見慣れた場所にかつて鉄道があった? 都市に残された「廃線跡」の「もう走らないというノスタルジー」
まるでミステリーの謎解きのよう
「廃線跡には、もうそこに鉄道は走らないというノスタルジーがあります。どうやってそこに鉄道ができて、どうしてなくなっていったのかを調べたり、実際に訪れて歩き、地域の人たちと話をすると、その町の歴史や文化も見えてくる……。そんな面白みがあるんです」 【画像】「えっ、こんなところに…」かつて練馬・板橋を走った駐留軍専用路線の“苔むした痕跡” こう語るのは、全国の廃線跡を探索し自ら運営するサイト『廃線の旅 鉄路の旅』にて紹介している石川雅洋さんだ。石川さんは10月に著書『都会の鉄道廃線跡 探究読本』(河出書房新社)を上梓している。 廃線跡は全国各地に存在するが、今回の石川さんの著書では、都会に絞った廃線跡について紹介をしている。それは「地域の生活や暮らしに溶け込んだその痕跡が魅力的だから」だという。 「地方の廃線跡というのは、やがて自然に還っていきます。でも、都会の廃線跡は都市開発、物流の変化、鉄道の地下化など、めまぐるしく変わっていく中で、何気ない道や遊歩道、不自然な高低差などとして痕跡を残しており、それを見つけるミステリーの謎解きのような楽しさがあるんです」(石川氏、以下コメントはすべて) 一言で“都会の鉄道廃線跡”と言っても、それぞれに軌道が敷かれた理由や廃線になった状況も違えば、現在の様子もさまざまだ。書籍の中から、石川さんの印象に残った廃線跡を紹介していただこう。
地元でも“幻の廃線”と呼ばれる「東武啓志線」
現在、東京都練馬区・板橋区にまたがる光が丘公園は、戦前、成増飛行場があった場所として知られているが、戦後GHQにより接収され、米兵の家族用宿舎『グラントハイツ』が建設された。『東武啓志線』は、その物資輸送のため、現在の東武東上線・上板橋駅から分岐するようにグラントハイツ駅(旧啓志駅)へと敷かれた路線で、1959年(昭和34年)に廃止されている。 「地元では“幻の廃線”と言われているようなところなんです。廃線跡を実際に訪れても、何も見つけられないこともあるんですが、地図を眺めながら歩いていた際に、本でもネットでも情報がなかった痕跡である境界石(鉄道用地を示すもの)を唯一見つけられたときには、喜びがありましたね」 現在の練馬駐屯地内の資料館や東武練馬駅近くの北町地区区民館では東武啓志線のレールなどの展示もされているそうだ。