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理研の言い分、



「小保方が勝手にやった事だ。」







麻原の言い分、



「弟子たちが勝手にやった事だ。」






なんじゃ、こりゃーーーーー!

ストゥーパとは、仏舎利を納めた塔や建物のことである。


そして、仏舎利とは、シャカムニの骨のことである。


まあ、遺灰もあるが、基本は骨である。



一応、インド巡礼ツアーには僕も参加しているのであるが、その中でストゥーパへも行っている。


その時に驚くような体験をした。



ストゥーパへ向かって歩いていく途中、10数メートルぐらいまで近づいた頃、強烈なエネルギーを感じたと思ったら、意識が変化して深い瞑想状態へと引き込まれた。


周りの風景が変わり、歩いている人々の姿も変化した。


そして、湧き上がる想い。



「懐かしい。」


「ああ、懐かしい。やっと戻ってこれた。」


喜びがこみ上げてくる。


僕は泣きながら、ストゥーパの周りを右回りに回った。



実に驚くべきことに、2600年も経っているのに、シャカムニのエネルギーは健在だった。


しかも、それまでに感じたことがないほどの強烈さだった。



ただの骨だけでこれほどのエネルギーなのだから、シャカムニが存命の頃はその説法を聞くだけで解脱したというのも頷ける。


当時、シャカムニの傍で瞑想した弟子たちは、次々とサマディに入り解脱して行ったのだろうと思う。

心を使って心を止めようとしても、心は心を止めようとして動き続ける。


自明の理である。



そこで、過去の偉大な修行者たちは考えた。


試行錯誤を重ねたのかもしれないし、理論的に追求したのかもしれない。


そして、見つけたのである。


心を心以外のものへ向けると、心以外のものから自然なフィードバックが起こり、心が止まることを。



心を向ける対象には実に様々なものがある。


それは呼吸であったり、一点への集中であったり、身体感覚であったり、マントラであったり、苦行であったり、心の中のイメージであったりする。


オウムではその対象をエネルギーとしている。



どの方法を選んだとしても、最終的には同じところへ行き着く。


修行者がどの方法を実践するかは、グルの指導方針と修行者の向き不向きによる。


まあ、全てはカルマである。



そして、どんな方法にも長所と短所があるが、エネルギーを使う方法を選んだ場合は、どうしても気持ちよくなるのでその感覚にとらわれやすくなるという欠点がある。

いい勝負だった。


それで、みんな期待したのだろうと思う。


随分と視聴者数が多かったから。



しかし、いい勝負になると最後は必ずコンピュータが勝ってしまう。


プロも、もうそろそろ自分達が弱いことを認めて、次の提案をすべきだと思う。


それは、人間は疲れるがコンピュータは疲れないので、コンピュータの持ち時間を人間の半分にする、というものである。



持ち時間は人間が4時間、そしてコンピュータが2時間。


持ち時間を使い切ると、一手指すごとに人間は1分以内、そしてコンピュータは30秒以内。


このルールの方が今よりもはるかに面白い勝負が見られると思う。



コンピュータの方が強いということを素人はとっくの昔に認めている。


コンピュータの強さを認めていないのはプロだけだ。


今回のコンピュータ側には、Bonanza、GPS将棋、Puella α、激指といった強豪が参加していない。


ponanza以外の4機種は、皆弱いと言っていい。


おまけにクラスターの禁止。


誰がどう考えたって、今あるソフトを京で走らせれば、圧倒的にコンピュータが強いことは解かりきっている。



はっきり言って、素人は面白い勝負が見たいのだ。


プロのプライドなどどうでもいい。



来週の最終局には、いよいよponanzaが登場する。


コンピュータ同士の戦いでは無敗。


今回参加している他の4機種では、相手にならないほどの強さで全勝優勝している。


もうこうなったら、去年の最終局と同じように、コンピュータの強さを見せつけてもらいたいと思う。