MAMOR 最新号

1月号

定価:780円(税込)

 海上自衛隊の主力装備・艦艇を動かすためには、多くの乗員が必要だ。そのため、海上自衛隊には「海上訓練指導隊群」という、艦艇の乗員を鍛える指導者たちが集まったインストラクター役の部隊が存在している。

 艦艇乗員の練度向上のため、各海上訓練指導隊が行っている「訓練指導」とは、一体どのようなものなのだろうか。横須賀海上訓練指導隊を例に訓練内容を紹介しよう。

艦艇の部門ごとに指導官を配置!航海訓練用シミュレーターも

画像: 海上訓練指導隊の指導官は艦艇の訓練に立ち合い、乗員の動き方などをチェック。何をどうすれば練度が上がるか助言する

海上訓練指導隊の指導官は艦艇の訓練に立ち合い、乗員の動き方などをチェック。何をどうすれば練度が上がるか助言する

 海上訓練指導隊はどのような体制で各艦艇を強くするのか?

 横須賀海上訓練指導隊を参考に陣容をみてみよう。同隊には「指導部」のもと訓練計画の立案や管理を行う「訓練科」のほか、指導官が艦艇内での任務ごとに所属する「砲雷科」、「船務・航海科」、「機関科」がある。

画像: 訓練指導の際は指導官から点検項目などが伝えられる。艦艇の隊員はそれを基に訓練に臨む

訓練指導の際は指導官から点検項目などが伝えられる。艦艇の隊員はそれを基に訓練に臨む

 また同隊にはほかの指導隊にはない「立入検査班」があり、これは各護衛艦ごとに編成され、必要なときに不審船などに乗船し検査などを行う「立入検査隊」に訓練指導を行う班だ。

 これに加えて「教育科」と、コンパクトかつ多機能で機雷戦能力を有する『もがみ』型護衛艦に対応した航海訓練シミュレーター「F−NAT」が横須賀にあり、これを運用する「F−NAT班」がある。

主に艦艇のドック入り後に実施される「訓練指導」

画像: 負傷者が発生した際の応急処置などを行う衛生の訓練。チェック項目を確認し、1秒を争う治療活動の適切な処理法などを助言する指導官(左)

負傷者が発生した際の応急処置などを行う衛生の訓練。チェック項目を確認し、1秒を争う治療活動の適切な処理法などを助言する指導官(左)

 続いて、指導官は、どのタイミングで訓練指導を行うのか、同隊・指導部長兼副長を務める岡田2等海佐に聞いた。

「訓練対象は、主に修理に入る艦艇です。艦艇は1年に1度、2カ月程度行われる年次検査や、5年に1度の長期修理など、ドック入りする機会があります。艦艇を動かせない期間があると当然練度も落ちますので、修理後に私たちが訓練に立ち会い指導を行います。新しい艦艇が就役する際の訓練指導も担当します」

 岡田2佐によれば、訓練指導は隊の指導部の管理で進められるが、乗員の転勤・交替などの際、艦艇側からの要望で指導に当たったり、訓練指導で練度が低いと判断された艦に対し再指導を行うケースもあるという。

画像: 訓練後のフィードバックでは、左に座る指導官たちが訓練の総評と、今後の課題となる点を助言し、さらなる練度向上のアドバイスを実施

訓練後のフィードバックでは、左に座る指導官たちが訓練の総評と、今後の課題となる点を助言し、さらなる練度向上のアドバイスを実施

 また、訓練指導隊には艦艇乗員に直接指導する以外にも重要な仕事がある。それが「艦内訓練指導班」の育成や指導だ。

「艦内訓練指導班とは各艦艇の乗員で編成された指導チームで、艦艇乗員のみで練度の向上を目指す組織です。これに対するサポートを行い、私たちが直接指導しなくても練度を維持・向上できる体制を作っています。

