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教団がオウムであることを隠して入信活動をやっていたのだが、そのひとつになぜか文通というのがあった。


23年前ぐらいのことだからなあ、時代を感じますなあ。



で、このKさん「私も功徳を積みたいです。」と言い出した。


偉い、偉いなあ!


やっぱ偉大な修行者は考え方が違う。


やすがは泰男にいさんの嫁。


あねさんと呼ばせてもらうしかないかもしれない。(笑)



どういうことかと言いますと、


Kさんは支部の雑用を担当しているために、自由に外に出ることが出来ない。


入信活動の基本は外でのものなのだが、唯一文通だけが支部にいながらにして出来る入信活動だったと言う訳なのだ。



で、何かの雑誌で相手を見つけて、順調に文のやりとりが始まったのでございますが、相手は驚くべし右翼の若者。


Kさんに何でその男を選んだのかと聞いてみたところ、「カルマの悪い人を救済しようと思いました。」という答えが返ってきた。


すげぇ~、あんたすげぇ~よぉ~。


きっと、こういう人を菩薩と呼ぶんだろうなあ。


てか、誰が許可したんだよ?


え、M師か?VD師か?



で、しばらくしてオウムだとばらしたんだけど、さすがは右翼、全く動ぜず。


そこで調子に乗って、こんなものを記憶修習してますと、教団の書籍とビデオを送りつけた。


すぐさまプレゼントのお返しが返ってきて、何やらその方面では有名な人が書いたらしい書店では絶対にお目かかることのない右よりの本と、未成年○禁レ○プもののビデオが、



もう一度、言います。


誰が許可したんだよ!誰が!



はあ~ぁ、昔は色んな事がありましたねえ。

Kさんって、何人もいるんだよなあ。


野田正悟師も告白されていたなんて、やるじゃないですか。


やっぱりあの顔でもてるのかなあ。




Kさんとは信徒時代からの知り合い。


出家してからは、支部活動でも一緒になったことがある。



ある時、Kさんとふたりで電話かけをしておりますと、


「あれ、何だこの臭いは?」


と思いながら、Kさんに近づくと臭う、離れると臭わない。



で、僕はKさんに言いました。


元R師「TDさん、ちょっと臭いよ。」


Kさん「やっぱり、臭いますか?」


元R師「うん、シャワー浴びてきたら。」



なかなか、こういうシチュエーションはないよね。


同じ部屋に若い女子とふたりきりで、シャワーを勧めるなんて。(笑)



Kさん「功徳を減らさないようにと思ったんですけど、やっぱりダメですか?」


元R師「うん、信徒対応があるからねえ。」


Kさん「だけど、電話番が・・、」


元R師「ああ、見とくからいいよ。」


Kさん「わかりました。」



で、部屋を出て行ったと思ったら、Kさん直ぐに戻ってまいりまして、


単に着替えてきただけ、しかも上着はそのまま。(笑)



さすがは偉大な修行者、功徳を無駄にしないねえ。

そう言えば、初心者向けのこんな瞑想もやってたなあ。

好きな座法で座り、目を閉じて、あとはのんびりゆったりとアストラル音楽を聴くだけ。


入信活動で一般の人にも聞かせたことがあったけど、みんなやたらと眠くなるんだよな。

特に「眠くなる成分は入っていません。」のだが、リラックス効果が高いためにそうなってしまう。


最初にアストラル音楽瞑想をやったのは、信徒時代の東京本部でのこと。

石井が新曲が出来たと言って持って来たんだけど、本当にいい曲が出来ましたと言って嬉しそうだったなあ。

なんだか懐かしい。



家にも来たーーー!




宗教の勧誘が来たーーーーーー!(笑)




モルモン教が来たーーーーーーーーーーー!




ちっちゃい紙切れが、


ポストに入っていたーーーーーーーーーーーー!



金かかってないなあ。


オウムはもっと金かけてたぞお。




「家族は小さな天国なのです。」



なるほど、これが教義なのか。


ひとつ賢くなった。

正直、書くのにあまり気が進まない。


書くのが難しいのではなく、多分大勢の人が誤解するだろうなと思うからだ。


オウムの教義について誤解するだろうし、僕についても誤解するだろう。



まあ、慣れていると言えなくもないのだが。(笑)


警察や公安調査庁と何度も話をしたことがあるが、いつも問題になるのは僕がオウムについて詳しすぎることだ。


特にオウムの教義の事細かな部分についてまで、詳しく解説できてしまうからだ。




というわけで、気が進まないけれど、帰依について解説してみましょう。(笑)



帰依というのは信じるということではない。


正しいから帰依するというものでもない。


何らかの見返りを求めるものでもない。



麻原が言ったように、対象がグルであるのなら、グルになりきることだ。


そこには、グルと自分との区別はない。


例えば人が右手をあげる時、その右手はその人の意思に反するだろうか?


これが帰依である。



信じる必要もない。


正しい必要もない。


見返りを求める必要もない。


この時の心の働きが、絶対的に不動の状態であることが分かるだろうか?



したがって、その対象はグルである必要すらない。


いわしの頭でもいいし、犬のうんこでも全く問題がない。


求めているのは、絶対的に不動の状態の心であるということだ。


これをオウムでは、金剛心と呼ぶ。



正しいグルを見つけたら、その時に帰依すればいいじゃないかという意見もある。


これは、プロ野球選手になってから野球のボールに触れると言っている様なものだ。


普段から帰依の訓練が出来ていない者が、その時になって帰依など出来るはずもない。



と、まあ、そういうわけで、皆さん誤解してしまったことでしょう。(笑)