【四方拝とは何か】
~始まったルーツとその歴史~
始まりは平安時代(794年〜1185年)初期と言われており、宇多天皇の時代に定着したとされ、「宇多天皇御記」にある寛平2年に行われた記録が最古のものとなっています。
当時、病気や疫病、地震・火災などの災いごとは神の祟りが起こすものとされていて、当時の平安貴族の間で主流だった陰陽道が基本となり、神祇祭祀の中には陰陽要素を含む祭祀が多くありました。その中でも元旦に行われる四方拝は特別なものだったことでしょう。
※つまり元来有った神道に対して陰陽道道の連中が色々行事に口出しをしたという事実が有るって事。それって八咫烏の事だと思うけどねW
この時代では豊臣秀吉により、陰陽師の弾圧や迫害が始まり、陰陽道は一気に力を失っていき、代わりに神道色が強くなっていくのです。
※豊臣の動きって侵略勢力には厳しいですよね。キリシタン迫害とか、つまり世を治める位の器が有ったので、侵略してくる(武力によらない思想改編という思想の方の侵略で有ったとしても)結構敏感だったと私は推察します。
他の宮中祭祀は摂関や神祇伯が代拝することが多くなりましたが、四方拝は代拝は行われませんでした。これは天皇本人の守護星や父母に対する拝礼であったためです。
15世紀後半の応仁の乱で一時中断されましたが、後土御門天皇の時代である文明7年(1475年)に再興され、19世紀後半の孝明天皇の時代まで京都御所の清涼殿で行われていた。
明治時代以降
明治時代以降は、それまであった道教の影響である北斗七星信仰などは排除され、神道の祭祀として再構成され、国の行事「四方拝」として行われ、現在も受け継がれています。
【実際にどういう風に行われるか?】
四方拝は毎年1月1日、元旦の早朝に宮中で行われる儀式で。皇室祭儀の四大節の一つ。
天皇が天地四方の神祇を拝し、年災消滅・五穀豊穰を祈る儀式と言われていて、元旦に宮中で行われる祭の「歳旦祭(さいたんさい)」の前に宮中・神嘉殿の南庭で天皇により行われます。
【近代ではどういう風に変わったか?】
明治時代以降は、それまであった道教の影響である北斗七星信仰などは排除され、神道の祭祀として再構成され、国の行事「四方拝」として行われ、現在も受け継がれてました。また、現在では個人でも四方拝を取り入れ、元旦に家庭で四方拝をおこなっている方も多いようです。
四方とは方角のことなので、それぞれの方向に向けて神々に祈りを捧げて1年の無事を願うのです。
ここからはご家庭においての四方拝の内容とやり方をご紹介していきます。ぜひ皆さんも取り入れてみてはいかがでしょうか。元旦の朝5時30分に天皇のみが着ることが許されている「黄櫨染御袍(こうろぜんのごぼう)」を纏い、伊勢神宮・山陵・天地四方の神々を拝す儀式です。
実際に私たちの目には触れない儀式なのですが、その内容とはいったいどんなものなのでしょうか?
「四方拝」という儀式の内容元々は皇室令の一つ、「皇室祭祀令」の23条に定められていましたが、廃止された現在では一般公開はされず、皇室の私的行事とされています。
四方拝の儀式内容
元旦の朝5時30分に天皇のみが着ることが許されている「黄櫨染御袍(こうろぜんのごぼう)」を纏い、伊勢神宮・山陵・天地四方の神々を拝す儀式です。拝する神々の明細は
●伊勢神宮(内宮・外宮)
●天神地祇(すべての神々)
●神武天皇陵
●先帝三代の陵
●武蔵国一宮
●山城国一宮
●石清水八幡宮
●熱田神宮
●常陸国一宮
●下総国一宮。
また、天皇は日本国のために行うので全国の神宮・一宮に向けて拝むと言われています。
①」1番最初は北に向かって、北極星・北斗七星、北辰を拝みましょう
北極星・北辰は大変な力を持っているといわれ昔の権力者たちはこのことから民衆から北辰信仰を取り上げてきたという歴史もあるほどです。
②先ず、「〜(方角)にまします全ての御神仏、ありがとうございます。」と言ったふうに唱え
次は、時計回りに拝んでいく
北→東→南→西の順に拝したら、北辰スタートとして、北辰→東→南→西→北というふうにしてもよい。
③最後は、伊勢神宮・鎮守様・先祖の墓地(父方・母方両方)を拝む。
- 伊勢神宮(内宮・外宮)
- 天神地祇(すべての神々)
- 神武天皇陵
- 先帝三代の陵
- 武蔵国一宮
- 山城国一宮
- 石清水八幡宮
- 熱田神宮
- 常陸国一宮
- 下総国一宮
④唱える呪文は、平安時代の書物で、宮中の儀式などを記した「江家次第(こうけしだい)」によると
- 賊寇之中過度我身(ぞくこうしちゅうかどがしん)
- 毒魔之中過度我身(どくましちゅうかどがしん)
- 毒氣之中過度我身(どくけしちゅうかどがしん)
