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上祐についてコメントがあったので、軽く書いておこう。



僕が上祐について興味があるのは修行ステージについてだけだ。


かつてのオウムにおいて、上祐と村井このふたりだけが修行ステージが高かった。


後はまあ、才能のある者もいたが、まあそこそこという感じだった。



村井はすでにいない、残ったのは上祐だけだが、この男には才能がある。


現世的な能力など、どうでもいい。


僕が興味があるのは修行者としての能力だけだ。



ここでオウムを知らない人が疑問を持つかもしれない。


教団には、正大師や正梧師が大勢いたではないかと。


しかし、あれは教団を運営していくために必要な階級制度であり、ただの方便に過ぎない。



で、この上祐という男はまさに修行の天才なのだが、いかんせんカルマが悪い。(笑)


器が大きいせいで人に頼りにされ、面倒を見なければならなくなってしまっているのだ。



おそらく、自分の修行のための時間はほとんどないだろう。


さっさとひかりの輪を解体して現世に戻り、自分の修行に専念してもらいたいところだ。


あの修行の天才がどこまでステージを上げるのか、それを見てみたいと思うのは僕ひとりではあるまい。

一応、連絡は取れたんだけど、


まあ、なんというか、普通ですかね。(笑)



可もなく、不可もなく、普通の人たちってことでしょう。


特に優秀というわけではありません。


まあ、こんなもんでしょう。

ヴァジラヤーナは特殊な考え方をする。


まあ、確かにそうなんだけど、それは一般的な宗教を基準にした場合の考え方である。


しかし、宗教というものは職業であり、生活の糧でありするので、本来の修行者としての考え方から外れてしまっている。


だから、ヴァジラヤーナというものは、修行者の視点で見るとそんなに間違っているとは言えないのではないだろうか。



グルっぽでも話題になったことがあったが、グルから弟子への愛というものはどうなのだろうか?


一言で言ってしまうと、ヴァジラヤーナにおいては、グルから弟子への愛というものはない。


ただ、弟子からの一方的な愛と奉仕だけがある。


これをバクティーヨーガと呼ぶ。



この実践において、グルは何も恩恵を受けない。


ただ弟子だけが恩恵を受けることになる。


なぜなら、その時エゴが消滅するからである。


グルに対して何の見返りも求めず、誰からも認められようとは思わず、自分の努力が全く無駄に終わろうとも気にかけない。


何という偉大な実践だろうか。


そして、自分が無駄死にする時になお、ただ一言「お気になさらぬよう。」というだけなのだ。


そんな魂に出会えたならば、ひたすら尊敬するしかないではないか。



麻原は、グルは鏡であると言っていた。


グルに何かを求めても失うだけだ。


弟子がグルに差し出したものだけを、弟子は受け取ることが出来る。


グルをおんぶにだっこに肩車して突き進むのがヴァジラヤーナの実践なのだ。

ヴァジラヤーナを実践する心構えを村井に聞いた事がある。


その時、村井はとても嬉しそうな顔をしながら、目をキラキラ輝かせてこう言った。


「今までに学んだことは、全部捨てろ。」



さすがだねえ。


こんなセリフは村井にしか言えないだろう。



オウムに関わり合いになるような連中は、精神世界について相当に詳しい。


何十冊も本を読み、いろんなところでいろんな事を実践し学んできている。


自分にはこれだけの知識がある、これだけの体験をしてきているという自負がある。


それを村井は全部捨てろと言ったのだ。



しかしこれは、何か新しいものを学ぼうとする者の態度としては当然といえる。


当然といえるのだが、それが出来る人間は極めて少ないのではないだろうか。


それをあっさり捨てられる。


ここに村井の非凡な才能が見て取れる。



オウム内でこれほどの才能を持った男は他にはいなかった。


オウムで修行を始めて、早い時期に村井の存在を知ることが出来たのは幸運だったと思う。


自分の能力では絶対にかなわない才能がいることを知って、僕は村井とは違う道を選択することが出来たからだ。


そのおかげで今の自分がある。


村井には感謝するしかない。

面白そうな番組をやるじゃありませんかあ。


http://tv.yahoo.co.jp/program/89967291/


情熱大陸で取り上げられた時は人間側の視点での番組だったけど、サイエンスゼロは科学番組だからしっかり解説してくれそうだ。



将棋のプロは人間相手の戦い方しか考えていないのに対して、コンピュータ側は基本的にコンピュータ相手の戦い方しか考えていない。


その両者が戦ってコンピュータが勝つということは、明らかにコンピュータの方が強いということを証明している。



将棋は結局は大局観で勝負が決まる。


どんなに研究して定跡を学んだところで、その場その場での形成判断が的確でなければ勝ちきることは出来ない。



コンピュータは評価関数を用いることで、この形成判断の問題を解決した。


コンピュータは自動的にネット上で強い相手と対戦し続けている。


30分に1回対局すると、1日で48回。


1ヶ月で約1,500回。1年で約1万7千回。


パソコン3台なら約5万2千回。


これだけの回数の対局を続けてデータを集め、評価関数を最適化し続けている。



そう言えば、偶然だけど、夢の扉の今日のテーマが「京」だ。


去年A級棋士の三浦を完全に子ども扱いしたGPSの1万倍ほどの高性能を持っている。


様々なシミュレーションに使えるのだが、誰か将棋のシミュレーションをやってくれないものだろうか?