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〈人間主義の系譜 仏法の源流を見つめて〉 法華経②
〈人間主義の系譜 仏法の源流を見つめて〉 法華経②
2025年12月9日
悠久なる大河も、源流の一滴から始まる――釈尊から法華経、日蓮大聖人、そして創価学会へと至る人間主義の系譜。世界に広がる民衆仏法の源流をたどりたい。ここでは、釈尊の入滅以降における教えの継承について見ていく。(教学解説部編。月1回掲載。前回は11月11日付)
悠久なる大河も、源流の一滴から始まる――釈尊から法華経、日蓮大聖人、そして創価学会へと至る人間主義の系譜。世界に広がる民衆仏法の源流をたどりたい。ここでは、釈尊の入滅以降における教えの継承について見ていく。(教学解説部編。月1回掲載。前回は11月11日付)
仏が出現した理由
仏が出現した理由
“衆生こそ尊極なり”との大宣言
“衆生こそ尊極なり”との大宣言
紀元前後のインドにおいて、仏典を再解釈する経典創作運動、すなわち大乗仏教が興起した。この「偉大な乗り物」を意味する「大乗」の担い手たちは、自らを「菩薩」と称し、それまでの伝承を捉え直し、再構築することで、新たな経典を生み出していく。次々と編さんされた大乗の経典に基づいて、後世には、仏教は理論的にも大いに発展をみる。
とりわけ、「諸経の王」と称される「法華経」は、後に中国、そして韓・朝鮮半島を経て日本にもたらされる中で、その思想の卓越性と漢訳文の豊かな芸術性から、人々に最も尊崇・愛好され、広まった経典である。
インドの仏教と仏教文化が東アジアに伝来したのは、古代世界の東西を結んだ二つの大きな通商ルートを経由していた。北方の陸路シルクロードと、南方の貿易海路である。このうち、法華経はシルクロードを経て中央アジアのオアシス都市に流通し、やがて中国で漢訳された。現存する法華経の漢訳完本は3種類あるが、中でも、東アジアにおいて殊に普及しているのは、5世紀初頭の訳経僧・クマーラジーヴァ(鳩摩羅什)が翻訳した「妙法蓮華経」である。
それでは、“八万法蔵”ともいわれる膨大な仏典群の中で、なぜ法華経が「諸経の王」とされるのか。結論を先取すれば、それは、法華経において初めて「万人成仏」の法理が説き明かされたからにほかならない。
28品(章)からなる法華経。その冒頭(序品第1)は、釈尊の説法を求める大勢の聴衆が、インドの王舎城郊外の耆闍崛山(霊鷲山)に集まる場面から始まり、続く方便品第2で、釈尊がいよいよ法を説き始める。
ここで釈尊は、自身がこの世界に出現した根本の理由(一大事因縁)を明かす。それは、あらゆる衆生に仏の知見(智慧)を開かせ、示し、悟らせ、その境地に入らせるためである、と。
この「開示悟入の四仏知見」について、日蓮仏法の視座から池田先生は述べる。
「衆生の仏知見(仏界)を開かせるということは、衆生に仏知見が具わっているということです。仏知見があるのは、衆生が本来、仏だからです。つまりこれは『衆生こそ尊極の存在なり』という一大宣言なのです」(『法華経の智慧』普及版〈上〉)
法華経以外の経典では、あらゆる衆生の成仏を説いておらず、その可能性を否定するものもあった。しかし、法華経においては、まさに「開示悟入」の原理などに見るように、一切衆生に仏界が本来具わっていることが示唆されている。釈尊が願った万人成仏への道は、法華経によって開かれていくのである。
さらに方便品では、法華経以前に諸経で説かれた声聞・縁覚・菩薩のための三種の教え(三乗)は、成仏へ至らせる唯一の教え(一仏乗)に導くための方便(手だて)であることが明かされる。
紀元前後のインドにおいて、仏典を再解釈する経典創作運動、すなわち大乗仏教が興起した。この「偉大な乗り物」を意味する「大乗」の担い手たちは、自らを「菩薩」と称し、それまでの伝承を捉え直し、再構築することで、新たな経典を生み出していく。次々と編さんされた大乗の経典に基づいて、後世には、仏教は理論的にも大いに発展をみる。
とりわけ、「諸経の王」と称される「法華経」は、後に中国、そして韓・朝鮮半島を経て日本にもたらされる中で、その思想の卓越性と漢訳文の豊かな芸術性から、人々に最も尊崇・愛好され、広まった経典である。
インドの仏教と仏教文化が東アジアに伝来したのは、古代世界の東西を結んだ二つの大きな通商ルートを経由していた。北方の陸路シルクロードと、南方の貿易海路である。このうち、法華経はシルクロードを経て中央アジアのオアシス都市に流通し、やがて中国で漢訳された。現存する法華経の漢訳完本は3種類あるが、中でも、東アジアにおいて殊に普及しているのは、5世紀初頭の訳経僧・クマーラジーヴァ(鳩摩羅什)が翻訳した「妙法蓮華経」である。