- 危厄之中過度我身(きやくしちゅうかどがしん)
- 五急六害之中過度我身(ごきゅうろくがいしちゅうかどがしん)
- 五兵六舌之中過度我身(ごへいろくぜつうしちゅうかどがしん)
- 厭魅之中過度我身(えんみしちゅうかどがしん)
- 萬病除癒、所欲随心、急急如律令(まんびょうじょゆ、しょよくずいしん、きゅうきゅうにょりつりょう)
と書かれている。要約すると、
「この世で起こる様々な困難は我が身を通して下さい。全て私が引き受けるので、国民をお守り下さい。」
という意味で、自らを捧げ、神々へ国民の安泰を祈っているのです。
何よりも先ず、自らを捧げ、家族や周りの人々の平和を願う気持ちを持つことが大切ということでしょう。
- 毎年1月1日、元旦の早朝に宮中で行われる儀式で、皇室祭儀の四大節のひとつ。
- 元旦に宮中で行われる祭の「歳旦祭(さいたんさい)」の前に宮中・神嘉殿の南庭で天皇により行われる。
- 現在では一般公開はされず、皇室の私的行事とされている。
- 始まりは平安時代(794年〜1185年)初期。
- 神道の祭祀として再構成され、国の行事「四方拝」として行われ、現在も受け継がれている。
~以上解説終わり~
ネットでは、この秘儀の事について多くの内容が
「この世で起こる様々な困難は我が身を通して下さい。全て私が引き受けるので、国民をお守り下さい。」とういう美談になっている。要は自分が身代わりになるから国民の痛みも全て受けるからって意味ね。 私はそれは実は全然違っていると思います。
※こういう言い方すると皇室が大嫌いだから言っているんだろうと勘違いされるといけませんので、もう一度私の考えについてお話しておきます。現在の愛子ちゃんとか良い人だろうし、学習院でも学校が一緒だった人が居て近所の人達や友人の数々(実際に接した事の有る人達)からも現天皇の人柄とかサーヤさんの人格の素晴らしさも伝え聞いており彼らの事を非難したい訳では有りませんので、誤解しないで下さるようにお願い足します。寧ろ人的には好感持てる様な人たちだと思っています。
なので私が扱いたいのは、彼らへの非難ではなく周りの連中がやった事や、それまでの天皇がやった真実について調べたありのままをお話ししているのにすぎません。嫌いとか好きとかの次元でブログを通して皆様に伝えている訳ではないと今一度固く申し上げておきます。
さて、話を戻します。しかしです・・・・やはりというか、伊勢神宮の心御柱の御神事の記録を見る四方ではなく八方と有ります。これは上記のこの文章を見ると分かってくる事が有ります。
『明治時代以降は、それまであった道教の影響である北斗七星信仰などは排除され、神道の祭祀として再構成され、国の行事「四方拝」として行われ、現在も受け継がれています』
つまり、効き目のない行事にされたものを天皇がしているという事になります。
四方とは何かと申しますとヤハウェなんかじゃありませんよWこれは方位を表すんです。皆様が算数なので何気に目にする正方形ですが。
陰陽道では『大地』を表します
※それもおかしな話で、神道の長がやってい儀式ならそれに倣えするのが傘下の役目。なのにやらない。何故だと皆様は思いますか?
はい、私なら分かりますよ。知られないためですよね八方の事を。そんなに良い呪術なら庶民の皆様に公開してやり方を教えたらどう?
なんで自分達だけやっているの?ってところでも国民の為とは私は思っていません。(ごめんなさい。皇室ファンの方が居たら)けど多分現代の人はそこまで分からないで後を継いでいる可能性が有るんだと私が見ている(つまり良いものですよと教えられ、内密にしないと凄い神聖なものだからと言われたら守でしょう。つまり当事者に責任が有ると私は思っていませんので特定の人の悪口を言うつもりはないです)
けど八方が有る事さえ国民に教えず。簡略型の四方を更に隠す。そして一番効き目のあるはずの北極星を使う事を天皇家から奪ったものが居るという事が私の文章をみて分かるはずです。
隠蔽の為か、そもそも表の天皇には本当の事を教えるつもりが無いのか諸事情は現場の人間ではないので定かではないですが、少なくとも国民の為という自分達の為だと思いますね。
私がそいういう事をいう理由が最も良く出てい居るのは拝む場所その物です。
- 伊勢神宮(内宮・外宮)
- 天神地祇(すべての神々)
- 神武天皇陵
- 先帝三代の陵
- 武蔵国一宮
- 山城国一宮
- 石清水八幡宮
- 熱田神宮
- 常陸国一宮
- 下総国一宮
この場所の解説を次回はしていきたいと思います。
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