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いよいよ明日、菅井のリベンジマッチなんだけど、勝てそうに思えない。


未だに敗因がはっきりしないとか言ってるようじゃ、やっぱダメでしょう。



僕が見る限りでは、浮いた飛車を3六へ逃げたのが敗因に思える。


その結果、飛車を取られて、その飛車で桂馬を取られ、その桂馬で玉頭を狙われ4九龍からの寄りとなってしまった。


あそこは飛車を下段に引いて、別の手で戦うべきであったと思う。



人間なら120%の力を出せるとか言ってるのもダメだ。


将棋というものはミスをした方が負けるゲームである。


ひとつぐらいいい手を指したところで、ひとつのミスで逆転してしまうのだ。



大山名人は本当にいい言葉を残している。


「平凡は妙手にまさる。」


「人間はミスをするものだ。」


まったく仰るとおりで、大山名人対コンピュータの対戦を本気で見てみたいと思う。




そう言えば、この前テレビで電王戦のことをやっていたんだけど、屋敷対ponanzaの戦いで端に香を打ったのは、32手先まで読んで有利と判断したからだそうだ。


そして終盤で下から銀を打って玉が上へ逃げた場面。


これは36手先まで読んで勝ちと判断している。


もはや人間界の常識は何も通用しない。



そして、このときもうひとつ面白い話が出た。


将棋の全ての指し手を、京を使ってシミュレーションしたらどうなるかというと、太陽系が消滅するまで計算し続けても終わらないそうだ。


まったく将棋ってやつは、奥が深すぎる。

カルマと輪廻転生について、オウムの教義ではどうなっているのかを書いておこう。


考えるのは基本的には欲六界の事だけである。


なぜなら他の世界について考えることにほとんど意味が無いからである。



到達光師というものがある。


これは瞑想をすると常に光が見える状態である。


その白い光は上からやってくる。


そして、自分の周り全てが白い光に包まれるか、あるいは光に飛び込み自分が光そのものとなる。


この白い光こそが天界の象徴であり、クンダリニーヨーガの成就を現している。



そういうことなんだけど、この説法がされた時は結構ショックが走ったものだった。


あんだけ苦労して修行して、まだ欲六界から抜けだせんのかい!


ってことだからだ。


まあ、グルがそう言うんだから、そういうことなんだということで。


つまり基本的には、人間界よりも上の世界にはまず行けないということだ。


だから、考えることはほとんど欲四界でいいということになる。



順番に、人間、動物、餓鬼、地獄となる。


対応する色は、青、緑、黄、赤である。


全部原色やん、という話ですな。


まあ、みなさん既に死と転生を御覧になっているので、御存知のことであるのだが。(笑)

秘儀瞑想は全部で5種類である。


これがバルドーでの実践となる。


麻原の指示に従って行うことによって高い世界へのポアが可能となる。


従って、しっかりと修習してマスターしておく必要がある。



5種類あるからといって、その全てをマスターしなければならないというわけではない。


マスターしておかなければならないのは、出家においては小乗のツァンダリーとグルヨーガ。


これは同時に解脱のための修行にもなっている。



在家においてはグルヨーガマイトレーヤとバルドーイニシエーション。


大乗のツァンダリーについては、やりたければやっておけばいい程度のことでしかない。


出家、在家ともにふたつあるのだが、どちらかひとつだけでも構わない。


理想はふたつともマスターしておくことだが、どちらかひとつだけでもポアは可能だ。



で、何にも修行しない人に対して麻原はどう言っていたのか。


これは、信徒からの「自分の身の周りの人が何もしないので、どうしたらいいでしょうか?」


という質問に答えたものである。


それは、青い光に飛び込むというものである。


なぜなら、青い光は人間界の象徴だからである。


何も考えずに、ただ青い光に飛び込む。


それだけを憶えておくようにということだった。

これもグルっぽで出た話なんだけど、ポア出来るのかどうか。



結論を先に言ってしまうと、そんな事は出来ない。(笑)


オウムの教義では、ポアするためにはグルの指導に従って修行する必要がある事になっている。


つまり、事件の犠牲者をポアしてどうのこうのというのは教義と矛盾しており、ただの方便であるということが分かる。



これは考えてみれば当たり前の話である。


何の修行もしていない、オウムとは何の関わりも無い人たちをポア出来るのなら、とっくの昔にシヴァ大神が人類を絶滅させてポアしているはずである。


そうしない理由は実に簡単で、出来ないからやらないということなのだ。



麻原の説法を聞いていると、一定のパターンがあることに気づくだろう。


ポアに関する説法はたくさんあるが、基本パターンはこういうものだ。


麻原はこう言っている、「ここに偉大なグルがいて、苦しんでいる人をポアしたらどうなるか?」


つまりこれは、全て仮定の話である。


自分がポアするとも、ポア出来るとも言っていないのだ。


この、何もいっていない部分を、弟子たちは自分の妄想でつなぎ合わせて、架空のストーリーを作り出し、自分自身をマインドコントロールしているのである。



だから裁判で、「なぜポアすることが正しいと思ったのですか?」


と聞かれても、答えることが出来ないのだ。


なぜなら、そこには麻原がはっきりと断言した部分がないからである。


全てがなんとなく、全てが曖昧で、全てがみんなでこっちの方向へ、そんな感じで進んで行ってしまうのだ。

支部活動をしておりました、ある日のこと。


「通達」出ました。



その内容はといいますと、「マイトレーヤ正悟師来る」というものであったと思う。


麻原の指示で、全国を回って信徒教化にあたるということだった。


直前まで修行に入っておりパワーアップしているので、お前らの手に負えない問題のある信徒をぎょうさん用意して待っておれ、ということだったのでその指示に従うことにした。



で、普段は道場にも来ない連中に電話をかけて、非常にステージの高い方からありがた~いお話を聞かせていただけますよと時間をかけて説得し、なんとか道場に来させる事に成功した。


とにかく面談を受けさせてしまえば、一気に意識がポアされて修行に励んでくれるに違いないと、期待が高まることこの上ないのでありました。



で、面談を受けて部屋から出てくるのを待ち構えていたんだけど、


あれ?


なんか、前と変化がないぞ。(笑)




とりあえず、仕方がないので「どうでしたか?」と聞いてみた。


「いや、別に。」という返答。


手に紙を持っていたので、見せてもらうと汚い字でなんか色々書いてある。


もはやご存知の方も多かろうと思うのだが、上祐は字が汚いのですよ。


すっごい頭悪そうな字を書きまする。



その信徒は続けて「何か説明してたけど、意味がわかんなかった。」


そう言うと、帰っていった。


なんやねん、これ。


正悟師役に立たんなあ。


ワシらのほうが、よっぽどマシやん。



で、一言嫌味を言ってやろうと思って、上祐のところへ行って「何も変化がないんですけど、どういうことでしょうか?」と聞いてみた。


そこで上祐が言った一言が「法則は説いた。」


なるほど。(笑)