真珠湾で「神」になった農家の長男 国民駆り立てた「英霊システム」

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渡辺洋介 矢島大輔
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 東京・九段の靖国神社にある展示施設「遊就館」には、「真珠湾の九軍神」を扱う展示がある。

 紹介されるのは、9人の若者。1941年12月8日、魚雷を積んだ小さな潜水艦「特殊潜航艇」に乗って米ハワイの真珠湾攻撃に参加し、命を落とした。遺書が飾られ、「全員決死の覚悟で出撃し、1名を残して9名が戦死を遂げ、九軍神と讃(たた)えられた」と説明されている。

 この真珠湾攻撃により、太平洋戦争が始まった。

 9人の死は42年3月になって発表された。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)などが戦果を挙げた真珠湾攻撃の陰で、生還の見込みの薄い潜航艇で出撃した9人は「史上空前の壮挙を敢行」と称賛された。当時の朝日新聞(東京本社版)は「偉勲輝く特別攻撃隊」との見出しで、9人全員の遺影を掲載した。

 天皇に命を捧げた兵士たちを「英霊」として国家的にたたえる。過酷な戦場に向かい死んでいく行為に「名誉」を保障する機能を担ったのが靖国神社だった。

 9人も「神」として靖国神社にまつられ、伝記が出版され、絵画や彫像がつくられた。九軍神の1人・上田定(かみたさだむ)兵曹長(戦死後に2階級特進)の広島県の実家には、「軍神の家」といった標柱が立てられた。

 米国との戦争は、国力で劣る日本が徐々に劣勢となる。玉砕、特攻――。国民が次々と絶望的な戦いに送り出され、多くの「軍神」が生まれた。現在、靖国神社にまつられている人は累計約246万人にのぼる。

84年前の12月8日、太平洋戦争が始まりました。以降、戦死者数は尻上がりに増え、靖国神社にまつられる「英霊」の数もふくらんでいきます。真珠湾攻撃が行われた日に、あらためて「靖国問題」とは何かを考えます。

 定のおい・上田賢治さん(70)=広島県北広島町=は、親族から伝え聞いてきた話がある。

 真珠湾攻撃の後、定の実家に戦死の知らせが届いた。「手柄を立てられて、おめでとうございます」。村長から声をかけられた定の母親は、こう言い返したという。

 「私にとっては、大事な長男…

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この記事を書いた人
渡辺洋介
東京社会部|憲法・戦後80年
専門・関心分野
食、戦争、東日本大震災
戦後80年

戦後80年

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