 とはいえ、最終的には第三者によるチェックがないと足りない部分を是正することはできませんので、指導官による訓練指導も必要です」と岡田2佐は説明する。

定量的・定性的評価の両面で練度を測る指導官

画像: 艦艇が攻撃を受け、船底に穴が開いた際の応急工作の訓練。指導官(左下)は適切な対応ができるかの評価と合わせ、作業時間も計測する

艦艇が攻撃を受け、船底に穴が開いた際の応急工作の訓練。指導官(左下)は適切な対応ができるかの評価と合わせ、作業時間も計測する

 訓練指導について岡田2佐は「新造艦の就役時や長期修理明けの再練成訓練は1カ月以上、年次練度維持訓練は約2週間実施します」と続ける。

 指導官の任務の一例として年次練度維持訓練を紹介しよう。まず停泊状態で半日ほどかけ、艦ごとに戦闘や火災などが発生した際の対処法などを確認。合わせて器材などの整備状況も確認する。

 これができていたら訓練開始。まずは3日ほどかけて「基本部署(注)」と呼ばれる防火、防水、溺者救助、応急操舵などの対応や戦闘時の「戦闘部署」訓練を機関科、船務・航海科、砲雷科の各指導官がチェック。その後、訓練艦艇が弱点と感じる部分の集中訓練などを繰り返し、練度を上げていく。

護衛艦をはじめ艦長経験も豊富な岡田2佐。「練度は一朝一夕には向上しません。より高みを目指し、積み上げていきたいです」

 指導官たちは訓練の成果や艦の練度をどのように測るのだろう。岡田2佐はこう語る。
「評価シートがあり、指導官は項目に付けた○や×の数から、定量的な評価を行います。もう1つは時間です。ある事象への対応に要した時間を計測し、それが基準内に収まっているかを判定します。

 加えて評価表に出ない定性的な部分について、各指導官の経験から気付いた点を記録します。いわば数値の『行間』を埋めていくのです。こうした評価を元に、艦の乗員に対して細かな指導を実施しています」

(注)戦闘や火災などが発生した際に対応する人員配置などを定めたもの

(MAMOR2025年7月号)

<文/臼井総理 写真/村上淳(岡田2佐) 写真提供/防衛省>

艦艇乗りをより強くするトレーニング・ファイル
※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

 世界史とは領土変遷の歴史といっても過言ではない。有史以来、世界中で多くの国が生まれ、拡張し、没落、消滅していった。

 国家はどのように領土を獲得し手放したのか。歴史学者の祝田秀全氏に世界史における領土変遷を解説してもらった。

国内政治、宗教、経済など事情が異なる領土拡大の目的

 ひと口に領土変遷といっても、「時代やその国の事情によって領土を拡大する動機、目的が違います。小さな都市国家から時代の覇者になった古代ローマ帝国(紀元前30~西暦476年)は、ローマを中心に属州と呼ぶ領地で構成され、市民の食料確保のため領土を広げました」と祝田氏。

 それに対しイスラーム帝国のアッバース朝(750~1258年)は、イスラム教の共同体(ウンマ)の構築がベースだと祝田氏は話す。「イスラム教徒なら帝国内では人種、言語を超えて平等な権利を有し、異教徒も改宗すれば税金が免除されるなどの政策で、西アフリカからシナイ半島、現在のパキスタン付近まで支配しました」

 13世紀になり農業や工業などの生産性が向上すると、ビジネス販路を求め領土を広げる国が現れる。「騎馬の機動力を生かしユーラシア大陸を勢力下においたモンゴル帝国(1206〜1638年)です。陸路シルクロードと海上交易ルートを開拓し、商業帝国を建設しました」と祝田氏。続けて「15世紀のヨーロッパでは香辛料の需要が高まり、スペイン、ポルトガルは大西洋へ進出。海路を利用し植民地を獲得して領土を拡大しました」と説明する。

主権国家の誕生と軍事革命、植民地の独立で領域が変化

 領土の概念と切り離せない国家と国境について、「1494年から始まる『イタリア戦争』(注1)と、1618年の『三十年戦争』(注2)の講和条約『ウェストファリア条約(1648年)』が近代の主権国家形成の契機です。これまで国の領域周辺の支配権は曖昧でしたが、神聖ローマ帝国が事実上崩壊し、各地で王族など国家元首が国境を定め統治する時代になりました。

