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法友(とも)へ

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何度もクビになっていると、もう慣れたものです。


が、しかし、困ったことがひとつ。



だんだんと条件のいい仕事が無くなってきましたね。


収入が減って肉体的にきつくなってきました。


だけどこれはオウムの問題というよりも、日本の社会全体の問題でしょうね。



まあ、文句を言っても仕方がないことなので、流れに身を任せるしかありません。


それで帰りの道すがら、あれこれと考えていました。



世間から見れば当たり前のことかもしれないけれど、元オウム側から見ると奇妙なことでしたね。


どうも反応が過剰すぎる気がしました。


直接の被害者ではない世間の人達が、直接の加害者ではない元オウムの人間をなぜこれほど意識するのか?


まあ、それだけの恐怖を麻原に植え付けられたって事なんでしょうけど。



世間の人達すべてが、恐怖で感情的になり思考停止に陥っている。


まるでマインドコントロールだな、と考えていたときに、あっと思いましたね。



そうだ。これはマインドコントロールなんだ。


麻原はサマナだけではなく、日本人全てにマインドコントロールを仕掛けたんだ。


そういうことだったのかと気づきました。



しかも恐ろしいことに、このマインドコントロールには、それを解く鍵が存在しません。


サマナであれば、事件はオウムが起こしたという事実を知ればいいだけの話です。


ところが日本人全てにかけられたマインドコントロールは、誰が何を言っても信じることはないでしょう。


あつものに懲りてなますを吹く。


この状態から抜けられないのです。



「やりやがった。」と思う反面、「見事だな。」とも思いました。


そして、思い出しました。


87年だったか88年だったかの説法を。



まだ世田谷道場が東京本部と呼ばれていた頃の信徒向け説法で、麻原は「本当の意味での成就者が出せるのであれば、私はオウムが潰れてもいいと考えているんだよ。」そう言ったのです。


麻原の説法には、この2、3秒で終わってしまうような短い時間でありながら、とても重要な意味を持つものが少なくありません。


あの当時は意味が分からなかった。


しかし、今なら意味が分かる。


麻原が初めからオウムを潰すつもりだったことが。

続きまして、オウムを離れてから3つ目の職場での仕事中のこと。


僕宛に電話がありました。


もうこの段階ですでに嫌な予感がしてますよね。(笑)


だって誰にも職場の電話番号を教えていませんから。



電話に出てみると「あ、どうも、警察です。」という軽いノリ。


どこで電話番号を聞いたんですかと尋ねると「事務で聞きました。」という答え。


またしてもです。


会社の事務で警察だと名乗って電話番号聞いてます。


ほんと日本の警察は大丈夫なのかあ?



会って話したいというので、ワクワクドキドキの警察との初デートに出かけました。


前回は警視庁の事件の捜査ということでしたが、今回は神奈川県警の公安でした。


ようするに僕は公安調査庁に悪い奴だと認定されたということで、この後毎月1回刑事さんとデートしなきゃいけなくなるわけです。



警察手帳を見せてくれたけど、紐が付いてましたね。


遠くでチラッとしか見せてくれないので、本物の警察手帳かどうかなんて分かりません。


このころはまだ前のタイプで横開きだったように思います。


テレビのニュースで偽物の警察手帳を使っての事件が報道されることがありますが、僕の経験から言わせてもらえれば警察手帳でその刑事が本物か偽物かを見分けることは不可能ですね。


しいて言えば、本物の刑事はチラッとしか見せないので偽者に思えるということでしょうね。



どうやって職場が分かったんですかと聞いてみると、もの凄くあっさりと「尾行させてもらいました。」と言われました。


まったく気づきませんでしたよ。


プロだねえ。

オウムについてというか麻原について考えるとき、ほとんど全ての人と言っていいと思いますが、自分の思考パターンか社会の常識に当てはめようとしてしまいます。


僕はそれでは真実は見えてこないと考えています。


答えを見つけようとするのなら、麻原の思考パターンでものを考えるしかない。


そう思います。



それはグルには深いお考えがあってというようなサマナ側から見た盲信ではなくて、麻原からサマナを見た場合の思考パターンということです。


僕はサマナ時代にこの思考パターンで麻原と色々と話をし、「お前には智慧がある。」と言われ自由に行動することを許されていました。


「好きにしていいぞ。」と言われても、実際には恐ろしくてハメを外すことは出来ませんでしたけどね。(笑)



