烏丸百九さんが、「改めての謝罪と、LGBTQアライとしての再出発について」と題した、noteの記事を発表しました。
ここでは、その問題点について、指摘します。
該当の記事とは、順番が前後しますが、まずはTGJPについて。
烏丸百九さんは、2024年の11月18日、以下のような投稿を行いました。




烏丸さんのnoteには、詳細が記されていないため、事件の経緯について説明します。
Transgender Japanの共同代表だった浅沼智也さんが、2024年3月14日、強制わいせつの疑いで、青森県警に逮捕されました。
その後、検察によって起訴されました。この時、罪名が暴行罪に変更されています。
裁判において、「被害」を告発した人物の、証言とは食い違う決定的な証拠(写真)が提出され、2025年1月16日、浅沼さんに無罪判決が下されました。
検察が控訴を断念したため、この判決は確定しています。
一般論として、裁判所が不当な判決を下すことは、あります。
しかし、本件は、①途中で罪状が変更されている、②検察に起訴されている(有罪率は、99.8%)、③裁判の過程で、「被害」を訴える人物の証言と矛盾する、客観的な証拠が出てきた、④裁判の結果、無罪だった、⑤検察が控訴しなかった、という事件です。


これだけの要素が揃っているのに、浅沼さんは未だに、「加害者」呼ばわりされ、被害を受け続けています。
烏丸百九さんは、「第三者の判断が降りる前に」、「性加害疑惑」を向けられた人物や、その周辺に対して、非常に強烈な言葉を用いて、非難しました。
「東京トランスマーチ2024」の主催者のみならず、参加者である大椿ゆうこさんにまで、「人権意識と社会常識の欠如」と、罵倒したわけです。
構図としては、冤罪被害者と、その支援者に向けて、人格攻撃、誹謗中傷を行ったのです。
これは、「謝罪」を表明しただけで、済まされる問題なのでしょうか?
烏丸百九さんは、浅沼さんの無罪判決を、リアルタイムで把握していました。