 加えて火砲や銃器の登場で近代軍隊が誕生し、国境を守る任務に就きます。徴兵制も実施され、兵力維持の財源となる税を徴収・管理する官僚機構も整備されます。同時期にオランダの法学者・グロティウスが現在の国際海洋法につながる『公海』の概念を発表し、海は世界共通財産という考えを示したのもこの時代です」と祝田氏。

 18世紀に入りアフリカやカリブ海諸国に植民地を持つイギリスは、アフリカの黒人奴隷をカリブ海で労働者として使い、その生産物であるコーヒー、砂糖、綿花などをヨーロッパに持ち帰る三角貿易(注3)で巨額の資金を獲得し巨大資本主義国家に成長。ヨーロッパ各国もアジア、アフリカで植民地を獲得した。

 祝田氏は「植民地は19世紀から20世紀にかけて、次々に独立します。また領土間の争いの火種は、国家のあり方などを問う思想が加わりました。資本主義と社会主義に世界が二分された戦後の東西冷戦は、1989年のベルリンの壁(注4)崩壊まで続いたのです」と解説する。

 領土をめぐる争いはイスラエルとパレスチナの問題や、ロシアによるウクライナ侵略など現在も変遷が続いている。

(注1)イタリアをめぐりフランスと神聖ローマ帝国が対立した戦争 
(注2)ドイツ国内の宗教対立に端を発しヨーロッパ全域の国際紛争へと拡大した戦争
(注3)西アフリカ地域、西インド諸島地域とイギリスの3地域で17〜18世紀に行われた貿易 
(注4)1961〜89年まで旧東ドイツ内の西ベルリン地区に築かれた壁

古代ローマ帝国(西暦14年ころ)の勢力図

画像: 古代ローマ帝国(西暦14年ころ)の勢力図

 紀元前753年にイタリア半島の都市国家として建国された古代ローマ帝国。平民の政治に対する不満のはけ口を対外進出に求め、食料の供給先確保のため領地を拡大。北アフリカ、中東にまで支配を広げ「世界の道はローマに通ず」といわれた一大帝国になった。なおアメリカ大陸は15世紀に発見されたため地図には記載していない。

イスラーム帝国(750年ころ)の勢力図

画像: イスラーム帝国(750年ころ)の勢力図

 イスラーム帝国はアラブ人優遇政策をとって異民族を配下に置いた。領土が最大だったのはアッバース朝の時代(750〜1258年)で、イスラム教徒であるペルシア人を取り込んで革命を起こし、帝国の盟主に収まる。そして人種による差別を排し、イスラム教のつながりで共同体を築き領土を拡大していった。

モンゴル帝国(1260年ころ)の勢力図

画像: モンゴル帝国(1260年ころ)の勢力図

 中国の金を滅ぼし西へ転じたモンゴル帝国は、キエフ公国(現ウクライナ付近)を滅亡させポーランド・ドイツ軍を撃破するなど、当時最強の軍事力を誇った。その結果築き上げた交易網を商人が利用し発展。また宗教に寛容で、イスラム教徒を帝国の重要ポストに任じ、皇帝がキリスト教の行事に出席することも。

大英帝国(1918年ころ)の勢力図(主な植民地を記載)

画像: 大英帝国(1918年ころ)の勢力図(主な植民地を記載)

 18世紀に入りイギリスは海外領土を獲得し存在感を増していく。アメリカの独立やナポレオンの出現で一時国力は衰えるが、ヴィクトリア女王が君臨した19世紀から第1次世界大戦までの間、植民地帝国として世界中に勢力圏を拡大。最大領土面積は全世界の約25パーセントで、国際的に圧倒的な影響力を誇った。

東西冷戦終結後(1990年ころ)の世界地図(一部の国名とソ連からの独立国の一部を記載)

画像: 東西冷戦終結後(1990年ころ)の世界地図(一部の国名とソ連からの独立国の一部を記載)