それでは、“八万法蔵”ともいわれる膨大な仏典群の中で、なぜ法華経が「諸経の王」とされるのか。結論を先取すれば、それは、法華経において初めて「万人成仏」の法理が説き明かされたからにほかならない。
28品(章)からなる法華経。その冒頭(序品第1)は、釈尊の説法を求める大勢の聴衆が、インドの王舎城郊外の耆闍崛山(霊鷲山)に集まる場面から始まり、続く方便品第2で、釈尊がいよいよ法を説き始める。
ここで釈尊は、自身がこの世界に出現した根本の理由(一大事因縁)を明かす。それは、あらゆる衆生に仏の知見(智慧)を開かせ、示し、悟らせ、その境地に入らせるためである、と。
この「開示悟入の四仏知見」について、日蓮仏法の視座から池田先生は述べる。
「衆生の仏知見(仏界)を開かせるということは、衆生に仏知見が具わっているということです。仏知見があるのは、衆生が本来、仏だからです。つまりこれは『衆生こそ尊極の存在なり』という一大宣言なのです」(『法華経の智慧』普及版〈上〉)
法華経以外の経典では、あらゆる衆生の成仏を説いておらず、その可能性を否定するものもあった。しかし、法華経においては、まさに「開示悟入」の原理などに見るように、一切衆生に仏界が本来具わっていることが示唆されている。釈尊が願った万人成仏への道は、法華経によって開かれていくのである。
さらに方便品では、法華経以前に諸経で説かれた声聞・縁覚・菩薩のための三種の教え(三乗)は、成仏へ至らせる唯一の教え(一仏乗)に導くための方便(手だて)であることが明かされる。
中国・敦煌の鳴沙山。シルクロードの要衝として栄えた“砂漠のオアシス都市”敦煌は古来、仏教流伝の歴史においても重要な役割を担った(PIXTA)
中国・敦煌の鳴沙山。シルクロードの要衝として栄えた“砂漠のオアシス都市”敦煌は古来、仏教流伝の歴史においても重要な役割を担った(PIXTA)
釈尊の真実の境地
釈尊の真実の境地
永遠常住の仏界の生命は万人に
永遠常住の仏界の生命は万人に
仏の真意は「一仏乗」の法華経である――方便品の中で、そう示した釈尊は、“法華経を説くことによって、「皆、私と等しい仏の境涯に(如我等無異)」との昔からの誓願は、今や完全に実現した”と宣言した。
それを具体的に示すように、続く譬喩品第3から授学無学人記品第9まで、釈尊の直弟子たち(声聞)に対して、未来の成仏を保証する「授記」のドラマが展開していく。これにより、法華経以前の経典では成仏できないとされてきた、声聞・縁覚という二乗の成仏(二乗作仏)が明示されたのだ。
さらに、同じように否定されてきた「悪人成仏」「女人成仏」についても、提婆達多品第12で、仏法上の大罪を犯した釈尊の弟子デーヴァダッタ(提婆達多)と、竜女という少女が、それぞれ成仏する話によって示唆されている。
このように法華経は、あらゆる差異を超え、誰もが平等に成仏できることを説いたのだ。それはまた、万人の幸福を願った釈尊の思想と行動を、新たな形で蘇生させたということもできよう。「生命尊厳」「万人尊敬」という仏法の人間主義が強く脈打つ法華経の思想こそ、大乗仏教の精髄にほかなるまい。
ここまで見た内容は、法華経28品の前半(迹門)で説かれた内容だ。
後半(本門)では、如来寿量品第16で、釈尊が計り知れないほど長遠な過去(久遠)に成仏して以来、この娑婆世界において衆生を教化し続けてきたという「久遠実成」の法理が明かされる。それは、“釈尊は今世において出家し、菩提樹の下で初めて覚りを開いた”とする従来の釈尊観からすれば、驚天動地の説法であろう。
これにより、釈尊の本来の真実の境地(本地)は、無限の過去から未来まで、常に存在する「永遠の仏」であることが明かされたのだ。
すなわち、仏とは仏界――単に“歴史上の釈尊”という個人のことではなく、釈尊がその身に現した仏の生命境涯――であり、それが永遠であることを示しているといえよう。さらに、法華経の万人成仏の教説を踏まえれば、その仏界の生命が、万人に内在していることをも表していよう。
池田先生は語っている。
「無始無終の常住の仏は、宇宙生命そのものであり、一瞬の停滞もなく、つねに不断に、一切衆生を救おうと活動しておられる。その仏と自分自身が、じつは一体であり、自分自身が久遠の昔から人々を救うため、広宣流布のために働いてきたのだ、今だけのことではないのだ――そう自覚するのが寿量品の心です」(『法華経の智慧』普及版〈中〉)
仏は永遠にいる。そして、あなたたち自身にも仏界の生命は具わっている。法華経が示す慈悲のメッセージは、苦悩の底に沈む幾多の人々に、大いなる希望をもたらしていく。(続く)
仏の真意は「一仏乗」の法華経である――方便品の中で、そう示した釈尊は、“法華経を説くことによって、「皆、私と等しい仏の境涯に(如我等無異)」との昔からの誓願は、今や完全に実現した”と宣言した。
