「普通の人」として裁かれていいのか
ここで誤解していただきたくないのは、障害があるからといってK被告のやった行為が許される訳ではないということです。殺害された女児が出産直後の0歳0日歳でなく、もし5歳だったとしたら。いくら知的な問題があったとしても懲役5年は逆に軽すぎると感じるかもしれません。もちろん年齢も含め、人を殺めることは障害があるなしに関係なく許されないことです。
私がここで強調したいのは、障害があることやその特性が理解されず、被告の行為が逆に不利に働いてしまうという事実です。いやしくもそれが人を平等に裁くことが期待される裁判所によって行われている現状なのです。知的障害があったとしても、考慮されず「普通の人」として裁かれ、判決が下されてしまう。これは恐ろしいことです。
精神鑑定も含めて相当の時間をかけてK被告のことを詳しく調べたはずです。通常、一般の人に対してそれだけ時間をかけて調べることはまずありません。それなのに、その障害の可能性が否定されてしまう。
このような現状下では、社会や教育現場において困っている人がいたとしても、その背景を調べるどころか関心すら持ってもらえず、むしろ周囲をいらだたせてしまうような「気づかれない人たち」と見なされてしまう人たちが大勢いるはずなのです。
実際、証人として出廷したK被告の母親は、幼い頃から叱責を繰り返したと打ち明け、「苦しい気持ちを何ひとつ分かっていなかった」と泣きながら証言したそうです。本来ならば、社会に出る前に家庭や学校で支援の道筋を立てる必要があったのです。