 第2次世界大戦後、1960年代には植民地であったアフリカやアジアの国が次々と独立。またアメリカとソ連の2大国による東西冷戦は、89年のベルリンの壁の崩壊をきっかけに終結した。前後してエストニア、リトアニア、ラトビアがソ連から独立。91年にソ連は崩壊し、ロシアと14の独立した共和国となった。

祝田秀全氏 写真提供/本人 

【祝田秀全氏】
東京都出身。聖心女子大学文学部講師。著書に『知識ゼロからの戦争史』(幻冬舎刊)、『地図でスッと頭に入る世界の民族と紛争』(昭文社刊)など 

<文/古里学 写真提供/防衛省(特記を除く)>

(MAMOR2025年5月号)

―自衛隊が守る日本の領空 領海 領土―

※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

 特別司法警察職員として、自衛隊内部の事件・事故の捜査の権限を与えられているほか、警護や交通統制などを任務とする陸上自衛隊警務隊。

 その中に、海外の高官などが自衛隊の市ケ谷地区の施設を訪問する際などに、警護を担当する専門の部署がある。

 それが、中央警務隊の第2班だ。取材したのは、ちょうど同班が要人警護を数日後に控えた時期。あわただしく準備に精を出す部隊の様子をリポートしよう。

来訪の数週間前から始まる警護の準備

画像: 要人警護のための事前のミーティングでは、警護を実施する場所の地図と関係者のミニチュアを基に、任務を遂行する上で必要なチーム内の意思疎通と認識の統一が図られる

要人警護のための事前のミーティングでは、警護を実施する場所の地図と関係者のミニチュアを基に、任務を遂行する上で必要なチーム内の意思疎通と認識の統一が図られる

 2025年4月某日、9時。防衛相会談のため、数日後に防衛省に来訪するトンガ王国皇太子の警護に備え、中央警務隊第2班の事前のミーティングが始まった。

 テーブルに広げられた防衛省の敷地内の地図に、警護対象者である要人と警務官、車両のミニチュアを配置し、警護のシミュレーションを行うのだ。

画像: 来訪の数週間前から始まる警護の準備

 要人が乗っている車両の位置や各警務官の配置、移動経路、要人を襲う「脅威者」が隠れそうなトイレなどの施設の位置、非常時に使用する退避用の通路などが、班長によって警務官たちに伝達された。

 要人警護の準備はすでにその1週間前から進められていた。まずは来賓の国の情勢などを調査。その国の政治や経済、国民性、治安の状況などを調べ、来賓の警護や対応の際の参考にする。

画像: トンガ王国の皇太子を乗せた専用車が防衛省から出発する際、鋭いまなざしで周囲の警戒にあたる警務隊の隊員

トンガ王国の皇太子を乗せた専用車が防衛省から出発する際、鋭いまなざしで周囲の警戒にあたる警務隊の隊員

 また、来賓が利用する空港や宿泊施設、防衛省などの目的地への移動経路を現地偵察し、脅威者が潜む死角がないかなどを重点的にチェックする。

「お出迎えからお見送りまで、来賓の安全を守ることは当然として、いかに気持ちよく日本に滞在し、お帰りいただくかというホスピタリティーの意識を持つことも重要です」と、第2班の班長・村松3等陸佐は話す。

「われわれは『警務官プライド』という言葉を胸に、またその責任を感じながら、日々の警護に勤しんでいます」と語る村松3佐

「直接対応するわれわれの行動が、来賓の日本に対する印象にも影響します。ですから、来賓の滞在中は安全確保だけでなく、多面的な配慮が必要であり、来賓が無事に、かつ快適に帰国されるまでが任務なのです」

 そのため、村松3佐は来賓が帰国の際に搭乗した飛行機の運航状況までネットで確認するという。

防衛省内の秩序維持を任務とする中央警務隊

画像: 警務隊の警護専用車は、事前に車体を整備し、磨きあげ、車内を入念に掃除する。警護任務の完遂とともに、要人を迎えるにあたって意識するという警務隊のホスピタリティーが、こうした気配りにも表れている