それを具体的に示すように、続く譬喩品第3から授学無学人記品第9まで、釈尊の直弟子たち(声聞)に対して、未来の成仏を保証する「授記」のドラマが展開していく。これにより、法華経以前の経典では成仏できないとされてきた、声聞・縁覚という二乗の成仏(二乗作仏)が明示されたのだ。
さらに、同じように否定されてきた「悪人成仏」「女人成仏」についても、提婆達多品第12で、仏法上の大罪を犯した釈尊の弟子デーヴァダッタ(提婆達多)と、竜女という少女が、それぞれ成仏する話によって示唆されている。
このように法華経は、あらゆる差異を超え、誰もが平等に成仏できることを説いたのだ。それはまた、万人の幸福を願った釈尊の思想と行動を、新たな形で蘇生させたということもできよう。「生命尊厳」「万人尊敬」という仏法の人間主義が強く脈打つ法華経の思想こそ、大乗仏教の精髄にほかなるまい。
ここまで見た内容は、法華経28品の前半(迹門)で説かれた内容だ。
後半(本門)では、如来寿量品第16で、釈尊が計り知れないほど長遠な過去(久遠)に成仏して以来、この娑婆世界において衆生を教化し続けてきたという「久遠実成」の法理が明かされる。それは、“釈尊は今世において出家し、菩提樹の下で初めて覚りを開いた”とする従来の釈尊観からすれば、驚天動地の説法であろう。
これにより、釈尊の本来の真実の境地(本地)は、無限の過去から未来まで、常に存在する「永遠の仏」であることが明かされたのだ。
すなわち、仏とは仏界――単に“歴史上の釈尊”という個人のことではなく、釈尊がその身に現した仏の生命境涯――であり、それが永遠であることを示しているといえよう。さらに、法華経の万人成仏の教説を踏まえれば、その仏界の生命が、万人に内在していることをも表していよう。
池田先生は語っている。
「無始無終の常住の仏は、宇宙生命そのものであり、一瞬の停滞もなく、つねに不断に、一切衆生を救おうと活動しておられる。その仏と自分自身が、じつは一体であり、自分自身が久遠の昔から人々を救うため、広宣流布のために働いてきたのだ、今だけのことではないのだ――そう自覚するのが寿量品の心です」(『法華経の智慧』普及版〈中〉)
仏は永遠にいる。そして、あなたたち自身にも仏界の生命は具わっている。法華経が示す慈悲のメッセージは、苦悩の底に沈む幾多の人々に、大いなる希望をもたらしていく。(続く)
[VIEW POINT]三車火宅の譬え
[VIEW POINT]三車火宅の譬え
法華経方便品第2で説かれる一仏乗の思想。続く譬喩品第3では、その法理を「三車火宅の譬え」で示しています。――家が火事であることを知らずに遊んでいる子どもたちを救うため、父である長者は、羊車・鹿車・牛車の三車を示して子どもたちを外に誘い出し、出てきた時には、それらに勝る大白牛車を与えた――。
長者は「仏」を、子どもたちは「一切衆生」を示し、燃え盛る家(火宅)は「苦悩の世界」を表します。三車は、法華経以前に説かれた「三乗」の教えで、大白牛車は一切衆生の成仏を説いた「一仏乗(法華経)」のこと。法華経以前の教えは方便であり、仏の真意は法華経にあることを譬えています。
日蓮大聖人は、大白牛車について、「法性の空に自在にとびゆく車」(新2050・全1584)と仰せです。妙法を持つ限り、大空を自在に舞うがごとき大境涯へと飛躍していける。信心ある人生に、行き詰まりはありません。
この希望の哲理を胸に、励ましの連帯を世界192カ国・地域に築いているのが創価学会です。全人類を苦悩の“火宅”から救わんとした、仏の大慈悲で地球を包む私たちの歩みは、“仏法史上、未曽有の壮挙”にほかならないのです。
法華経方便品第2で説かれる一仏乗の思想。続く譬喩品第3では、その法理を「三車火宅の譬え」で示しています。――家が火事であることを知らずに遊んでいる子どもたちを救うため、父である長者は、羊車・鹿車・牛車の三車を示して子どもたちを外に誘い出し、出てきた時には、それらに勝る大白牛車を与えた――。
長者は「仏」を、子どもたちは「一切衆生」を示し、燃え盛る家(火宅)は「苦悩の世界」を表します。三車は、法華経以前に説かれた「三乗」の教えで、大白牛車は一切衆生の成仏を説いた「一仏乗(法華経)」のこと。法華経以前の教えは方便であり、仏の真意は法華経にあることを譬えています。
日蓮大聖人は、大白牛車について、「法性の空に自在にとびゆく車」(新2050・全1584)と仰せです。妙法を持つ限り、大空を自在に舞うがごとき大境涯へと飛躍していける。信心ある人生に、行き詰まりはありません。
この希望の哲理を胸に、励ましの連帯を世界192カ国・地域に築いているのが創価学会です。全人類を苦悩の“火宅”から救わんとした、仏の大慈悲で地球を包む私たちの歩みは、“仏法史上、未曽有の壮挙”にほかならないのです。