「チンパンジーが配属されてきたら」問題は、なぜ「誤読」ではないのか──HRTechが踏まえるべき国際的な倫理ライン
今回問題になった記事はすでに削除されていますし、ここでリンクも引用もしません。ただ、構造だけは確認しておきます。
タイトルは「チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?」
チンパンジーは「同じ部署のメンバー」として扱われる
マネージャー視点で「どうマネジメントするか」が語られる
途中で重大なトラブルが起き、労災やPTSD、射殺にまで言及する
つまりこれは、「問題のある部下/同僚」をチンパンジーのイメージで語る構造です。「チンパンジーというキャラクターで、課題を寓話的に表現しただけだ」「人間を動物に喩えたわけではない」という“逃げ”がSNS上で散見されますが、構造上それは成り立ちません。
もし本当に「課題」だけをチンパンジーに喩えているなら、
チンパンジーを労働者と同じ扱いに置く必然性はどこにもない
「配属」「上司」「同僚」「マネジメント」という文脈は、通常100%人間に紐づく
はずです。 にもかかわらず、記事は「あなたのチームにチンパンジーが一人配属された」という前提から始まる。これは、読者にどう読ませようとしているかを考えれば明らかです。
「扱いづらい同僚/部下がいたとして、もしそいつがチンパンジーだったらどうする?」
というイメージを、ほぼストレートに呼び起こす構図になっている。 だからこれは「人間を動物に喩えた表現ではない」という弁解が成立しない、というところから出発する必要があります。
人間を動物に喩えることが、なぜ世界標準では“倫理タブー”なのか
ここで重要なのは、「日本ではあまり意識されていないが、国際的にはどう扱われているのか」です。
1. EEOC(米国平等雇用機会委員会)の明示的な位置づけ
アメリカのEEOCが2024年に出した「Enforcement Guidance on Harassment in the Workplace(職場におけるハラスメントに関する執行ガイダンス)」では、ハラスメントの典型例として以下が挙げられています。
“The use of denigrating animal imagery, such as comparing the employee to a monkey, ape, or other animal,” (米国平等雇用機会委員会)
(邦訳イメージ: 「従業員をサル、類人猿その他の動物になぞらえるような、他者を貶める動物イメージの使用」)
つまり「従業員をチンパンジーなどに喩えること」それ自体が、ハラスメントの典型例として明示されている。 これは草の根の「ポリコレ」レベルではなく、米国の法執行ガイドラインの文章です。 原文はこちらで公開されています: https://www.eeoc.gov/laws/guidance/enforcement-guidance-harassment-workplace (米国平等雇用機会委員会)
また、米国の雇用差別訴訟を扱う弁護士サイトでは、次のような説明もあります。
“Dehumanizing conduct, such as referring to Black people as monkeys, is inherently racist and clear evidence of race discrimination.” (Navigate Law Group)
「黒人を“モンキー”と呼ぶような人間性を奪う言動は、それ自体が本質的に差別的であり、明白な人種差別の証拠である」とまで書かれている。
ここまで来ると、「動物呼ばわりはちょっと不適切」程度ではなく、「人種差別として訴訟リスクがある行為」と理解されていることがわかります。
2. HRプロフェッショナル団体の基本線
英国の人事プロフェッショナル団体 CIPD の“Harassment and bullying at work” ファクトシートでは、職場ハラスメントの前提としてこう述べています:
“People have the right to be treated with dignity and respect at work.” (CIPD)
(「人々は職場で尊厳と敬意をもって扱われる権利がある」)
そして、組織はハラスメントやいじめを防ぐためのポリシーと手続を整備し、あらゆる不当な扱いを真剣に受け止めるべきだと明記しています。(CIPD) 原文:https://www.cipd.org/en/knowledge/factsheets/harassment-factsheet/
ここでわざわざ「動物に喩えるな」と書いていなくても、尊厳と敬意を前提にしたガイドラインの下で、「従業員をチンパンジー扱いする」ような表現が許されないのは明らかです。
3. 「動物メタファー」が持つ歴史的な暴力性
