死ななきゃいけないラインって心の中にありませんか?
これの続き
プライドがあるから無職(とか)は無理、みたいなことを言うと、「プライドを無くせ!」と言われることがある。
そう言われると、私の「プライド」は一般的な「プライド」ではなく、強迫観念的な「死ななきゃいけないライン」のことだな、と思った。
最近死にたくないから希死念慮が治ったかと思ったが、プライベートの充実等により「死ななきゃいけないライン」より余裕を持って上の存在になったからであって、依然として「死ななきゃいけないライン」が私の中に存在している(そして、そのラインがかなり高い)のかもしれない。
弊社の平均より仕事ができないくらいのことを私の中でちゃんと認められないのはなんでだろうと考えていくと、「そんなことをしたら死ななきゃいけなくなってしまうから」という言葉が朧げながら頭に浮かんでくる。
私は高校時代からこの「死ななきゃいけないライン」に苦しめられてきており、科学オリンピックの本戦に落ちた時や、東大に受からないかもしれないと思った時(たとえば高2の時高3の模試でC判定だった時)などは心臓がドキドキしたし、大学に入った後も留年するかもとか卒論が書けないかもとかで散々病み散らし、死ぬことも何度も考えた(理解できる人とできない人に分かれるかもしれないが「死にたい」ではなく、「死ななきゃいけない」「死ぬしかない」という強迫観念に近い)。結局留年はしなかったし卒論は書けたので、ただ病み散らかした人になった。
これは非効率甚だしいというか傲慢でさえある。別に大学に落ちたり留年したり解雇されたりしたところでそもそもそんな人はたくさんいるし、人生は続いていく、いや続いていってしまう。ちゃんと大学に落ちた/留年した/仕事ができなかったなどの事象を受け止めて次に進まないといけないので、自分の中でこれらの事象が認められずうだうだするのはもってのほかである。
そもそも太っていて不細工で運動センスと芸術センスがなく性格がおかしい時点で客観的には死んでもいいようなもので、自分が得意な分野にのみ高いラインを設定してそれについてあーだこーだ言うのは愚かである。(こういう死ぬべき点が多すぎるのでその分勉強とか仕事で価値を残さないといけないという気持ちもある)
でも「お前は仕事ができないんだから、そこは認めて改善しなさい」と自分に言い聞かせるたびに、殺す気ですか!?と叫びたくなる。
私が「死ななきゃいけないライン」を下回ったとしても、ありがたいことに家族や友人(さらに、もしかすると2万人近くいるチャンネル登録者のごく一部)は私のことを愛してくれるに違いない。そう信じたいけど、心から信じることもできない。
現状、私の「死ななきゃいけないライン」はとりあえずサラリーマンとしてそこそこ成果を残す、というところで止まってくれているが、最近は「サラリーマンで満足するなんてダメ!経営者側にならなきゃ!」みたいな人やツイートを目にすることもあり、そんなところに「死ななきゃいけないライン」が設定された日には確実に死ぬことになるので、慌てて耳を塞ぐ始末である。
「死ななきゃいけないライン」ってみんなにもあるのかどうかわからないけれど、多分みんなの心の中にもあると思ってお聞きするのですが、私はどうすればいいですか。
まあ若気の至りというか何者かになりたいみたい的なアレであり、歳を取れば解決するのかもしれない。
とりあえずこの瞬間は今までの自分の頑張りにより「死ななきゃいけないライン」よりは上なので、しばらく心の平穏を楽しむしかなさそうだ。


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