それともうひとつの傾向があります。。


それは、オウムや麻原を理解するのに、全てを過去にあったパターンに当てはめようとするというものです。


僕の考えでは、オウムは過去のどれとも当てはまらない新しいパターンです。



その分類としては、大きなくくりで思想・信条というものがあり、その中に宗教があり、さらにそのなかにカルトがある。


そのカルトの中でもオウムというものはさらに細かい分類に属し、新しい名前を付けられる第一号であるということですね。


したがって、これからもカルトは生まれ続けるだろうけれど、オウムと同じ新しい分類の第二号が出現する可能性は低い。



一般の人たちにとっては麻原の思考パターンで考えたくてもそれは不可能なので上に書いたようなことになるのだと思います。


一方、元サマナにとっては麻原に対する恐怖があると、その思考パターンを排除してしまうのではないかと思います。


麻原のあらゆるものを完全に排除するというのは行為としては正しいのですが、それは麻原に対する恐怖の裏返しであり、真実を見えなくしてしまう。



僕には自分の持つ思考パターンとは別に麻原モードとでも言うべきものがあり、それで考えることが出来ます。


それは本人の意思で切り替わるというものではなく、自然にそうなって答えを出すということですが、この時もそのモードで色々と考えていました。

その次に考えたのはオウム以外のほかの事件のことでしたね。


殺人事件の犯人の家族や親族はいったいどういうことになっているのだろう?


もしかしたらオウムと同じようなことになっているのかもしれない。



それまでは考えることもなかったことを、オウムに関わりあったことで考えるようになりました。


少なくとも、自分にはその家族や親族を責める権利はないよなあ、と思ったりしましたね。



それでまた就職活動をしなければならなくなるわけですか、また履歴書を書くところで悩んでしまいました。


正直にオウムに出家していたことを書けば採用されるはずがない。


だからと言って嘘を書くのはやはり心苦しい。



「善人なおもて往生をとぐかあ。」


とか意味不明のことを言いながらまた嘘の履歴書を書き上げてしまいました。



こうなってくるともはや自分には誰をも責める権利などないように思えてきましたね。


まあ、実際そうなんですけど。



誰をも責めないかあ。


とぼんやり考えていたら、「あれ?これってもしかして非暴力?」


という考えが浮かびました。



非暴力は本来は修行者にとって一番最初の実践課題のはず。


仏教においてもヨーガにおいてもこれなくして修行などありえないという土台。


なんだか色々あったけど、ようやく辿り着けたのかなという気がしました。

短期間のうちに2回も首になってしまいましたが、元オウムだとばれれば当然のことだとは思います。


しかし困ったことになったなあ、と思っていました。



まあ今回のことはいまさら考えても仕方がないけれど、この様子だと次の就職先にも警察がやって来るのは間違いなさそうだ。


さて、どうしたもんかなあ、と考えても答えは見つからず。


何せ相手は国家権力ですからねえ、元オウムの勤め先なんて簡単に見つけちゃうんでしょうねえ。



ここで最初に考えたのは、かつての仲間達のことでした。


事件の前にオウムを離れている僕でさえこの有様だということは、事件後にオウムを離れた人たちはもっと酷いことになっているのではないか。


テレビのニュースなどで、いったんオウムを離れたサマナたちがまたオウムに戻っているというのを聞いたときに、そんなことがあるのかなあと思っていたんだけど、その理由がわかった気がしましたね。



これじゃあオウムに戻ってしまうのは仕方がない。


おそらくオウムは戻ってきたサマナを少なくとも最初だけは暖かく迎えてくれるのだろう。


そして、世間が冷たかった分だけ、前よりもいっそうオウムの教えを信じるようになる。



警察は一体何をやっているんだ。


本気で事件を解決する気があるのか。


自分のことは棚に上げて、そんなことを考えていましたね。