丘の上から民間人を「狙撃」─サラエボの「人間狩りツアー」に参加していた日本人がいた?
11月、イタリア・ミラノ検察当局はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中に「娯楽目的」で民間人を殺害した疑いのあるイタリア人を特定するための捜査を開始した。 【画像】橋を渡ろうとして狙撃兵に撃たれ、命を落とした「サラエボのロミオとジュリエット」 ボスニア・ヘルツェゴビナでは、1992年のユーゴスラビアからの独立を機に民族対立による内戦が勃発。1992年から96年にかけて首都サラエボは包囲され、砲撃と狙撃によって1万人以上が死亡したとされる。 なかでもスナイパー(狙撃手)の存在が恐れられ、「彼らはまるでビデオゲームや狩猟のように、通りを行く人々を見境なく無差別に撃ち殺した」と英紙「ガーディアン」は伝える。 ミラノ当局による捜査は、作家でジャーナリストのエツィオ・ガヴァッツェーニの告発から始まった。英放送局「BBC」によると、ガヴァッツェーニは2月、独自調査の結果を17ページの文書にまとめ、検察当局に提出。「武器に強い情熱を傾ける『大金持ちたち』が、『無防備な民間人を殺すために金を支払い』、当時包囲されていたサラエボの丘陵地帯にあったセルビア人陣地に案内され『人狩り』をしていた」としている。
日本人もいたという噂
ガーディアンは人狩りの詳細をこう説明する。 「イタリア人を含む複数国籍のグループ、いわゆる『狙撃観光客』らは、ボスニアのセルビア人指導者だったラドヴァン・カラジッチ率いる軍隊の兵士に多額の金銭を支払い、虐殺に加担したとされる。カラジッチは後にジェノサイド(集団殺害)およびその他の人道に対する罪で有罪判決を受けている。観光客はサラエボ周辺の丘陵地帯へと連れていかれ、娯楽として住民を狙撃した」 BBCによると、その参加費用は「現在の価値で10万ユーロ(約1800万円)に達していた」という。 こうした観光客のなかには日本人もいたという記述もある。11月12日付のイタリア紙「イル・フォリオ」では、イタリア人ジャーナリストのアドリアーノ・ソフリが当時の通信文の一部を公開している。そのなかには、ロシア人志願兵やギリシャ人狙撃兵部隊、さらには失恋の怒りをサラエボ住民にぶつけるためにやってきた日本人についても言及されている。 イタリア紙「ドマーニ」では、当時サラエボにいた記者のジジ・リーヴァがこう証言している。「このニュースが流れてから、私の携帯は鳴りっぱなしだった。『本当の話なのか?』と。端的に言えば、私は知らない。だが、『もっともらしい』とは思う」 同記者によると、当時は軍隊も弱体化し、検問を受けることもなく、車で前線に行くことができた。その結果、ほとんどすべての地域で、「あらゆる種類の人々」が入り乱れる事態となっていたという。 「傭兵、冒険家、脱走兵、悪徳商人、銃口に花を飾ろうとする平和主義者、人道支援者、丘の上から戦争を見物する野次馬観光客、そして、日曜日の狙撃手たち……。制御不能な大混乱のなかで、すべてのものが混ざり合い、あらゆる可能性があった」と振り返る。 告発したガヴァッツェーニによると、イタリア人容疑者の一部は特定されており、今後数週間のうちに検察当局による事情聴取がおこなわれる見込みだとガーディアンは報じる。 証言や情報は増えていると、記者のリーヴァも認める。だが、証拠はない。容疑者を特定し、サラエボの山々での彼らの経路を追跡できたとしても、その後のことははるかに困難だろうと指摘する。つまり、殺人に関与した確たる証拠を掴むことだ。 リーヴァはこう綴る。 「残るのは、疑念と不安、そして世論による非難だけ。それらは私たちがいま現在進行形で経験している暗黒の光景──荒廃したガザやウクライナで自由奔放に振る舞うスナイパーたち──との類似によっていっそう煽られるのだ。戦時においてはあらゆる法的枠組が停止される。それによって第2、第3のサラエボが生み出されていることに、私たちは近いうちに気づくのかもしれない」
COURRiER Japon