警務隊の警護専用車は、事前に車体を整備し、磨きあげ、車内を入念に掃除する。警護任務の完遂とともに、要人を迎えるにあたって意識するという警務隊のホスピタリティーが、こうした気配りにも表れている

「複数の隊員で要人を警護するという任務の性格上、第2班には特にチームワークが求められます」と話すのは、中央警務隊長の松岡1等陸佐。

「そこで、1つの任務を遂行した後、『アフター・アクション・レビュー』といういわば反省会を実施し、連携にミスがなかったかなどを振り返って教訓事項を抽出して、次の任務に生かしています」

 ほぼ警務隊一筋という自衛官人生を歩んできたという松岡1佐。そもそも警務隊は自衛隊の中でどのような役割を担っているのか。

「警務隊は日本全国にある自衛隊の基地、駐屯地の秩序を維持するための警察のような部隊であり、その任務は2つに大別されます。

 1つは自衛隊内部の犯罪の捜査や被疑者の逮捕などの司法警察業務。もう1つは交通統制や警護、防犯活動、規律違反の防止などの保安業務です。

 私が隊長を務める中央警務隊は、市ケ谷にある防衛省内の秩序維持のため、以上の任務に就いています」

松岡1佐は、「警務隊は自衛隊という組織の健全性を保つために、あくまで裏方として存在しています」と話す

 防衛省は自衛官をはじめ、約1万人の職員が勤務するという巨大な組織。その健全性の保持を任務とする中央警務隊は、陸・海・空の警務官のスペシャリストが集められている。

「個々に能力があり、任務へのモチベーションも高い部隊なので、私が率先して統率する、ということもなく、安心して仕事を任せられますね。ただし、任務完遂のためには心身の不調があってはいけないので、悩みを抱えた隊員には、話を傾聴し、対応策を丁寧に説明しています」

要人警護に特化した中央警務隊第2班の装備

 中央警務隊第2班の隊員は任務中、迷彩柄の戦闘服を身に着けない。

「本当に自衛官ですか⁉」と思うような、私たちがイメージするほかの自衛官とは異なる装備を紹介する。

制服

画像: 制服

警務官は自衛官用の戦闘服や作業服ではなく、警務官用の制服かスーツを着用。スーツは黒か紺で統一し、ネクタイは当日の任務により全員が統一して、仲間を認識しやすいようにしている

警務手帳

警務手帳にはその所持者の顔写真や氏名、所属などの記載がある。警務官であることを証明し、身分を提示する際に使用される重要なアイテムだ

タクティカルベルト

画像: タクティカルベルト

第2班の警務官だけが身に着ける「タクティカルベルト」。ベルトにはさまざまなアイテムが装備されており、それを収納するケースも付いていて機能的だ。なお、写真はスーツ用のベルトで、これとは別に制服着用時のベルトもある

【特殊警棒】
護身用具や逮捕具として使用される棒状の武器。伸縮して収納できるようになっている

【ライト】
夜間警護の際の見回りや車内に不審物がないかなど暗がりを確認する際に使用

【手錠】
要人警護の際、脅威者を確保した際に使われる、犯人拘束用の手錠

【拳銃】
9㎜拳銃。スイスの「シグサワーP220」のライセンス生産品。1982年に制式採用された小型・軽量の拳銃

(MAMOR2025年8月号)

<文/魚本拓 写真/山川修一(扶桑社)>

※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

  

 自衛隊の航空機が事故を起こしたときなど、素早く事故現場に駆け付けて搭乗員を救い出す任務を負っている航空自衛隊航空救難団。

 2025年5月、マモルは救難員を目指す学生要員の訓練に密着する機会を得た。陸上自衛隊習志野駐屯地で行われる落下傘降下の訓練を中心に、その様子をリポートする。

陸自第1空挺団で落下傘降下の技術を身に付ける

画像: フル装備で跳び出した学生要員は、跳出塔から約60メートル先の土手まで、張られたワイヤにぶら下がり滑降。跳び出して4秒後に上を見て、傘が開いているかを確認する動作を学ぶ

