法友(とも)へ -804ページ目

法友(とも)へ

ブログの説明を入力します。

野田ブログを見ていたら、懐かしい名前がふたつ並んでいた。



マハーラーキニーとは一緒にワークをしたことはないが、ヴァジラプシュパさんとはサティアンで一緒だったことがある。


ふたりとも誠実で、一生懸命ワークをする人だという印象がある。



何もしてあげられないが、最終解脱へ到る実践方法なら伝えることが出来る。(笑)


まあ、そんなことは望んでいないだろうけどね。




そうだ、そう言えば、マハーラーキニーには逸話があったなあ。


石井がシャクティーパットで全国を回っていたとき、安いホテルでいいから予約しておいてくれと言われて、ラブホテルを予約してあの女帝をラブホに宿泊させてしまった豪傑なんだよなあ。


ほんと、オウム真理教の愉快なサマナたちは、どこまでもネタが尽きない。

これも質問で出た話です。


ダンテスダイジの言う「愛」とは何かということですが、これはせっかく肉声が残っているので、自分で聞いて自分で判断してもらうのがいいと思う。




僕の考えでは、愛というのは自由を認めるということだと思う。


人間というのは、とにかく他人を自分の思い通りにしたがる。


つまり、他人の自由を認めないということなのだが、自分の思い通りにならないと悪い奴だということで攻撃を始める。


場合によっては殺したりする。



で、自由を認めるとこれと逆のことが起こるので、それが愛なのだと思う。


善人も自由、悪人も自由。


美しいものも自由、醜いものも自由。


男も自由、女も自由。


イヌも自由、ネコも自由。



そうやって自由を認めると、そこには完全な平等があるように思える。


ダンテスダイジにとってはそれでよかったんだろうなあ。



だけどこれ、凡人には耐えられない考え方だよね。


みんなが自由に勝手なことやりだしたら、どんな世の中になってしまうんだろうという恐怖がある。


そして気づく。


自分は、この世界のことを信じていないことに。



ダンテスダイジは信じていたんだろうなあ。


この世界を平等に見て、そして愛していたんだと思う。

まじめなオウマーなつさんから、「なぜ頭のよさそうな人たちがああものめり込んだのか、信じたのかを本当に知りたいです」という質問を頂いたけど、これは難しい質問ですよねえ。


おそらくだけど、のめり込んだ理由は人それぞれ違うのだと思う。


麻原がたくさんの引き出しを持っていて、相手に合わせて魅力的に思える色んなものを出していたんだと思う。



オウムはそれほど大きな組織ではないにもかかわらず、非常にたくさんの部署を持っていた。


現世にいると、俺はこんな仕事はしたくない、もっと他の事をやりたいんだ。


とか、自分はこんな事をするために生まれてきたんじゃない。


とか言う不満があるのだが、それを聞いた麻原は「よっしゃ、よっしゃ。」で好きなことをやらせてやる。

そういうことなのだと思う。



サリンを製造してしまった土谷はまさにこれだと思う。


生物が専門の遠藤の下で働くのんは嫌じゃ~。


ワシは化学のワークがしたいんじゃ~。


ということで、麻原は土谷を大臣に取り立てて好きにやらせた。


まあ、要するに、自分の煩悩を満たしてくれるから、麻原に従った。


そういうことになりますね。


それと説法。


麻原は実に様々な説法をしていて、それぞれがお互いに矛盾していたりします。


だから、それを聞く側が、自分の都合のいいように解釈してしまうんです。


自分の求めている部分だけを正しいとして、それ以外を無視してしまう。


そうすることによって、人それぞれの自分だけが信じられるオウムの教義というものが出来上がります。


自分だけのための、オーダーメイドのような教義ですね。


これはもう、信じるしかないでしょう。(笑)



