新撰組ファンの方々には申し訳ないのですが
私が知らされている新撰組は
武士になりたかった浪人たちの集まりで
武士の作法などには程遠く。
京都守護職は家への負担が大きく
職を命じられた会津松平家は人材不足で
新撰組にお願いした。
武士の作法とは
剣の技術だけでなく
立ち振る舞いなど、厳しいものでした。
また、刀を抜く事は
武士の恥とされてもいました。
新撰組は京都での態度が悪く
(オレ達が守ってやっているんだ!的な横暴な態度が散見)
京都の人たちには嫌われていた。
当時、職業は世襲制で
武士は幼い頃から、武士になる教育
を受けていました。
なりたいから武士になる
なんて、あり得ない事でした。
幕末は色々混乱。
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