フル装備で跳び出した学生要員は、跳出塔から約60メートル先の土手まで、張られたワイヤにぶら下がり滑降。跳び出して4秒後に上を見て、傘が開いているかを確認する動作を学ぶ

 小牧基地での基礎訓練を終えた学生要員らは、5月中旬からは約6週間、落下傘による基本降下訓練のため、教育の場は陸自習志野駐屯地(千葉県)にある第1空挺団へと移動する。

 基礎訓練でみっちりと鍛えてきたが、ここでもきつく厳しい体力向上運動が待っている。1種目ごとに教官の厳しい指導が入り、そのつらさも増す。

 基本降下訓練は、落下傘降下の着地姿勢を習得する「基本着地訓練」、航空機から飛び出す要領を学ぶ「模擬扉訓練」などを行う。

画像: 跳出塔の高さは約11メートル。人が1番恐怖を感じる高さといわれている。跳び出し時は安全確認できるよう、目を閉じてはいけないと指導を受け、学生要員は跳ぶ

跳出塔の高さは約11メートル。人が1番恐怖を感じる高さといわれている。跳び出し時は安全確認できるよう、目を閉じてはいけないと指導を受け、学生要員は跳ぶ

 最初は何も身に着けず、徐々に装具を増やし、最後は約30キログラムの背のう(リュック)と小銃を持ち、高さ約11メートルの跳出塔から跳び出す訓練を行う。

訓練用の落下傘を装着した学生を宙づりにし、高さ約80メートルの降下塔から切り離す降下塔訓練。落下傘の操作や降下姿勢、安全な着地要領を学ぶ

 それが終わると、高さ約80メートルの降下塔から落下傘で降りる降下訓練となる。

 これら一連の訓練や体力検定などを経て、いよいよ航空機での降下訓練だ。これを5回行うと、基本降下課程は修了となる。

 取材時は跳出塔からの訓練中だった。陸自の学生に交じる救難員課程の学生要員は、真剣な表情で装備点検を教官と行う。

 自分の未来を信じ、「降下!」と叫びながら勢いよく跳び出していった。

 目標とする救難員になるための道のりは、まだまだ長く険しい。今後の厳しい訓練も彼らは強い意志で乗り越えていく。

学生同士の絆が自身も仲間も強くする救難員の教育

「63期ファイト!」学生要員は円陣で叫ぶ。自分と仲間を鼓舞するエールが訓練を乗り越える力になる

 時に怒号も飛び交う救難員教育は非常に厳しいが、主任教官の松本1曹は、「災害が起きる現場は悪天候が当たり前で自然は人間の思い通りにはなりません。

 大自然の脅威の中で遭難者の命を預かり冷静に救助活動を行うには、人並み以上の体力、泳力、精神力、救助技術が必要なのです」と話す。

画像: 教育期間中、学生は隊舎で規則正しい生活を送る。早朝の間稽古はほかの隊員を起こさぬよう、非常階段を使い移動

教育期間中、学生は隊舎で規則正しい生活を送る。早朝の間稽古はほかの隊員を起こさぬよう、非常階段を使い移動

 限界がきてもそれを乗り越えるため、同期一丸となって声を出して励まし団結心を高め、チームワークを育てるのも導入教育の目的の1つだという。

画像: 食事は学生の楽しみの1つ。厳しい教育訓練で連日大量のカロリーを消費するため、学生要員たちの食事量も多い

食事は学生の楽しみの1つ。厳しい教育訓練で連日大量のカロリーを消費するため、学生要員たちの食事量も多い

 実際に学生要員は早朝の起床から訓練、食事、自習や就寝まで常に一緒に行動する。

自由時間に洗濯やアイロンがけをする学生。このときに仲間たちととりとめのない話をするのが息抜きになる

 取材をした63期の学生は22〜27歳、部隊歴もばらばらだが、「仲間は絶対に必要なもの、1人では厳しい訓練は乗り切れません」と学生要員の松藤士長も断言する。

教官も一緒に走り、泳ぐ。「教官は手本にならなくてはいけません。学生には負けません」と主任教官の松本1曹

「着隊時と卒業時では学生の顔つきが変わってきます。自信に満ちあふれ、声も出るようになります。その成長ぶりを一番近くで見ることができるのは教官として最大の楽しみです」と松本1曹は笑顔で話してくれた。

(MAMOR2025年9月号)

<文/古里学 写真/村上淳 写真提供/防衛省>

これが本当のPJ教育隊だ!

