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そんな林がクンダリニーヨーガの成就を認定されたのは僕よりも1年ほど後だったように思います。


本来であれば実績の面からも、麻原やその家族と近かったことから、僕よりも先に認定されていてもおかしくないはずです。


なんで遅くなったのかを林本人に聞いてみたところ、麻原との約束だったと言っていました。



僕がクンダリニーヨーガの修行に入るときに、麻原が「功徳が満ちてきている。修行に入りなさい。」と言いましたが、やっぱり言葉の使い方が上手いですねえ。


ところがその前に、林は麻原からこう言われていたということです。


「お前なら修行に入れば直ぐにクンダリニーヨーガを成就出来る。」


「しかし、それでは器を大きくすることが出来ない。」


「修行に入らずに成就を遅らせれば遅らせるだけ、器を大きく出来るがそれは苦しい道だぞ。」



どちらを選ぶかと聞かれた林は、たとえ苦しくても器を大きくする道を選ぶと答えたそうです。


修行に入らずにワークを続けることが、麻原との約束だったわけですね。


いかにも林 泰男らしいなと思います。


まさしく器が違うなという感じです。



林が地下鉄サリン事件のときに最後に残った一袋に手を上げたことについて、僕なりの考えがあります。


林はもうオウムは終わりだということを感じ取りながら、自分だけ逃げ出すのは卑怯だと考えていたのではないでしょうか。


最後の一袋を誰かに押し付けるのではなく、自分がその罪をかぶる覚悟を決めた。


僕の知る林 泰男はそういう男でしたね。

林(小池)泰男には面倒見のいいところもありましたね。



ある時、「しょうがないなあ。」といいながら電話をしているのを聞くとはなしに聞いていると。


「まだラーメンにとらわれているのか。ダメじゃないか。」


と言っていました。



どうやら、どこかの知り合いのサマナと話をしている様子だなと思っていたら、林が「どうしてもラーメンを食いたくなったら俺に言え。一緒に行ってやる。」と言い出しました。


おいおい、お兄さん。いいのか、それで。(笑)


そして、受話器を置いた林は、にこやかに笑いながら「行ってきます。」と言い残して出かけていきましたとさ。



僕と林 泰男は入信が同じ頃、出家したのも同じ頃です。


東京本部にいた頃はよく一緒にビラ配りをして、朝まで配ってそのまま仕事に行くということもありましたね。



そんなビラ配りの帰りの車の中で林 泰男が「ガキンチョに誕生日プレゼント買ってやんなきゃいけないんだよなあ。」と言っていました。


親戚の子供か何かのことかと思っていたらアーチャリーのことだったのでビックリしましたね。


信徒の頃から麻原の家族のそばにいたんですよねえ。

林(小池) 泰男は良識ある社会人という感じです。


オウムの幹部達のほとんどが若くて社会経験がほとんどないエリートたちなのと対照的に、林 泰男は苦労人でしたからね。


まあ、かなり独特のキャラクターです。



一般的なワークと平行して裏のワークをよくやっていた印象があります。


麻原から拳銃を支給されて、同行するときはバッグに入れて持ち歩いていましたね。


防弾チョッキも支給されていましたが、重いからという理由でしていませんでした。


「いざというときは身体で盾になるんだから動きやすいほうがいい。」


と言うのを聞いたときは、この男は絶対職業を間違えてるなと思ったものです。



それ以外にも新見からの依頼ということで、電話の盗聴もやっていましたね。


ピッキング道具を使って侵入し電話機に盗聴器を仕掛ける。


その相手がどこへ電話をかけるのかを調べるためにダイヤル音から数字を解析するということもやっていましたね。


必要なものがあるといえば一般的な経理とは別会計で申請なしでいくらでも出してもらえるようでした。



そう言えば、懐かしい思い出があります。


あれは夜中の1時か2時ごろだったと思いますが、麻原が突然径行に行くと言い出したことがありました。


それで、石井、新見、林、僕とアーチャリーもいたと思いますが、出かけることになりました。



道路を横断するときに夜中とはいえ車が走っているわけですが、麻原は目が不自由なためにもたもたしてしまいます。


車が近づいてきてヘッドライトに照らされたりすると、僕の場合は反射的によけてしまったのですが林は違いました。


道路のど真ん中に仁王立ちしたまま、麻原が渡り終えるのを待っていました。



たいしたもんだねえ。

「オウム真理教秘録」によれば、700本の説法テープを数人で分担して聴いたということです。


一般人から見れば凄いことなのかもしれないですが、サマナから見れば甘いですね。


サマナなら700本の説法テープを全部一人で聴いているはずですから。


しかも1回だけではなく数回から10数回です。



それだけでなく、サマナたちが聞いている説法はこの700本以外にも多数存在します。


麻原はI君のことを録音魔と呼んでいたし、「Iはなんでも録音してしまう。録音するなといったものまで録音してしまうからなあ。」と言って嘆いていたのは確かですが、I君の知らない説法が実はたくさんあります。