黒人を「猿」「チンパンジー」と呼ぶ言説は、奴隷制・植民地主義・人種隔離の歴史の中で体系的に使われてきた侮辱です。
ユダヤ人を「ネズミ」「害獣」、ルワンダのツチ族を「ゴキブリ」と呼ぶプロパガンダが、ジェノサイドと結びついていたのもよく知られた事実です。(Royal Society Publishing)
こうした「動物化(animalistic dehumanisation)」は、単なる比喩ではなく、「人間として扱わなくてよい存在」として位置づけ実際の暴力や差別を正当化するための準備段階として機能してきました。 だからこそ、欧米のHR・法令ガイドラインでは「人間を動物に喩える表現」が極めて強く忌避されているわけです。
「課題をチンパンジーに喩えただけ」はなぜ逃げ道にならないか
今回のケースでよく見られた反応は、
「人間をチンパンジーに喩えたんじゃなくて、“問題”をチンパンジーというキャラにしただけでは?」
というものです。 これは一見もっともらしく見えますが、HR文脈で考えると成立しません。
物語の舞台は「会社」であり、登場人物の役割は「上司」「部下」「同僚」です。
メインの課題は「チームにとって有害な存在をどう扱うか」という、典型的な人間組織のマネジメント問題です。
その役回りをチンパンジーが担っている時点で、「問題のある同僚/部下」をチンパンジーに重ねる読みは避けられない。
もし本当に「課題だけ」をキャラ化したいなら、たとえば:
チンパンジーは動物園にいる
人間のチームは、どうやって“チンパンジーを安全に飼育・観察するか”を議論する
という構図で十分です。 わざわざ「配属」「マネジメント」「労災」「PTSD」「射殺」という、労働者=人間を前提とした要素に突っ込んでいく必然性はありません。
もう少し極端な例えを出すと、「社内の問題を描きたいから」と言って、
「〇〇(被差別部落系の差別用語)が配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?」
みたいなタイトルの記事を、会社公式アドベントカレンダーに出すことはあり得ませんよね。 書いた本人が「いや、特定の個人や集団を指していない。問題構造を示しただけだ」と主張したところで、歴史的な差別と結びついたラベルを、問題社員のメタファーに使っている以上、アウトなのは自明です。
チンパンジーのケースも、構造としてはこれと変わりません。 違うのは「日本社会の多数派にとって、差別としての歴史が“見えにくい”」という一点だけです。 「誤読だ/曲解だ」という反論は、歴史的文脈と国際的なコンプライアンス水準を無視したものだと言わざるを得ません。
HRの国際基準から見ると、今回の表現はどの位置づけか
EEOCのガイドラインに戻ると、先ほどの「monkey, ape, or other animal comparison」は、以下のような項目と並列で挙げられています。(米国平等雇用機会委員会)
性的暴行
暴力や暴力の脅し
ナチスのカギ十字やKKKのフード、絞首縄などのヘイトシンボルの掲示
動物イメージによる侮辱
セクハラの見返りとしての利益の拒否
つまり、「従業員をチンパンジーに喩える」行為は、職場ハラスメントの中でもかなり“強い側”に位置づけられている。 これが欧米圏の「HRと法務の共通認識」です。
CIPDやカナダ・英国等の人権機関が出すガイドラインも、同じ方向を向いています。
職場でのハラスメントとは、「望まれない言動であり、相手の尊厳を傷つけ、敵対的・侮辱的な環境を作るもの」だと定義される (advancewomenintrades.com)
その中には、人種や障害、性別などの保護される属性に結びついた「侮辱語」「ステレオタイプ」「非人間化する表現」が含まれる
こうした国際的な枠組みから見たとき、今回のような記事をHR Tech企業が公式アドベントカレンダーで公開することは、
「自社が提供するべきハラスメント防止・DEI(Diversity 多様性, Equity 公平性, & Inclusion 包摂)の基準を、自ら踏み抜いた」
と評価されても仕方がないレベルです。
「ヒヤリハット」として扱うべきもの
一方で、今回の件をすべて「書いた個人がバカだった」で片づけるのも危険です。
個人レベルの不適切行為は、どんな組織でもゼロにはならない
重要なのは、「それをどの段階で発見し、被害が出る前に止める仕組みがあるか」
医療や航空、工場安全の世界では、これをインシデント/ヒヤリハットとして扱います。 「事故(アクシデント)」に至る前に、ヒヤリとした事例を拾い、構造的に分析し、仕組みを改善するのが仕事です。
今回のケースはすでに「外部公開」まで行ってしまったので、ヒヤリハットではなくアクシデントと言っていいレベルでしょう。ただし本質的には、
なぜチェックプロセスが機能しなかったのか
なぜ「人間を動物に喩えることは危険だ」という知識が、組織内で共有されていなかったのか
なぜ、公開前に誰も「これはやばい」と言えなかったのか