※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

 自衛隊には、部隊の精強さを表現し、隊員の士気を高めるためのロゴマーク(シンボルマークもロゴマークに含める)がある。

 どれが一番カッコいいか? 編集部が数えただけでも、軽く200個を超える中から、マモルが選出した審査委員・笠井則幸さんが選んだロゴマークを、「自衛隊ロゴマーク大賞」の「笠井賞」として紹介する。

【笠井則幸】
1972年、千葉県出身。日本大学芸術学部卒業。グラフィックデザイナー、アートディレクター、日本大学芸術学部デザイン学科教授。日本デザインセンターや和光大学専任講師などを経た後、現職。Graphis Poster Annual最高賞や文化庁メディア芸術祭推薦作品推挙などの受賞歴がある

<笠井賞・総合部門大賞> 奄美警備隊(陸上自衛隊)

受賞した奄美警備隊は、どんな部隊?

奄美駐屯地と瀬戸内分屯地(共に鹿児島県)に所在する離島警備部隊。奄美群島の警戒監視を実施し、島しょ防衛を行う

論評:エンブレムのような美しさが際立つデザイン

 とくにヨーロッパ的なエンブレムの雰囲気がありますね。シンメトリーの構図の中央を剣とヘビのモチーフが貫いていて、伸びやかなイメージを見る人に与えます。そしてなにより、デザインとして整っていて、美しさが際立っています。

部隊コメント

 渉外・広報室の田中准尉です。このたびは大賞をいただき、大変光栄に思います。ときには盾、ときには矛となるわれわれを表したロゴマークです。今後も精進します。

<笠井賞・インパクト部門大賞> 第101不発弾処理隊(陸上自衛隊)

受賞した第101不発弾処理隊は、どんな部隊?

那覇駐屯地(沖縄県)に所在する部隊。県内で発見された、主に太平洋戦争末期の沖縄戦で使用された不発弾の処理・安全化を実施する。常に隊員が出動できるよう待機し、年間約600件の不発弾を処理している

論評:シーサーと色使いに強烈なインパクトがある

 沖縄の伝説の守り神シーサーのキャラクターにインパクトがあり、パッと目に飛び込んでくる。それが不発弾をくわえているということで、沖縄の部隊だということと、不発弾処理を行う部隊だということの説明もなされています。

 また、正反対の色となる緑と赤という「補色」が使われ互いの色を引き立て合っているのも面白い。

<笠井賞・生命力部門大賞> 第9偵察戦闘大隊(陸上自衛隊)

受賞した第9偵察戦闘大隊は、どんな部隊?

岩手駐屯地(岩手県)に所在し、装甲車や戦闘車両、オートバイなどを使用して、情報収集や戦闘を任務とする部隊。2024年3月に、戦車部隊と偵察部隊が統廃合され、新編された

論評:黒の中に宿る、生命の力強さと躍動感が目を引く

 黒一色という一見シンプルな表現でありながら、オオカミやウマの持つ生命の力強さや、しなやかで美しい躍動感が鮮明に伝わってきました。見る人の想像力を刺激するような奥行きもあります。

 色を使わずとも、ここまで感情を動かす表現ができることに驚き、心をつかまれました。静けさの中に潜むエネルギーを感じられます。

(MAMOR2025年7月号)

<文/魚本拓 写真(笠井氏)/増元幸司>

自衛隊ロゴマークに着目!