よりによって、LGBT運動を攻撃している松浦大悟の、しかもフェミニストへの当てつけが含まれる投稿を引用しています。
なぜ、今ごろになって、この件に言及したのか。
「どのような事情があったにせよ」と書いていますが、その点こそ誠実に説明する必要があるのではありませんか?
また、烏丸さんの問題は、「警察発表や報道だけを前提に判断していたこと」では、ありません。
フォロワーの発信や、ネットの情報をもとに、「加害者」とされた側を、過剰な言葉を用いて叩くことこそ、根本の問題ではありませんか?
何より、ネットにおいて、「加害」や「差別」の告発がなされた時、「加害者」を批判することで、自らの正しさをアピールしようとする、その姿勢にこそ、本質的な原因があるのではないですか?
今回の烏丸さんの記事で言及されている、李琴峰さんに対する仕打ちも、同じ構図です。
フォロワーから仕入れた情報をもとに、言わなくてもいいことを言いまくった結果、取り返しのつかない事態を引き起こした。
罪のない人をバッシングしても、「謝罪」すれば、それで良しとなるのか?
そもそも、今回の「謝罪」に、大椿ゆうこさんが含まれていません。
何故でしょうか?
烏丸さんは、攻撃した対象のうち、一部にしか「謝罪」しないという癖があります。
いかなる基準に基づいて、謝罪する/しない対象を、選定しているのでしょうか?
浅沼さんに対しては、非難するときは実名を挙げているのに、「謝罪」の時には、「元代表」という肩書きに謝っています。
これは、何故ですか?
また、過去の「謝罪」の問題点として、「謝罪と意見表明(既に非公開済みの配信)を同時に行い、謝罪を濁らせたこと」が挙げられています。
それならば、今回は、謝罪と寄付のアピールを同時に行い、謝罪を濁らせていませんか?
別の記事で言及しますが、烏丸百九さんは、「謝罪」の表明と同時に、「もう、私はあなたちに連帯したくないんです」と言い放った過去があります。
謝罪は謝罪だけで済ませて、余計なことは言わない。
意見表明や自己正当化を、混ぜない。
そのことを本心から学んだのならば、何故今回は、謝罪と寄付のアピールがセットになっているのでしょうか?
しかも、「クラウドファンディングの応援メッセージページ」まで、わざわざ添付して。
「謝罪」すらなされていない段階で、「応援しています!」と寄付をされ、後日それを「謝罪」表明の投稿でアピールされた側は、これをどう受け止めたら良いのでしょうか?
(続く)
該当の記事とは、順番が前後しますが、まずはTGJPについて。
烏丸百九さんは、2024年の11月18日、以下のような投稿を行いました。
烏丸さんのnoteには、詳細が記されていないため、事件の経緯について説明します。
Transgender Japanの共同代表だった浅沼智也さんが、2024年3月14日、強制わいせつの疑いで、青森県警に逮捕されました。
その後、検察によって起訴されました。この時、罪名が暴行罪に変更されています。
裁判において、「被害」を告発した人物の、証言とは食い違う決定的な証拠(写真)が提出され、2025年1月16日、浅沼さんに無罪判決が下されました。
検察が控訴を断念したため、この判決は確定しています。
一般論として、裁判所が不当な判決を下すことは、あります。
しかし、本件は、①途中で罪状が変更されている、②検察に起訴されている(有罪率は、99.8%)、③裁判の過程で、「被害」を訴える人物の証言と矛盾する、客観的な証拠が出てきた、④裁判の結果、無罪だった、⑤検察が控訴しなかった、という事件です。
これだけの要素が揃っているのに、浅沼さんは未だに、「加害者」呼ばわりされ、被害を受け続けています。
烏丸百九さんは、「第三者の判断が降りる前に」、「性加害疑惑」を向けられた人物や、その周辺に対して、非常に強烈な言葉を用いて、非難しました。
「東京トランスマーチ2024」の主催者のみならず、参加者である大椿ゆうこさんにまで、「人権意識と社会常識の欠如」と、罵倒したわけです。
構図としては、冤罪被害者と、その支援者に向けて、人格攻撃、誹謗中傷を行ったのです。
これは、「謝罪」を表明しただけで、済まされる問題なのでしょうか?
烏丸百九さんは、浅沼さんの無罪判決を、リアルタイムで把握していました。
よりによって、LGBT運動を攻撃している松浦大悟の、しかもフェミニストへの当てつけが含まれる投稿を引用しています。
なぜ、今ごろになって、この件に言及したのか。
「どのような事情があったにせよ」と書いていますが、その点こそ誠実に説明する必要があるのではありませんか?
また、烏丸さんの問題は、「警察発表や報道だけを前提に判断していたこと」では、ありません。
フォロワーの発信や、ネットの情報をもとに、「加害者」とされた側を、過剰な言葉を用いて叩くことこそ、根本の問題ではありませんか?
何より、ネットにおいて、「加害」や「差別」の告発がなされた時、「加害者」を批判することで、自らの正しさをアピールしようとする、その姿勢にこそ、本質的な原因があるのではないですか?
今回の烏丸さんの記事で言及されている、李琴峰さんに対する仕打ちも、同じ構図です。
フォロワーから仕入れた情報をもとに、言わなくてもいいことを言いまくった結果、取り返しのつかない事態を引き起こした。
罪のない人をバッシングしても、「謝罪」すれば、それで良しとなるのか?
そもそも、今回の「謝罪」に、大椿ゆうこさんが含まれていません。
何故でしょうか?
烏丸さんは、攻撃した対象のうち、一部にしか「謝罪」しないという癖があります。
いかなる基準に基づいて、謝罪する/しない対象を、選定しているのでしょうか?
浅沼さんに対しては、非難するときは実名を挙げているのに、「謝罪」の時には、「元代表」という肩書きに謝っています。
これは、何故ですか?
また、過去の「謝罪」の問題点として、「謝罪と意見表明(既に非公開済みの配信)を同時に行い、謝罪を濁らせたこと」が挙げられています。
それならば、今回は、謝罪と寄付のアピールを同時に行い、謝罪を濁らせていませんか?
別の記事で言及しますが、烏丸百九さんは、「謝罪」の表明と同時に、「もう、私はあなたちに連帯したくないんです」と言い放った過去があります。
謝罪は謝罪だけで済ませて、余計なことは言わない。
意見表明や自己正当化を、混ぜない。
そのことを本心から学んだのならば、何故今回は、謝罪と寄付のアピールがセットになっているのでしょうか?
しかも、「クラウドファンディングの応援メッセージページ」まで、わざわざ添付して。
「謝罪」すらなされていない段階で、「応援しています!」と寄付をされ、後日それを「謝罪」表明の投稿でアピールされた側は、これをどう受け止めたら良いのでしょうか?
(続く)
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