あともうひとつが霊的な体験ですね。


オウムに興味を持つような人は、元々普通の人間にはない霊的な能力を持っています。


自分が見ているもの、聞いているもの、様々な霊的な体験は周りの人たちに理解してもらえない。


しかし、麻原はそれが何なのか全て説明してしまう。


生まれて初めて自分を理解してくれる人間に出会えた喜びで、麻原を信じてしまうということになってしまいます。



まあ、大体こんな感じで、これらの条件が組み合わさっているということになると思います。


そして、さらに常識からかけ離れた事を信じていく段階ですが、これは基本的に現実の世界では証明できない事をベースとした理論を展開していきます。


証明できない事なので、最初はそんなもんかなと思う程度だったり、全く信じていなかったりするのですが、時間をかけて同じ話をしていくうちにその話を当たり前の様に信じてしまう人間が増えてきます。


ということになると、次にその常識的には有り得ない事をベースとして次の理論が展開されます。


ますます証明できない話になっていくのですが、最初の前提を認めてしまっていると、それがあるとしか考えざるを得ないわけです。


この段階になると、証明できない事を言っているのが麻原だけではなく、幹部達が全員同じ事を言い始めるのでみんながそうなのかもしれないと思い始めます。


しかし、どうしても信じない人間も中にはいるわけで、そういった者は拷問のようなことをしたり、破門して排除したりするわけです。


後は、これが時間の経過とともに、どんどん深まっていくだけですね。

オウムにおける水中クンバカの記録は、サマナが15分超、そして信徒が7分超である。


まったくオウムというのは超人集団だなと思う。



まあ、しかし、クンバカの時間は横で比較することにあまり意味がない。


クンバカはあくまでも自分との戦いであり、他人と比較してどうこうというものでもない。


それに、水中クンバカは、修行というよりもアスリートが行うスポーツに近い感覚のものである。




クンバカの前に水中に腰の辺りまで水の中に入り、ヴァヤヴィヤの出入息を行う。


ヴァヤヴィヤの場合は25回で終わりだが、水中クンバカの場合はこれを10分、20分と続ける。


そうすることで血中の酸素濃度が上がり、クンバカ時間を1、2分長くすることが出来る。



さらにオウムには、AHIという便利なものがあるのである。


酸素吸入器を使って、高濃度の酸素の中でさっきの出入息を行うと、人間の限界まで血中酸素濃度を上げることが出来る。


要するに急性の酸素中毒である。



全身が痺れ、手足の先端から痛みが走り、それが全身に広がっていく。


その状態で水中クンバカを行うと、最初は全く呼吸が苦しくない。


全身の痛みが引いていくまでに3、4分かかり、そこからが本当のクンバカの時間になる。



したがって、オウムの水中クンバカの驚異的な数字というものは、修行者達が行う厳しい修行と、ごまかしがミックスされたものだということが出来る。

信徒時代に特別コースに出た時の指導員が井上だったことが何度かある。


ある時は受講者が僕一人しかいなくて、オウマー女子が泣いて喜びそうな、井上と個室でふたりっきりというシチュエーションになったことがあった。


そこで愛を語るわけでもなく、無粋にもヴァヤヴィヤをやっていると、そこへ邪魔者が。(笑)



後ろのドアが開いて、誰かが入ってきた。


コースの最中なのに、誰やねん。


と思っていると、上祐だった。



かくして、元R師の前に井上、後ろに上祐という元R師を除けば大変豪華なメンバーでヴァヤヴィヤをやることとなった。


僕のクンバカ時間は3分を少し超えるぐらいだったが、せっかくなのでこのふたりがどんなものなのか、自分と比較しつつ時間を計ってみた。


すると、


上祐が2分を少し超えるぐらい、井上が1分30秒を超えるぐらいだった。


がっかりだぜ。



この後、井上はヴァヤヴィヤをやるのを止めてしまい、上祐にいたってはシャヴァアーサナの体勢で横になってしまった。


おい、コース中に寝るんじゃない!(笑)


なんて自由奔放なんだ、この人たちは。



で、コースが終わったところで、井上は僕をほったらかして上祐のところへ近づいていった。


こら、ちゃんと信徒の面倒を見ろ!



コース終了まですっかりくつろいでいた上祐が起き上がったところへ井上が、「ねえねえ、今日はどこ行ってたの?」と上祐に擦り寄って体験談発表を迫る。


どこへ行っていたのかというのは、その辺の近所を散歩するとかという話じゃなくて、アストラルでの話。


史浩おにいさんは可愛い弟に優しく話をして聞かせる。


なんて、仲睦まじいんだろう。(笑)