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ある時、麻原がぽつりとこんな事を言った。


「アパンクリアはパイロットババの修行法なんだよ。」


そう言った麻原は、なんだか寂しそうだった。



その時に麻原が言ったのはそれだけである。


だからどうなのだの部分がない。


この前後に何の話もない。


脈絡もなく、そう言っただけである。




不思議な気がする。


まあ、麻原がこういうよう分からんことを言うのは別に珍しいことではない。


だから弟子たちはそれぞれのカルマに応じて様々な妄想をしてしまう。



不思議なのは、なぜアパンクリアだったのか?である。


さらに言うなら、なぜアパンクリアだけだったのか?である。


なぜヴァヤヴィヤではなかったのか?


なぜヴァヤヴィヤとアパンクリアではなかったのか。



オウムの修行と言えば、真っ先に思い浮かぶのはヴァヤヴィヤである。


ヴァヤヴィヤからの~ツァンダリー、これこそがオウムの修行法というイメージである。


オウムの修行が始まるのは、ヴァヤヴィヤからであると言っても過言ではないのだ。



オウムにはヴァヤヴィヤとアパンクリアの他にも様々な呼吸法やムドラーがある。


スクハプールバカにブラーマリー、バストリカにツイッタリー、マハームドラーにマハーバンダムドラー。


しかし、これらは全てヨーガ根本経典に書かれている、言わば誰でも知っている修行法である。



それに対して、ヴァヤヴィヤやアパンクリアはオウムにしかない。


しかもその行法は、誰でも知っている行法よりもはるかにハードで効果的である。



もしかすると麻原は、自分のオリジナルの修行法を作り出したかったのかもしれない。


最高度のヨーガ行法であるヴァヤヴィヤとアパンクリアは、パイロットババから伝授されたもの。


自分のオリジナルではない。


麻原には、そんな寂しさがあったのかもしれない。

ダンテスダイジの周りには、いつも死と隣り合わせのような雰囲気が漂っている。


本人もそうなのだが、友人が自殺したり恋人が死んだりということがよく起こる。


その結果、ダンテスダイジは死ぬか解脱するか、どちらかしかないという精神状態に追い込まれていく。


そして座る、修行が終わるまで座る。



恋人が死んだ時、ふらふらと禅寺を訪ねるのだが、そこにいたのが虎山老子。


虎山の名前の由来は分からないが、もしかしたら「虎を抱いて山に帰る」から取ったのかも知れない。


だとすると不思議なことだ。


虎山老子は臨済禅だから、一体どこでタオとつながりがあったのだろうか?



虎山老子はダンテスダイジの姿を一目見るなり座らせてくれたという。


食事と用を足す以外はひたすら座り続けるダンテスダイジ。


何も言わずに食事の世話をする虎山老子。



数日経った頃、公案が与えられる。


かの有名な「隻手」である。


さらに座り続けるダンテスダイジ。


そして、入室参禅。



虎山老子が次々に繰り出す意地の悪い質問を、残らず切って捨てるダンテスダイジ。


爆発が起こり、全てが終わる。


一礼して去っていこうとするダンテスダイジの背中へ、虎山老子が声をかける。


「これでお前の屁理屈も終わったな。」




面白い。


この人たち、面白いなあ。

ダンテスダイジの修行感並びに人生観というものには、概ね賛成である。


ダンテスダイジは仕事というものは、修行するための余暇を作り出すためのものだと言っている。


その通りだと思う。



まったく困ったものなのだが、修行者という奴は基本的に普通の人生には興味がない。


そして興味がないせいもあるだろうけれど、金儲けの才能もない。


いい会社に就職しようとも思わない。


なぜなら、仕事が忙しくなると修行する時間がなくなってしまうからである。



それでまあ、あまり忙しくならない程度に仕事をしつつ空いた時間に修行をすることになるのだけれど、毎日少しずつの修行ということだとだんだんと進歩はするものの壁を破って大きく前進するというのが難しい。


それでオウムでは極限修行というものをやっていたわけだけれど、これはこれでいいところもあれば問題もある。



理想としては、ダンテスダイジがやったように、自発的に自ら極限修行に入るということである。


ダンテスダイジの場合は基本の修行は座禅なので、とにかく座る。


ひたすら座る。


死ぬか解脱するか、どちらかまで座り続ける。



しかしそれは、凡人にはとても難しい。


座り続けることも難しいが、休みを取るのも難しい。


修行が完成するまで座り続けるということになると、一体何日間休みを取ればいいのかが分からない。


やっぱ仕事辞めるしかないんだろうなあ。


供養に値する魂じゃないと、生きていくのが難しいねえ。(笑)

一応、将棋は見てみるかな。


渡辺対てつじの対決は、小藪と同じく銀多伝になるんだろうか?


突き切りだと早めに上手に動かれるとまぎれる恐れがあるけど、銀多伝なら組み上げてしまえば勝ちやすいのかもしれない。



持ち時間は、渡辺の10分、10秒に対して、てつじの30分、30秒。


まあ、こんなもんだろう。



それよりも注目すべきは、豊島+YSS対ponanza+ツツカナ+習甦の合議制による対決。


驚くべきはその持ち時間。


豊島が30分、30秒なのに対して、コンピュータ側は一手10秒のみ。


ようやくプロもコンピュータの強さを正しく認識出来るようになったのかなと思う。



しかし合議制だと、ponanza単体よりも弱くなる可能性もある。


読みが違った時の判断はどうするんだろうなあ?


フローチャートみせてくれないかなあ。

突撃の日。


サマナ全員に集合がかかった。


サマナ服を着用し、オウムのバスに分乗して都庁へと向かう。


総勢は100人ぐらいだろうか。



都庁に着いたのはいいけれど、まだ麻原や幹部達が来ておらず、みんな駐車場で右往左往するだけだった。


まったくオウムってやつは、いつもいつも指揮命令系統がグダグダだ。



で、麻原がやって来て、さっそく外で職員と何やらやりあっていたが、遠くなので何を話しているのかは聞き取れない。


移動して今度は廊下でやりあっていたが、廊下では何なのでということで会議室のような場所に移動。


長テーブルを挟んで、麻原と信徒の年配の男性弁護士が並んで座り、その向かいに課長だかなんだかともう一人の職員が座った。



ここでの話の内容はというと、麻原が一方的に怒っており弁護士がそのフォローをするという展開。


都庁側にはほとんど喋らせない。


とても意味のある話し合いには見えなかったが、狭い部屋に立錐の余地なくサマナたちがぎっしり立ったまま周りを囲んでいたので、ひたすら暑い。


あまりに暑くて、もう途中で意識朦朧としてきた。



結局というか何というか話はまとまらず、一旦外へ出ることに。


廊下が涼しくて、生き返る~。(笑)


麻原はまだ話しがあるということだったので、サマナたちは壁を背にして廊下に一列になって座り、帰依マントラを唱えることになった。


オウムの人間から見ても、異様な光景でしたねえ。


キランキランのサマナ服着た連中が、廊下の端から端まで見渡す限り蓮華座組んで座ってマントラ唱えているんだから。



で、このときに、年配の男性職員が言ったのが、「こんな事をしても無駄なんだよ。要件を満たしていないから認証出来ないんだよ。書類に不備があるんだから、認証したくても出来ないんだ。誰か話のわかる人いないの?」


だいたいこんな感じの話だったと思う。


残念ながら、オウムには話のわかる人はいないのですよ。


今にしてみれば懐かしい思い出なんだけど、あのバカ騒ぎは一体何だったんだろうなあ。