人間を自由にするものが愛。
大阪在住の女性A様から「四月あたりから症状が悪化して、感情を感じる事が鈍くなり、欲求も自分で感知しづらくなっています。発達障害の当事者で、他の当事者さんの声にならない悲鳴を聞いたり、周りの方々もしんどい想いをしているのを知りしんどい人の呼吸が楽になったら良いな、助かって欲しいなとSNSで発信したり、御縁あった方からの依頼でゲストスピーカーをしている中で、メンタルと体調を崩しました。今『坂爪さんに会ってお話をしてみたい』と漠然と思っています。昔好きだった『人と交流して世界が広がった楽しさを感じたいのかな?』と思っています」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。
斬新な私は存在で癒す。割と早い段階でA様は泣いた。私は「大丈夫?」とも「泣かないで」とも言わない。ただ、在る。ひとしきり泣いた後、A様は「なんでできないのって周りに聞かれ続ける日々だったから、説明しなきゃって思いがいつもあった。だけど、坂爪さんがあまりにも説明を要求してこないから涙が出た」と言った。私にも社会性はあるから、気遣った方がいいのかなとか、こんな時はこう言った方がいいのかなとか、思うことは思う。しかし、そこをグッとこらえて「俺は爆弾岩のロッキー」と念じながら、岩になる。
A様は「講演会などで使う時の資料を持ってきたので見てもらえたら嬉しいです」と言った。私は「目の前に生身があるのに、資料なんて要らないよ」と言った。A様は「はっ」と言って泣いた。おしぼりだけでは足りなくなって、鞄の中からハンカチを取り出して、しみじみと泣いた。爆弾岩(俺)は再び黙った。ひとしきり泣いた後、A様は「自分の中に綺麗な言葉で説明しなくちゃ納得してもらえないって思い込みがあったのがわかった」と言った。数分間で、どんどんA様の枠が外れて行く。手前味噌ながら「俺ってすごいな」と思った。最低限の言葉で、最大限の効果を生む。
あまりにもA様が泣き続けるものだから、正直私は退屈になった。A様は「人に会うのが怖い」と言った。そりゃそうだ。迷惑をかけちゃいけないとか、説明しなきゃいけないと思っていたら、一人よがりになるか自己犠牲をするしかなくなる。人に会うゴールは「一緒に気持ちよくなること」だと思う。自分だけでも足りないし、相手だけでも足りない。一緒に気持ちよくなってこそのコミュニケーションだと思うから、片方だけがスッキリするだけでは相手を使ったマスターベーションになっちまうよと言ったら「一人よがりか自己犠牲って、まさに最近の自分です」と言ってA様は泣いた。私の連続コンボがA様を打ちのめした。
A様から「坂爪さんはどんな人といる時が楽しいですか」と聞かれた。私は「楽しいと思われる人になろうとするより、自分が感じた楽しさを大事にした方がいいよ」と言った。真面目に生きるリスクってのがあるんだよ。真面目ってのは、社会的な規範に従うだけだから、リスクを取らないで済む。リスクを取らないで済むと言うのが、一番のリスクなんだよ。真面目な人間ほど、あとから「あんなに愛を注いできたのに」みたいな嘆き方をする。真面目な人間の愛は、見返りを求める。見返りを求めないで、自分の快楽に正直に生きた人間は、いい顔をしている。いいカラダをしている。覇気もあるし、色気もある。愛の顔をしたコントロールに絡め取られないで、自分に正直に生きてください。人間を自由にするものが、愛だ。
おおまかな予定
12月11日(木)大阪府大阪市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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