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平田 信は真っ直ぐな男というイメージですね。


あともうひとつ挙げるとすればフェミニストですかね。


とにかく優しい男です。



年末に出頭したときは、やっぱり日本国内にいたんだなと思いましたね。


それにしても警察の無能ぶりには驚くばかりでした。


テレビのニュースで流れた顔を見て、どこから見てもポーシャじゃねえか。


と思ったのは知り合いだからですかねえ?


特徴のある話し方も昔のままだし、僕なら3秒以内に平田 信だと分かっただろうなと思います。



ウサギや彼女に対する気遣いはやっぱりなあと思わせるものがありましたが、CBIの手伝いをしていたときもこんなことがありました。


オウムの連中はとにかく車をぶつけるのを日常としているようなところがありました。


その日も道場の裏手に出来たばかりの塀を、10トントラックが豪快に引っ掛けて破壊しているのをみんなで笑っていたんだけど、平田は違いましたね。


「後ろが見えないんだから、ぶつけないように誘導してあげるのが仲間だと思う。」


と言い残して、さっと10トントラックに近づいて誘導を始めました。


う~ん、尊敬するしかないかも~。

富士で警備をやっていたときの事ですが、たしか夜の10時か11時ごろだったと思います。


道場の前の一本道からサティアンへ向かう脇道の前あたりに立っていました。


冬の寒い日でしたね。



まあ、警備と言ってもほとんど何も無く、普段は呑気なものです。


たまに熊本県警の強制捜査で機動隊が何十人もやってきたりはしますけどね。


そのときは、道場の中に連絡すると、石井からしれっと「追い返して下さい。」と言われたこともありました。


確かにね、マハーモッガラーナなら空中から鉄板を取り出して追い返すかもしれませんけどね。




道場の前の道路はほとんど車が通ることも無いのですが、向こう側の車線を乗用車がやって来て止まりました。


そして、何故か助手席側のドアが空き、若い男が降りてきました。


一応、警戒。



そしたら車の向こう側にしゃがみ込んでしまいました。


何をしているのかは、こちらからは見えません。


しばらくして若い男は車へ戻り、そのまま走り去ってしまいました。



今のはなんだったんだろうなあ?


と思って、何気なくさっきまで車が止まっていた場所を見てみると。


あれ、何か置いてあるな。


ゴミでも捨てていったのか、しょうがないなあと思いながら、道路を渡って向こう側へ行ってみると。



いましたね。毛の生えたちっこいのが。(笑)


ミャーとも鳴かずにぷるぷる震えていました。


こちらを見るでもなく、逃げるでもなく、ただ震えているだけ。



困りましたねえ。


オウムには厳しい戒律があり、動物に触れてはいけないのですよ。


仕方がないかと思いながら、ジャンパーのファスナーを下ろし、仔猫をつかんで中へ入れました。


熊本県警じゃないからなあ、追い返せないですよねえ。



下に落ちないように左手でお腹の辺りを押さえて、右手でファスナーを閉め道場へと向かい玄関に立ってきょろきょろしていると、目ざとくサマナが気が付きましたね。


「どうしたんですか?何かあったんですか?」


と聞いてきたので、事情を説明して仔猫を床に下ろして、また警備へと戻ることにしました。



後で聞いた話によると、直ぐにアーチャリーがやって来て仔猫をサティアンに連れて行ったそうです。


麻原は「オウムは動物園じゃないぞ。」と言っていたそうですが、無事に飼ってもらえることになったようです。


そう言えば、ホーリーネームは何だったかなあ?

支部活動で電話かけをやっていたときの事。


たしか説法会か何かの案内だったと思います。



昼間なので連絡できる人も限られており、一通り終わったかなと思って名簿に目を通していると外線が入りました。


「はい、オウム真理教○○支部です。」


と答えると、電話の向こうで聞き覚えのある声が、


「マイトレーヤか?」


と聞いてきました。



困りますよねえ。


僕がマイトレーヤじゃないことは明らかですからねえ。


こんな大上段に振りかぶったボケをかまされても、上手い切り返しが思いつきません。



まあ、推測するに、短縮ダイヤルか何かを間違えて押しちゃったんでしょうねえ。


おそらく近くに石井も新見もいなくて、まあいいかってことで電話したら全然違うところにかかってしまったんだと思います。


それで仕方なく、「すいません、Rです。」


と答えると、「おお、そうか。回してくれ。」



何を?どこへ?


追い打ちをかけられました。


内線ならともかくこれは外線だし、おまけに上祐がどこにいるか知らないし。


再び仕方なく「すいません、○○支部なんですが。」


と答えると、「どうだ、頑張ってるかあ?」


「はい。」


「そうかあ。」


で、電話が切れましたよ。

麻原の考えていた救済計画というのは、本人の完全解脱、弟子たちの最終解脱、そして全ての魂の救済。


そういうことになります。



さすがは狂人ならではのとんでもない発想だと思うのですが、普通の人間には思考の許容範囲を超えているのか、麻原の思考パターンを拒絶してしまって理解出来なくなってしまうようです。


全ての魂というのには、人間だけでなく動物や虫たちも含まれます。


どうやってそんなことが可能なのかということが問題ですが、普通の人間にはそもそもそんな発想はないでしょうね。



「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ。死は避けられない。」


「神々も死ぬ、悪魔も死ぬ、全ての魂は死ぬんだ。」


そう言い続けて来た麻原が目指していたものは、人間や動物だけではなく、欲六界全ての世界を巻き込んだ救済ということでした。



まあ、普通の人間から見れば、馬鹿馬鹿しいにも程があるということになると思います。


しかし、麻原は本気だったんですよねえ。


そう言えば麻原に、よく意識堕落天の弟子たちと比較されて、君たちは何をやっているんだと文句を言われましたねえ。


そんな事を言われてもなあって感じですけどね。

オウムではサマディに入ってからの具体的な修行法については説かれていません。


しかし、どうすればいいのかは説かれています。



麻原はそのことについて、シャカムニの例を出して説明しています。


要するにシャカムニが入滅するときに弟子に何と言ったかということですね。


まあ、今のオウムと似たような状況と言えます。



「シャカムニは何と言ったか。己自身を根本とせよと言ったんだね。」


「己自身とは何か。それは真我だ。」


サマディとは真我独存の状態。


全てが消えて真我だけになってしまうのだから、他に頼るものはありません。



シヴァ大神だのグルだのというのは、真我を根本と出来ないということが前提となっています。


つまり、本来のスタート地点ではないところから法則が語られているということです。


麻原もこれを認めた上で、「君達には私しかいないから。」と言ってその後のことを語ってきたのに、いつの間にかその前提がどこかへ行ってしまっているんですよねえ。


まあ、それがタントラヴァジラヤーナというものなんですけどね。