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ひかりの輪の電話が留守電になってしまっているのは、やはり嫌がらせの電話が多いからなんだろうなあ。


まあ、たしかに大変だとは思うが、かつてのオウムよりもより閉鎖的になってしまったのは間違いないだろう。



そういえば、オウム時代も結構嫌がらせの電話があったなあ。


「信者にたりたいんですが。」


と言うので、真面目に応対していると、突然、


「入るわけ無いだろ、バーカ。」


と言われたりしましたな。



右翼からも電話がありましたねえ。


「何やってんだ、お前らはよ~。」


とか言われても、「真理の実践をしております。」


としか、答えようがなし。



「他に御用が無いのでしたら、切らせていただきます。」


と言って、電話を切っても、またかかってくる。


「すいません、こちらも忙しいので切らせていただきます。」


で、また直ぐにかかってくるので、一旦1回電話を切ってから出るようにする。


最初は電話に出るたびに「はい、オウム真理教です。」


と言っていたのが、途中から「はい。」だけになってしまう。




サマナというものはですね、麻原から指示された仕事を片付けなければいけないのですよ。


「右翼に邪魔されて出来ませんでした。」


などといういいわけが麻原に通用するはずも無い。



それでも、しつこく電話がかかってくる。


それで、今度は2回切ってから出ることにする。


もの凄い不機嫌な「はい。」と、2回切るをしばらく繰り返しても、まだしつこくかけてくるので、


「いいかげんにしろ!」


と言って電話を切ると、すぐさまかかってくる。(笑)



今度は3回切ってから、何も言わずに電話に出ると、


「何してやがんだ、てめえ!装甲車で突っ込むぞ!」


と言ってきたので、


「おう、やれるもんなら、やってみろ!」


と言って電話を切る。



またしても、直ぐに電話がかかってきて、今度も3回切ってから出てみると、


電話の向こうで、もの凄く恐縮した声で、


「あの、すいません。そちらはオウムの道場でしょうか?」


と聞いてきたので、


「そうだけど。なに?」


と答えると、


「こちらSPSなんですが、さっきから何回も電話をしているんですが、その度に切れてしまいまして。」


「そちらで、何かあったんでしょうか?」


と言ってきた。



う~む、恐ろしいほどしつこく電話がかかってくるなと思っていたら、どうやら右翼だけではなくSPSも1枚かんでいたらしい。(笑)


懐かしい思い出ですな。

まあ、しかし、ひかりの輪が対談を受けなくてよかった面もあるかなとも思う。


グルッぽで参加者を募集したんだけど、誰も希望者がいなかったんだよなあ。


ご丁重にお断りしなきゃいけないところだったかもしれない。



もしくは、僕がひとりで対談するってことですかね。


野田正悟師を立会人にして、上祐正大師と僕の対談ですか。


つ、つつ、つまんねええ・・・、


面白くねええええ・・、



元オウム3人で集まって、何を話すねん。


話すことなんか、何もあらへんがな。



ということになると、上祐正大師にはご遠慮願って、誰か他の人との対談ってのがいいなあ。


ネット動画を見ている限り、宗形さんが一番面白そうなんだけどなあ。



まあ、いずれにせよネットで動画配信する予定だったから、コメントを見ながらの進行ってことになるんだろうけどね。


遠い昔の思い出になりました。(笑)

ちょっと前にひかりの輪とオウマーとの対談を考えてみたんだけど、あっさりとボツになってしまいましたね。

ひかりの輪に対談を申し込んだけれど、何の連絡も返ってこなかったですね。


さて、ひかりの輪ですが、僕は今回連絡を取ってみるまでは、ひかりの輪に対して肯定的な見方をしてきましたが、それは誤りであったと認めざるを得ないと思います。

ひかりの輪はかなり酷い状態にあることは間違いないでしょう。


ひかりの輪の広報のお問い合わせは次の通り。
http://hikarinowa.net/public-info/

(もし留守電になった場合は、お名前・ご連絡先を録音願います。
   折り返し速やかにお電話いたします)

になっていますが、いつまで待っても電話はかかってきません。


・このサイトをご覧になってのご意見・ご感想
 ・関連出版書籍についてのお問い合わせ
 ・取材および調査研究協力等のお申し込み
 ・サイトに登場する、各個人あてのお問い合わせ
など、お気軽にお寄せください。

になっていますが、返信はなにもありません。


まあ、正直な話、断られたらそれでしょうがないなと思っていたのですが、電話でもメールでもまったく何の連絡もありません。

言っている事とやっていることがまるで違う。

人として最低限の対応が出来ていない。

これではダメでしょう。


ここまで酷いとは思っていなかったですね。


てか、担当 広末って、誰やねん、コイツ!

こんな奴、知らんぞ、と思っていたら、なんかこの感じ、前にもあったような、


そうだ、荒木だ。

荒木のときも、誰やねん?

と思っていたんだった。


どうしてだろうと思っていたら、奥様の愛人ということだった。

ということは、広末って、もしかして、上祐の愛人ってこと?

そういうことなんでしょうかあ!?

四念処というと原始仏教の瞑想というイメージが強いが、元々はヨーガの手法である。



自分は身体ではないとか、自分は心ではないというのは、普通の人間には到底受け入れがたい概念だと思う。


分析的な手法でそれを理解できる人間は、極めてまれなのではないだろうか。



そこで、修行上の体験というものが重要性を帯びてくる。


クンダリニーヨーガの激しい修行によって、自分は今まで思っていた自分ではないという体験をするのである。



結局は、最終解脱へ到る実践というのは、現世においては四念処しかない。


勿論、この現世には出家も含んでいる。


生きている間の修行においてという意味である。



で、四念処をやりさえすればそれでいいはずなのだが、理論的な理解が出来ていないとそれが続かない。


ところが激しい修行において、自分が身体ではないという体験を、自分が心ではないという体験を、たとえ一瞬でもすることによって、この考え方が理論的に正しいことが理解できる。


そのためのクンダリニーヨーガの修行であり、神秘体験なのである。



ところで、アーチャリーの予言に、6人の最終解脱者の話がある。


その6人は在家ということらしいのだが、それは正しいと思う。


というか、在家からしか出る可能性はないと思う。



なぜなら、出家している連中は、最終解脱のための実践方法を知らないからである。


アレフもひかりの輪も、僕のブログを見ることはないだろう。


ところが在家なら、僕のブログを見ている可能性がある。


今はどの集団にも所属していない元サマナは、1,000人以上いる。


その1,000人のうちの6人。


僕には、有り得ない数字ではないように思える。

四念処には三つのやり方がある。


ひとつは単独の瞑想として行う場合。


ふたつめは、究境の瞑想と組み合わせるやり方。



そして三つ目が最終解脱へ到る実践として行う場合である。


一切を幻影と見て、この現世を生きる。


様々な事が起こる、その起こる事に対して四念処を行う。



今までは身体が自分だと思って生きてきた。


今までは心が自分だと思って生きてきた。


それはあまりにも当たり前な自然な反応となっている。



それを四念処によって逆転する。


身体は自分ではない、心は自分ではない。


それが当たり前になるまで、記憶修習を繰り返す。



その生涯をかけて。


真我に到達するまで。