「プロは体の大きさじゃない」
中西氏の言葉だ。若松氏のプロ入り前、北海道まで足を運んだ中西氏は父・竹四郎に「打撃は下半身でやるもの。それを息子に伝えてください」と熱弁したという。打撃は下半身―。競輪選手並みになったぶ厚い太ももが土台となり、220本塁打を含む通算2173安打を積み重ねた。
■若松 勉(わかまつ・つとむ) 1947(昭和22)年4月17日生まれ、75歳。北海道出身。北海高から電電北海道を経て、71年ドラフト3位でヤクルト入団。2年目の72年に首位打者を獲得。78年にセ・リーグMVPを獲得し、球団初の日本一に貢献。89年現役引退。19年間で通算2062試合に出場、6808打数2173安打、打率・319、220本塁打、884打点。99年から2005年までヤクルト監督を務め、01年に日本一。09年野球殿堂入り。右投げ左打ち。
★「中西型」と「山内型」 バッターの軸足の使い方は、大きく2つに大別される。元ヤクルト監督でサンケイスポーツ専属評論家を長く務めた故野村克也さんは「中西太型」と「山内一弘(和弘)型」に大別していた。
若松氏は、捕手寄りの軸足(左脚)から踏み出す右脚へと体重移動させながら、強いスイングを生み出す「中西型」の打法で成功した。若松氏やイチロー氏、大谷翔平らがこのタイプにあたる。一方の「山内型」は、軸足に体重を置いたまま、鋭い回転で振り抜く。野村や王貞治氏、松井秀喜氏らの打法に通じる。
山内氏は「打撃の職人」「シュート打ちの名人」と呼ばれ、昭和30年代前半には中西、山内、野村がパ・リーグの打撃タイトルを争った。野村さんは生前「変化球への対応に悩んだ時に中西型も試したが、結局、自分に合うのは山内型だった」と明かした。
★燕の伝統「ショートゲーム」の元祖 芸術的なバットコントロールにさらに磨きをかけた伝統の練習法がある。約10メートルの距離から投げられた緩い球を打ち返すショートゲーム。元祖は若松氏が現役当時の練習法だった。
「旅館の大広間でストッキングを丸めたものやテニスボールを中西さんが正面から投げてくれて、それを打ち返す。中西さんは投げたら座布団で顔だけを隠して、その座布団をセンター返しの意識で狙って打っていた」と若松氏は振り返る。畳の上のスイングで両脚の親指は摩擦でやけどし、テーピングが何重にも施された。
中西氏考案の練習法がショートゲームという形になり、宮本慎也氏、岩村明憲氏、川端慎吾、山田哲人らにも受け継がれてきた。村上宗隆も1軍に定着した2年目は宮本ヘッドコーチらが投げる緩い球を打ち返す練習を早出でこなしてきた。「昔の練習でこれほど引き継がれる練習はないと思う。自分の身になった練習は後輩にも伝えていってほしい」。若松氏の礎を築いた練習法は、スワローズナインに浸透している。