といったシステムの不備として扱う必要があります。
SmartHRに本来期待される役割と、日本のHR業界への提案
ここからは、七夕研究所としての「提案」に近い話です。
1. まず、SmartHRクラスの企業が公開すべきだったもの
SmartHRクラスの企業だからこそ、今回のような事案を踏まえて次の一手として期待したいのは次のような内容です。
「人間を動物・病気・害虫・ゴミなどに喩えない」という原則を明文化した、対外的にも参照可能な表現ガイドライン
社内研修で、「なぜそれが歴史的・法的に危険なのか」を解説する教材(EEOC/CIPD/EHRC等のガイドラインの翻訳付き)
クリエイティブなアウトプット(技術ブログ、アドベントカレンダー、マーケ記事など)を対象にした複数名レビューと倫理チェックのプロセス
EEOCのガイドラインをそのまま引用して、
「従業員をチンパンジーなどの動物に喩える表現は、米国のハラスメントガイドライン上、明確に問題視されている。 当社はこれを重く受け止め、同様の表現を自社の一切の発信で行わない。」
と宣言するだけでも、日本国内のHR業界に与えるインパクトは大きかったはずです。
2. 日本のHR業界全体への課題
今回改めて露呈したのは、「日本のHR業界で共有されている倫理水準」と「国際基準」とのギャップです。
「これはさすがにやばい」と即座に分かる人が、国内ではまだ少数派である
「誤読だ/曲解だ」と言い出す人が少なくない
企業の情報発信において、人権・DEIの観点をレビューする仕組みが整っていない
これは SmartHR 一社の問題ではなく、日本のHRエコシステム全体の弱さです。 逆に言えば、誰かがきちんと言語化しないといけない宿題が見えてきた、とも言えます。
七夕研究所としては、以下のような方向性を提案したいところです。
HR Tech 企業・大手企業の人事部が連携し、 「職場の表現とコミュニケーションに関する日本語ガイドライン」を共同で作る
その中に、
人間を動物・害獣・病気・ゴミ等に喩えない
歴史的に差別と紐づいてきたラベル(人種・民族・セクシュアリティなど)を比喩的に使わない といった非人間化表現(dehumanising language)禁止の原則を明文化する (Close the Gap)
技術ブログや採用広報、社内コミュニケーション研修で、このガイドラインを反復して扱う
七夕研究所として、この一件を日本のHR業界が変わる転換点にするために
本来であれば、こうした「倫理と向き合うための技術」を解説する記事は SmartHR 自身が出すべきものでした。 しかし現実にはそれはまだ出ていないので、誰かが先にやるしかありません。
この記事でやりたかったのは、
今回の文章が「誤読ではなく、構造的に人間を動物に喩えている」ことの整理
なぜ人間を動物に喩えることが、歴史と国際ガイドラインの上で強いタブーになっているのかの説明
日本のHR業界が、どのラインまで世界標準に追いつくべきかの提案
の3点です。
SmartHRに対しては、
すでに出された謝罪文の次のステップとして、
EEOCやCIPDのガイドラインにきちんと目を通し
「人間を動物に喩えない」ことを含む表現ガイドラインを、日本語で・対外的に示す
ところまで責任を果たしてほしいと考えています。
そして日本のHR/HR Tech業界には、「こうした倫理判断を“勘”や“炎上しそうかどうか”だけでやる時代は終わった」と認識してほしい。 歴史と国際ガイドラインに裏打ちされた、明確な線引きを共有するところから、やり直す必要があると思います。
七夕研究所について
当研究所は、社会システムの再設計を目的とした研究開発型のベンチャー企業です。構成員の約80%が神経多様性(ニューロダイバーシティ)を持つ研究者であり、マスキング行動を放棄した組織文化を実践しています。
今回の問題は、私たちにとって対岸の火事ではありません。「対応困難な社員」として扱われやすいのは、まさに私たちのような神経多様性を持つ人々だからです。
だからこそ、この問題を見過ごすことはできませんでした。
そして、SmartHRを含む日本のHR業界全体が、 ニューロダイバーシティを「管理すべき問題」ではなく、「組織の前提」として受け入れる転換を、私たちは実践を通じて示していきます。



件の問題は、前段の"これは「人間を動物に喩えた表現ではない」という弁解が成立しない"が最も重要な争点になっているはずです(なぜならここがNOであれば後の問題は発生しないので)。後段についてはあくまでもここが問題であった場合の影響やリスクの話ですので、今回の問題の構造上、エビデンスが必…
初めまして。記事、興味深く読ませていただきました。 私は当記事で言う“逃げ”が成り立つと思う側です。よろしければご意見うかがえればと思います。 ◆ 問題記事はフィクションである これは問題記事冒頭で(ヒネたエンジニアによくある悪趣味な書き方ではあるにせよ)明記されていた記憶があ…