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ついでにこれも書いておこう。


オウムの連中と世間の皆様のおかげで、本物の宗教とは何かが分かった気がする。


まったく、有難い事である。



宗教とは、人をマインドコントロールし、自分が特別だと思い、他を見下し、さらに攻撃をする。


これは別にオウムだけのことではなく、全ての宗教に共通である。


が、しかし、考えてみれば、こんなことは社会全体がそうであり、人間がそういう生き物であるというだけのことである。



人間が社会に適応して生きていくためにはマインドコントロールが不可欠であり、しかもそれは自分から望んでマインドコントロールを受け入れている。


これは時代をさかのぼって現代と比較してみても、諸外国と比較してみても直ぐに分かることである。



そこまで考えると本物の宗教とはどういうものであるかの答えが見えてくる。


試しにオウムについて聞いてみればいい。


それが本物の宗教であれば、必ずこう答えるはずだ。


「オウムを赦しなさい。あなたと彼らには何も違いはないのだから。」



したがって、本物の宗教はこの世に存在しないことになる。


ということになってしまうのだが、ごくまれに本物と思える人物が出現する。


人間というやつも、なかなか捨てたもんではないのである。



マハトマ・ガンジーは自分を拳銃で撃った犯人を赦しなさいと言っているし、マザー・テレサにも面白い話がある。


自分の死期が近いことを感じていたマザー・テレサは、どんな美しい天使が迎えにきてくださるのかしらと考えていたという。


しかし、やってきたのは悪魔だった。



バチカンは直ぐにエクソシストを呼び、悪魔祓いの儀式を行った。


それでも悪魔を退けることは出来なかったが、実はカトリックではよくあることらしい。


そしてここからがマザー・テレサの凄いところなのだが、彼女は自分の活動に協力をしない企業や政治家を批判してきたことに気づいたのだ。


それで彼女は悪魔に謝罪し抱きしめた。


悪魔は消え去り、二度と現れることはなかった。



しかしまあ、本物っていうのは大変なことなんだなと思う。

麻原はよく、「回しておけ」と言っていたが、これがヒンズーツァンダリーのことである。



練り上げることによって、快感に包まれ、全身が痺れ、固定され、自分が無くなる。


いわゆる、悦・喜・軽安・楽のプロセスであるが、まだサマディではない。



この後の究境の瞑想でサマディに入るわけだが、究境の瞑想だけを単独で行ってもほとんど意味がない。


その前の準備として、エネルギーを練り上げておく必要がある。


もっとも、ヒンズーツァンダリーだけをやってもあまり意味は無く、その前の段階の行法が必要である。



いずれにしても、もうグルはいないのだ。


いつまでも頼ることなく、自力で頑張ってもらうしかない。

体表面を意識の集中点を移動させて、エネルギーを循環させ練り上げる。



スヴァジスターナチャクラに意識を集中して、オーム ブハーのマントラを唱える。


体表面を意識を滑らせるようにして移動させ、ムーラダーラチャクラに意識を集中して、オーム ブフーのマントラを唱える。


同様にして、ブラフマ結節に意識を集中して、オーム ブラフマンを唱える。


同様にして、ヴィシュヌ結節に意識を集中して、オーム ヴィシュヌを唱える。


同様にして、シヴァ結節に意識を集中して、オーム シヴァを唱える。


同様にして、サハスラーラチャクラに意識を集中して、オーム サティアンを唱える。


同様にして、アージュニャーチャクラに意識を集中して、オーム タパーを唱える。


同様にして、ヴィシュッダチャクラに意識を集中して、オーム ジャナーを唱える。


同様にして、アナハタチャクラに意識を集中して、オーム マハーを唱える。


同様にして、マニプーラチャクラに意識を集中して、オーム スワハを唱える。



これで1回のプロセスが終了するが、その後も連続して行う。

死刑執行について書いたので、これもついでに書いておこう。



僕から見ればよく分からんのだが、麻原回帰という言葉をテレビで見ることがある。


極めて曖昧な言葉に思えるのだが、麻原回帰とは一体何に回帰するのだろうか?



普通に考えれば麻原の行動は一貫性が無く、「麻原」ではあまりにも範囲が広すぎて何を意味するのかが分からない。


これは例えば日本回帰における「日本」という言葉と同様である。


まあ、人間というものは、自分が感じていることを他人に押し付けることしか出来ない生き物であることは確かであるが。(笑)



まあ、そんなことはどうでもいいとして、


アレフの行動が麻原回帰だとかグルイズムとかいう人がいるようだが、僕から見ればそれは違う。


なぜなら、オウムの教義は麻原が絶対であり、その家族は絶対ではないからだ。


家族は所詮、麻原の弟子の一人に過ぎない。



家族は麻原がいてこそ、その権力を与えられているのであり、それは四女の本にも出てくる通り、麻原がお尻を叩いたのは麻原の子供だというだけで教団内で絶対的な権力を持っていることへの戒めだった。


そしてアーチャリーも、あまりにもサマナに暴力的になってしまったために、独房修行に入れられたことがあるのだ。



ヴァジラヤーナの説法の時に、麻原はこう尋ねた。


「私がアーチャリーをポアしてこいと言ったら、お前たちはどうするか?」


僕は内心「きついなあ、それは。」と思っていたが、誰もその質問には答えられないでいた。



そこで麻原は村井に「お前ならどうする?」と聞いた。


「いや、それは。」と言いよどむ村井に麻原はこう言い放った。


「お前は私の直弟子ではない。」


「私の真の弟子なら、直ぐに実行に移せるはずだ。」



これがオウムの教義である。


もし今のアレフが家族の言いなりになっているとしたら、それは麻原回帰でもグルイズムでもなく、その辺のどこにでもあるただのカルト集団に過ぎないということになる。

オウムの死刑執行については、特に何も言うことはない。


日本人なのだから、日本の法律に従うだけだ。



まあ、それはいいとして。


麻原の死刑執行に関しては、実は困ったことになっている。


麻原が陽神を練ると言い出して、完成するのは2004年ということになっている。



これはどういうことかと言うと、麻原の陽神は既に完成しており肉体から抜け出している。


したがって、拘置所にある麻原の肉体はただの抜け殻ということになる。



そして、ここで困ったことが起きる。


麻原はキリスト宣言しているので、当然のことながら復活はあると考えるのが正しい弟子の姿というものだろう。


しかし、陽神となって抜け出した麻原は、復活したくても復活できないのだ。


なぜなら、まだ拘置所に肉体が残っているからである。


本物の麻原が復活すると、弟子たちによって偽物の烙印を押されてしまうだろう。



さあ、ここで問題です。


グルの偉大な力を信じて死刑執行を望むのが本当の帰依なのか?


グルは何の力も無い偽者だから拘置所にある肉体を守るのが本当の帰依なのか?


あなたなら、どっち?