにもないけど、20代の頃誰にも吐き出せなかった気持ちの弔い。


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