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オウムのサマナたちの一番の特徴と言えば、やっぱりこれ。


社会常識がないことです!


まあ、あんまり人の事は言えないかなと思うのだが。



オウム食は皮をむかないまま調理するのだが、社会常識のない、しかも出家したばかりで自炊の経験もないサマナが作るので、「あれ?これもしかして洗ってない?」と思えるじゃりじゃりしたオウム食をいただいたこともあった。


そして、皮ごと調理するものだから、当然のごとくジャガイモの芽もそのまま入っていることになる。



ジャガイモの芽を平気で食事に入れてしまうサマナに、そのジャガイモの芽を食べても全く平気なサマナたち。


マニプーラ強いなあ。



で、その何にも知らないサマナの皆さんに、僕はジャガイモの芽には毒性があるんだよという話をしたのでございます。


サマナたちはそれがジャガイモの芽だということを知らずに、何か出てるなとしか思ってなかったらしいんだけど、僕の話を聞いた後に一言、こう言いました。


「そうかあ、ジャガイモの芽を食べると、殺生になるからまずいのかあ。」



おいおい、そこじゃなくて毒性を心配しよう、毒性を。


まったく、オウム真理教の愉快なサマナたちは、笑いのネタが尽きることがない。

オウム食つながりで思い出したけど、そう言えば保温ご飯っていうのもあったなあ。


当時の東京本部はそこそこの人数はいたんだけど、富士ほどには人が多くはなかったので、ガスの炊飯器ではなく大型の炊飯ジャーを使っていた。


ご飯を炊いた後そのまま保温できるので便利なのだが、なまじ両方の機能を持っていることで不幸を生んでしまった。  



ジャーが空になった後は、次の人が食事できるように米を洗って水を入れてセットしておく事になっていた。


ここで直ぐにご飯を炊いてしまえばよかったのだが、後から食べる人が何時間後か分からないと言う理由で、セットしたまま炊飯スイッチを押さないでいたのだ。


で、どうなりますかというと、ご飯と水はそのまま保温され続けて、見た目だけは炊き立てのご飯の様になる。


が、しかし、この保温ご飯というやつ、とっても不味いのですよ。



ご飯を美味しく炊くには、100度近い温度で沸騰させてでんぷんの質を変化させる必要があるというのをどこかで聞いたことがあったけど、まさか自分の身をもって経験することになろうとは。


しかも、毎回同じやつがセットしているらしく、毎日保温ご飯を食わされる羽目になってしまった。



まあ、本人は後の人の事を考えて気を利かせたつもりだったんだけど、保温スイッチを切り忘れているんだよなあ。


ほんと、出家生活は色んな事が体験できて、楽しいなあ。(笑)                         

え~、何と言いましょうか。


相変わらずネットに溢れるオウム情報は、間違っているものが多いなと思う。


それがネット社会の怖さってやつなんですかねえ。




最近オウム食に関する話題をふたつ見かけたんだけど、オウム食って基本は皮はむかないんだよなあ。


サマナは皮ごと食べます。


まあ、しかしこれが、1ヶ月もすると慣れてきて、この世にこんなに美味いものがあるのかと思えてくるから不思議なものだ。


あまりにも美味すぎて、かえって味覚に対する執着が増大しているのではないかと思えるほどである。



そんなオウム食だけれど、教団の末期というか中期ぐらいにはサマナの食事はダーキニー達が作る供物になっており、オウム食は作られていない。


したがって、教団末期に出家したサマナたちは、オウム食を食べたことがないのではないかと思う。




強制捜査の後、当然供物は作られなくなり、アレフ・ひかりの輪へと移行していく過程でオウム食が復活したのだと思うが、僕が語れるのはオウム時代のオウム食に関してのみである。


なので、アレフ式オウム食とか、ひかりの輪式オウム食というものも存在するのかもしれない。


その違いは、本来のオウム時代のオウム食を知っている者にしか見分けることが出来ない。



その情報を提供出来るとすれば、古参のサマナでありながらひかりの輪を辞めた元サマナということになるが、そんなやついるんだろうか?


もしかしたら、今はちゃんと皮をむいたお上品なオウム食を、皆さん召し上がっているのかもしれないのだが・・・、

亀戸の土地と建物を取得してからしばらく経った頃、サマナたち数人と亀戸へ出かけることになった。


どうやら、都庁の職員がやって来るらしかった。


宗教法人の認証のためには、活動の拠点だとか、宗教的な教義だとか、宗教的な儀式だとか、活動実態だとか、色々説明があったような気がするが詳しいことは忘れた。



亀戸に着いてみると、まだ後に建てられる5階建ての建物はなく、敷地の奥のほうに小さな建物があるだけだった。


外で岐部がオウムの看板を書いていたが、これから都庁の職員がやって来るというのに今頃看板を書いているんだと思って驚いた。


まあ、オウムというのは大抵は泥縄なのだが。



鍵を開けて建物の中に入り、急ごしらえの祭壇の前でみんなでそれらしく振舞っているところへ職員が登場。


特に何かあるわけでもなく、しばらくして帰っていった。



こんなんで大丈夫なのかなあ、と思っていたら案の定認証が受けられないということで騒ぎになるのだが、次はいよいよみんな揃って都庁へ突撃することとなるのである。


野田ブログでよく出てくるテーマなので、さらっと軽く考えてみることにした。



これをヨーガ的に見てみますれば、とは言ってもヨーガって色々あるんだよなあ。


とりあえずシヴァ神がいるってことで、一神教の仲間ってことにしておこう。



で、ヨーガの修行においてはクンダリニーの覚醒を目指す。


そして、クンダリニーの別名がシャクティーである。


そのシャクティーとは何かというと、シャクティー女神つまり女性原理のことである。


その女性原理が男性原理であるシヴァ神と合一する。


要するに、男性原理だけじゃダメだから、女性原理を目覚めさせバランスを取りなさいということになる。



とまあ、そういう訳なので、一神教支配の問題というものはヨーガにおいては無いように思える。


ただしそれは修行者に関することだけなのかもしれないが。



現実問題としては、たしかに男社会が長く続き、様々な弊害が出ているように思う。


これはもう一旦女社会にしてから、真ん中へ戻すのが社会全体としてはいいのかもしれない。


まあ、女社会になると男にとっては嫌な世の中になるんだろうなと思うが、それも致し方あるまい。