※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

 なぜ防駐官になりたいと思ったのか、派遣が決まってからは何をしていたのか。

 防駐官になるまでのプロセスを、防駐官として赴任が決まり、準備に余念がない防駐官と、かつて防駐官赴任を経験した自衛官に語ってもらった(2025年1、2月取材)。

 このようにして、防駐官はつくられるのだ。

赴任先:トルコ共和国 / 齊藤2等海佐の場合

画像: トルコ語の授業を受ける齊藤2佐

トルコ語の授業を受ける齊藤2佐

●赴任期間
2025年3月~28年3月予定

●赴任前の所属
護衛艦『きりさめ』艦長

●防駐官を希望したのはいつ?
赴任の約18年前

●同行者
妻、長女(7歳)、長男(3歳)
※子どもの年齢は赴任時(以下同)

親日国なので少しでもトルコ語を話したい

 防衛大学校時代に、将来は国際的な仕事をしたいと思い、幹部候補生学校時代に防駐官を目指すことを決めたという齊藤2等海佐。それから18年後の2025年春に、念願かなってトルコの防駐官に赴任することに。

 自衛官として海賊対処の有志連合部隊があるバーレーンで勤務したり、国際関係学を学ぶためアメリカの大学院に留学した経験から英語は話せた上、趣味でフランス語も勉強していたので、新たな準備としては語学学校でトルコ語を習ったそう。

トルコ語の習得のために使用した教材

「1890年にトルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖で遭難したとき、地元住民が救出にあたったり、イラン・イラク戦争のときにトルコの救援機で在イラン邦人が脱出したりと、両国は相互に支え合ってきた歴史があります。私もその架け橋になれるよう努めていきたいですね」と、齊藤2佐は語る。

赴任先:マレーシア / 五十嵐2等海佐の場合

レセプションにて、他国の駐在武官と写真に収まる五十嵐2佐(中央)

●赴任期間
2019年3月~21年7月

●赴任前の所属
統合幕僚監部指揮通信システム部

●防駐官を希望したのはいつ?
赴任の約10年前

●同行者
夫、長女(中学生)

英語力を更新し、宗教的なタブーも確認

 女性初の防駐官として2019年にマレーシアに派遣された五十嵐2等海佐は、「入隊前から身に付けていた語学力を生かした業務に就きたいと希望し、アメリカ海軍や他国との防衛交流に関わる業務を10年以上担当していましたが、女性が防駐官になった前例がなかったので、まさか自分がなれるとは思ってもいませんでした」と話す。

 準備期間には、最新のニュースなどから英語力のアップデートに努め、またマレー語を勉強しつつ現地の文化や歴史などもリサーチ。イスラム教国なので宗教的なタブーなども確認したそう。

「シーレーン(注)の要衝として国際的にも存在感を増しているマレーシアに赴任したことで、コミュニケーションの重要性を再認識しました」と五十嵐2佐は振り返る。

(注)海上交通路のこと。国内で消費する燃料、食料の半数以上を輸入に頼っている日本の生命線といわれる

赴任先:イタリア共和国 / 小山1等空佐の場合

イタリア語のオンライン授業を受ける小山1佐

●赴任期間
2025年3月~28年3月予定

●赴任前の所属
航空幕僚監部運用支援・情報部

●防駐官を希望したのはいつ?
赴任の約3年前

●同行者
なし(子どもの教育のため)

イタリア語で日記をつけ、語学習得に工夫

 航空自衛隊の次期戦闘機の共同開発国として、国防面でも日本とつながりが深いイタリアの防駐官になる小山1等空佐。準備期間中の外務省での研修では、外交官として必要な知識を学び、語学力の向上に努めた。

使用したイタリア語やイタリア史の教材

「イタリア語は英語と比べ、文法や時制が複雑なので、理解するのに苦労しました。そのため、授業以外にもイタリア語で日記をつけたり、イタリア料理の本を読むなどして、少しでも身に付くよう努力しました」

 また、在日イタリア大使館の人たちと交流することでも、イタリアに関する知識を蓄えていったという。

「自衛隊と共同訓練を行う機会も増え、イタリアがインド太平洋地域に関心を深めていると感じています。両国の安全保障面での関係強化に力を尽くしていきたいですね」

(MAMOR2025年6月号)

<文/古里学 写真提供/防衛省>

平和を結ぶ“大使”、防衛駐在官

※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

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