I君のこの態度は修行者失格ですね。


説法というものはそのときに全てを理解し記憶し、自分の身に付けるもの。


この瞬間はもう二度とやって来ない。


そう思って集中しなくてはだめです。


後で聞き直せばいいやという甘い考えでは、本当の意味での教義の理解など出来るはずがないですからね。



それともうひとつは、麻原が記録に残したくないと考えた説法は残っていないということです。


麻原と世間で言うところの幹部達だけの集まりは、古くは「大師会」でありその後クンダリニーヨーガの成就者が増えて「尊師と集う会」になりましたが、それが記録に残されるようになったのは途中からです。


あるとき麻原が突然、「Iは居るか?」「Iを呼べ。この説法はIに聞かせておかなければならない。」と言い出して、それ以降I君が録画するようになったわけです。


そうかと思えば、「ラーダ、Iと代われ。この説法はIに聞かせるわけにはいかない。」と言ってI君を追い出すこともありました。



それ以外でも、89年の富士での説法があります。


この頃麻原の中でのマイブームだったのかどうか分かりませんが、ほとんど毎日の様に夜中の1時から4時ぐらいに説法がありました。


このときの説法もその場限りのものが多かったですね。


東京本部や支部からも説法が聞きたいという不満が出て、それから録音するようになったと思います。



それ以外にも、世間で言うところの幹部達数人だけを相手にした説法も何度かありました。


僕はこれらの説法全てを聞いているので、オウムの中では教義に関しては非常に恵まれた立場にいたと思います。


信徒向け説法、サマナ向け説法、そして幹部向け説法。


麻原はそれぞれの相手に対して違う説法をしています。


麻原が「この説法はサマナには聞かせるな。」とか「この説法は録画をするな。ビデオを止めろ。」とか言った説法を数多く聞くことが出来たのは幸運でしたね。



オウムの教義を理解する上で必要なのは、やはり十分な情報量ということになるので、少なくとも700本の説法テープは一人で繰り返し聞く。


ひとりで全部聞かないと、教義全体の構造がどうなっているのか把握できませんから。


しかし、それだけではまだ情報量が足りない。


そういう認識が必要だろうなと思います。

麻原の空中浮揚の写真を見てみると、なんか不自然なんですよね。


とはいっても、普通の人が見ての不自然という意味ではないですが。



普通の人が見て最初に思うのは、なんで麻原はあんなに苦しそうな顔をしているのかでしょうね。


これは簡単な話で、オウムの関係者なら誰でも分かると思いますが、呼吸を止めているからです。



限界まで呼吸を止めてそれに耐えていれば誰でも苦しそうな表情になるのは当たり前といえますが、その上でやっぱり不自然なんですよね。


まあ、撮影用にやっているんだとは思いますが、オウムの修行にあの体勢はないんだよなあ。




ヴァヤヴィヤならジャーランダラバンダで顎を引いているはずだし、それはマハーバンダムドラーでも同じこと。


アパンクリアならウッドジャーランダラバンダで顎を突き出すけど、ナボームドラーはやっていない。


それにアパンクリアならレーチャカしかないからお腹がへこむはずだが、その様子は無くプーラカのように見える。



それで思い出したのが麻原がやっていたヴァヤヴィヤですね。


僕もビデオでしか見たことが無いですが、麻原のヴァヤヴィヤのやり方は普通とは違います。


行法の天才といわれた井上が苦しくて出来ないと言っていたほどハードです。



最初の出入息を普通なら腹式呼吸で行いますが、ここを麻原は逆腹式呼吸で行います。


もうこの時点でリタイアですよね。


そしてさらに、ウッディーアナバンダでお腹をへこませると同時に腹直筋を立てます。



まさかナウリまではやりませんが、これだけでも若い頃の麻原が凄まじい行者であったことが分かります。


このやり方だと僕は1回も出来ません。


ということで、あの写真の結論としては、ヴァヤヴィヤで顔を上げているという当たり前すぎる結論に落ち着きそうです。(笑)