就労移行で出会った、教師になれなかった数学の先生の話
数年前、就労移行支援に2年ほど通っていた。
やることはボールペンの組み立てとかチラシの仕分けとかの軽作業がメインで、正直内容は「アレ」だった。
ただ、学生時代にろくに学校へ行けてなくて社会性が欠落していた当時の自分にとっては、毎日決まった場所に行くだけでも悪くはないリハビリだったと思う。
そこで一人、かなり印象に残っている人がいた。仮にAさんとする。
Aさんは、身だしなみはかなりアレだった。
いつもチェックシャツを着ていて、髭も剃ってない。
理由を聞いたら「マスクしてるから大丈夫」らしい。
髪もボサボサ。
でも、話してみると驚くほど頭が良かった。特に数学の知識はずば抜けてた。
岡田斗司夫からサイコパス性を抜いたような人、と言えば伝わるだろうか。
聞けば彼は元々、数学教師志望だったらしい。
彼は医師から「教師を本業にするな」と止められていた。
教えることに熱意がありすぎてのめり込んで、適応障害になったからだそうだ。
「仕事にすると自分が壊れるから、趣味の範囲にしておけ」ということらしい。
数年引きこもって療養したあとに、通っていたデイケアに紹介されて就労移行に流れてきたというのが経緯だそう。
彼は就労移行の休み時間、相手を選ばずに数学を教えていた。
中には軽度の知的障害がありそうな利用者もいたが、Aさんは相手の理解度に関わらず、たとえ話を使って必死に数式の意味を説明していた。
彼にとって重要だったのは「解けるかどうか」という能力ではなく、「知ろうとしているか」という意欲だったからだ。
普通、相手が理解できなければ「この人には難しいな」と諦める。
でもAさんは違った。相手が理解できないと、
「ごめん、私の教え方が悪いなぁ。どうすれば分かってもらえるだろうか」
と、本気で悩んで、自分を責めていた。
相手が分からないのは、自分の責任。
その過剰すぎる責任感と自責癖が、彼を病ませた原因らしかった。
その姿を見て、自分は「なるほど、これじゃ医師も止めるわけだ」と妙に納得したのを覚えている。
当時、自分は学校に行ってなかった分の勉強を取り戻したかった。
というか、学校に行ってた頃も、数学だけは謎にできた。
それ以外は壊滅的だったけど。
Aさんは、仕事としてではなく、純粋に教えたかった。
いまおもえば、お互いが、お互いを必要としていた。
それから、自分たちはよく数学の話をするようになった。
その後、Aさんが先に障害者枠での就職が決まって、就労移行を卒業することになった。
卒業する少し前、Aさんがこっそり言ってきた。
「LINE教えて。続きを教えさせてください」
Aさんは、就労移行では色んな人に教えてた。
でも、卒業後も続けたいと思った相手は自分一人だったらしい。
なぜ選ばれたのかはわからない。
ただ、数学だけはできたから、それも関係あったのかもしれない。
そして卒業する最終日、自分はこっそりAさんに手紙を渡した。
封筒の中には、図書カードを挟んでおいた。
本来、就労移行では利用者間の金銭や物品のやり取りは禁止されている。
バレたら怒られる案件だ。
でも、そんなルールはどうでもよかった。
彼に選ばれたことへの感謝と、受け取った「授業」の価値は、タダで済ませていいものじゃなかったから。
彼は少し驚いて周りを確認してから、ポケットにねじ込んでくれた。
「参考書、買う足しにします」と言って。
自分も就労移行を卒業してからも、1年くらいは関係が続いた。
休日にLINE通話をつないだりして、週一回のペースで数学を教えてもらった。
お互いに障害者枠で働きながら、仕事以外の場所で「先生」と「生徒」に戻る時間は、悪くない気晴らしだった。
けれど、ある時Aさんに高校生の生徒ができた。
「ああ、もう自分の出番じゃないな」と思って、気を使ってフェードアウトした。
数学を教わることはなくなった。
その後はただの友人みたいな関係になった。
ある日、Aさんはこう言った。
「ボランティアで数学教えてるって言うと、頭おかしいって言われるんだよね」
周りに理解されなくても、Aさんは教えることをやめなかった。
気が向いたときにカフェで集合して、お互いの近況の話をメインにしてた。
でも、いつの間にかAさんが数学の話をしだしたりしてた。センター試験がどうこうみたいな話を一生してた。
今、自分は関東に移住して一人で暮らしている。
Aさんとは疎遠になったけど、たまに連絡は取る。
Aさんは、教師になれない時点で自分の人生は「消化試合」だと言っていた。
でも、ならせめて何かを残したいから教えてると言っていた。
なりたくてもなれない。
医師に止められてたから。
でも、今も誰かに数学を教えてるんだと思う。
就労移行支援での作業自体が役に立ったかは、正直微妙だ。
でも、Aさんみたいな人と出会えたのは悪くなかった。


コメント