法友(とも)へ -800ページ目

法友(とも)へ

ブログの説明を入力します。

ラージャヨーガの手法の他にも、ジュニアーナヨーガ的な手法もある。


どちらが向いているかは人それぞれかなと思う。


両方使えるのがベストだと思うが、片方だけでも効果は十分だと思う。



例えば肉体について考えるのであれば、麻原は「腕は私だろうか?」という例を出して説明している。


腕のどこかに私がいるのだろうか?


腕がなくなったら、私は私でなくなるのだろうか?



考えてみれば、腕がなくなっても私が8分の7に減るわけではなく、腕がなくなる前の100%の私のままである。


同様に、足のどこにも私というものはいない。


脳や心臓の様に生命維持に必要なものがなくなってしまうと生きていくことは出来なくなるが、そこに自分というものがいるわけではない。


結局、身体の中のどこを探しても自分というものは見つからない。


では、身体の外のどこかに自分というものがあるのかといえば、外のどこにも自分というものはない。



不思議なことに、自分というものがどこにあるのかを探してみると、自分というものがあることはしっかりと自覚できるにも関わらず、それがどこにあるのかが見つけられないのだ。

神仙の会の頃は、集中セミナーでいきなり四念処の瞑想を6時間とかやっていたわけだけれど、とても正気とは思えない。(笑)



麻原は四念処のことを、「私はだ~れ?」の瞑想であると述べている。


そして、その答えを透明な水だとか、鏡であると述べている。


これは真我のことである。


そして、その真我へ到達するために、四つのことを行う。



最初に考えることは、自分は真我であるということである。


私は真我である。したがって私は肉体ではない。

私は真我である。したがって私は感覚ではない。

私は真我である。したがって私は心ではない。

私は真我である。したがって私は観念ではない。


肉体や感覚については分かりやすいので問題はないと思う。


心については、思考や感情も含まれる。


観念については、知識や記憶、思い込みも含まれる。



次に、この四つを短くする。


私は真我であって、肉体ではない。

私は真我であって、感覚ではない。

私は真我であって、心ではない。

私は真我であって、観念ではない。



なぜこのような否定形を用いるのかというと、真我は真我という以外に説明のしようがなく、否定の形でしか説明できないからである。


この四つをさらに短くする。


私は肉体ではない。

私は感覚ではない。

私は心ではない。

私は観念ではない。


または、


肉体は私ではない。

感覚は私ではない。

心は私ではない。

観念は私ではない。


最初はマントラの様にして唱える。


次に、瞑想中に浮かぶ雑念に対し、この四つをぶつける。


麻原はこれをラージャヨーガによる否定の方法と呼んだ。



一切が幻影であるということを実感するためには、二つの方法がある。


ひとつが否定する方法であり、もうひとつが肯定する方法である。


否定する方法が小乗、肯定する方法が大乗ということであり、全てを経験しつくすということなのだが、これは人にもよるのだが相当に難しい。


確かに楽しいことは誰でも経験しつくしたいと思うだろう。


しかし、苦しいことを経験しつくすことなど出来るだろうか。


おそらくは無理だろう。


それよりは、苦しいことを否定する、そして、楽しいこともまあ否定してとらわれないようにすることのほうが簡単に思える。


それがこの四念処の瞑想である。

しかし、考えてみれば、単に面会を断るための口実の様にも思える。


他の人に会う予定があるからなどと、さすがはポーシャ、優しい心遣いよのお。(笑)



さて、東京拘置所における面会もいよいよ最終局面を迎えることとなる。


いよいよ登場するファイナルウェポンという感じだが、3枚目の申込書に高橋 克也と書いて窓口へと提出。


もう、慣れたものである。(笑)


さてさて、今度はどんな展開になるのやら。



長くは待たされなかった。


おそらく今までで一番早い。


「もとあーるさん。」と呼ばれ、即座に窓口へ。



あれ?


例の薄い色つきの番号が書かれた紙を持ってないぞ。


またしても嫌な予感。(笑)



よく見ると、職員が手に持っているのは、さっき僕が書いた申込書だった。


その申込書の、高橋 克也と書いてあるのを指さしながら、


「この方、接見禁止出てます。」


アウチ!



さすがは、どうもスマンガラ。


未だに独房で蓮華座組んで修行を続けているのだろう。



というわけで、三者三様の断られ方で誰にも面会出来ず。


まあ、すごすごと引き上げるしかなかったんだけど、拘置所の門をくぐったところでまた来た。


変な念がやってきた。


道路へ出ると、その変な念がさらに強まる。


右回りに歩いたところで何も変わらない。(笑)


まったく困ったもんだねえ。

びっくら、こっきこき~。


面会出来るんだ。



身分証明書も見せずに、名前書いただけなんだけど面会出来るんだ。


と思って驚いていると、「分かりますか?」


と聞かれたので、「分かりません。」


と答える。



「電光掲示板に番号が出ましたらエレベーターに乗ってください。」


「荷物は持ち込めませんので、ロッカーに預けて下さい。」


ということらしい。



「おお~、ポーシャに会えるんだ。」


「どんな言葉をかけようかなあ?」


と、あれこれ想いを巡らしながら、長いすに腰掛けて待つことになった。



次々に電光掲示板に番号が表示され、自動音声がたどたどしい日本語で読み上げている。


「イッパン ヒャク ヨン ジュウ ヨン バン ハチ カイ」


と言うのを聞いて、お~、そろそろだと思っていると、


またしても通常と違う展開に。(笑)



自動音声ではなく館内放送で、


「146番でお待ちの方、窓口までお越しください。」


またしても、嫌な予感。



まあ、逆らっても仕方がないので、おとなし~く窓口まで行ってみると。


「本人から連絡がありまして、今日は他の人との面会予定があるのでお断りするとのことです。」


あう~、まあ、しょうがないよねえ。



だけど、他の人って誰だ?


弁護士なら、弁護士との面会って言うだろうから、もしかして嫁ですか?


ポーシャ嫁ですか?



嫁には1回会ってみたい気がするんだよなあ。


前に滝本弁護士から、嫁が出てくるので久しぶりにみんなで集まりませんか、というお誘いがあって「お~、これが出所祝いってやつか。」と思ったんだけど、都合がつかなくて参加出来なかったんだよなあ。

そう言えば、世界コンピュータ将棋選手権の事をすっかり忘れていた。


最近では電王戦に人気を奪われているが、こちらは電王戦のような軽量級の戦いではなく、ハードの制限のない無差別級の戦い。


優勝するのはGPSやBonanzaのような怪物クラスターマシンというのが相場なのだが、今年は少し様子が違ったようだ。



優勝したのは、なんとパソコン1台だけのApery。


クラスターマシンを抑えての堂々の優勝である。


一体、何があったのだろうか?



リアルタイムで放送を見ていないので詳しいことが分からない。


棋譜を見たり、ネットで情報を拾ったりして調べてみようと思うが、非常に興味深い出来事である。



Aperyは初優勝。


このハードの性能で優勝できたということは、もしかしたらソフトが大きく進化しているのかもしれない。



その他の興味深いことは、GPSと習甦の予選敗退とYSSの上位入賞。


GPSは今回はクラスターではなくパソコン1台だけだったようなのだが、電王戦対策なのだろうか?


習甦敗退は理由が分からない。



YSSの上位入賞の理由は、もちろんクラスターの導入だろうと思う。


やっぱ強いなクラスターはって感じだけど、一番見てみたいのは何と言っても激指クラスター。


いつになったら見られるんだろうなあ?