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修行者というものは、一般人から見ると特殊な物の考え方をする。


興味の無い人にはどうでもいいことなのだが、その考え方を多少なりとも理解するためには、般若心経に目を通しておくのがいいかなと思う。


般若心経は、というか仏典はとにかく専門用語の羅列なので難解である。


で、話を分かりやすくするために、現代語に置き換えてみたい。



色と空という言葉が多く出てくる。


そこで、色をこの世、空をあの世に置き換えてみる。


まあ、あの世があるとか、この世がないとかということは置いといて、般若心経が言っているのはこういうことである。



この世とあの世は同じである。


あの世とこの世は同じである。


この世とあの世は異ならない。


あの世とこの世は異ならない。



必要条件と十分条件、そしてその対偶。


懇切丁寧に四通りの説明をしているが、要するに同じことの繰り返しに過ぎない。



はい、僕がこのブログで書いたことと同じですね。(笑)



で、一体何を説明しているのかというと、結局は真我の概念についてということに尽きる。


これを理解することが修行のスタート地点である。



そしてその次に、要するにエゴを滅するという作業に入るのだが、ここでもうひとつの事を理解しておく必要がある。


それは、エゴを滅するために使える道具が、エゴだけであるということである。(笑)



エゴを使ってエゴを滅する。


一見、理論的に不可能に思える。


しかし、心配することは無い。


その答えは先人達が既に見つけている。


その修行体系のことをヨーガと呼ぶのだ。

輪廻転生があるというのはひとつの観念である。


そして、輪廻転生がないというのもひとつの観念である。


どちらも単なる観念であり、どちらが正しいとかどちらが間違っているとかというものではない。


そこにはただ、どちらを選ぶかということだけがある。



ここで修行者は論理的に一貫性のある考え方をする。


つまり、この現実の世界があるというのなら、同じように来世もまたあり、当然に輪廻転生があるとする。


逆に、この世界が幻影であるのなら、同じように来世もまた幻影であり、輪廻転生はないということになる。


とても分かりやすい。



ところが、一般人はこの様には考えない。


この世は現実であるとしながらも、来世は無いと言う。


あるいは、輪廻転生は無いと言いながら、この世界が現実に存在すると言う。


一体どういうことなのであろうか?




輪廻転生があるとした場合、ポアのためにはグルとの協力関係が必要であり、秘儀瞑想もまた必要である。


このふたつが無ければポア出来ない。


これがオウム真理教の教義である。


従って、事件の犠牲者をポアするというのは、オウムの教義と完全に矛盾する。


つまり、この部分は方便であると考えることが出来る。



そして、ここでもうひとつ別の考え方がある。


それは事件の犠牲者をポア出来るとするものである。


この場合、グルの説く教義が嘘であり、秘儀瞑想は何の役にもたたない、ただ金を巻き上げるための詐欺であるということになる。


このふたつのうち、どちらでも好きな方を選ぶことが出来る。



まあ、僕の考えでは事件の犠牲者はポア出来ないとするほうが納得できる。


そしてここが、教義を理解するためのスタートラインとなる。


麻原はポア出来ないと知りながら、なぜ事件を起こしたのか?


麻原の言う救済とは何だったのか?



このスタートラインに立っている人を、僕は自分以外には知らないのだ。

死と転生を御覧になっている皆さんには説明不要であるが、上位アストラルはヴァイローチャナの白銀光から始まる。

いわゆる金剛界五仏の世界である。

ここでの選択肢は五つ、まあ、当たり前なんだけど。(笑)

白(白銀)、赤、青、黄、緑。

どれを選んでも浄土に生まれ変わることが出来る。


ところがこれが欲六界になると、実際には選択肢は四つしかない。

三悪趣の三つと人間界である。

こうなってくると現実的な選択肢は青しかない。

だから麻原は修行していない一般人に対しては青い光に飛び込めと言っているのである。

もちろん、修行者の皆さんにとってはこの限りではない。


グルヨーガが対応しているのは上位アストラルのみである。

五仏変化編なのだから、当たり前といえば当たり前である。

これに対してツァンダリーは全ての世界を網羅している。

ツァンダリーは各チャクラの浄化と強化を行うのであり、各チャクラはそれぞれの世界に対応しているのだから、これもまた当たり前である。


で、上位アストラルでは最初に平和の神々が優しく「こっちへいらっしゃい。」と誘う。(笑)

その次に、恐怖の神々が「こっちへ来なさい。」と厳しく呼びかける。

それでも言うことを聞かなかったら、さあ大変。

恐怖の神々はキレるのである。

そのときにヘルカ総出で、「オラオラオラ、四の五の言わんとこっち来んかい!」

と言って騒いでいる時の音楽がシャンバラシャンバラである。

まあ、しかし、一体誰がこんな面白いストーリーを考えたのだろうか?

バルドーで見える青といっても色々あるし、赤といってもいろいろある。


アミターバの純粋な赤い光が見えるのであれば素晴らしい。


そこに飛び込めば極楽浄土に生まれ変われるだろう。



しかし、赤はそれだけではない。


ヘルカの赤もあれば阿修羅の赤もある。


おそらく最も目にする機会が多いのは地獄の赤だろう。



アミターバの赤を見ることの出来る魂であれば、その後の赤との違いを知ることが出来るので、地獄の赤に飛び込むことは無い。


しかし、死後ショックで気絶をした後に目覚めて、初めてみる赤がどの世界の赤なのかを見分けることは不可能なのだ。


瞑想体験が無ければ、その赤がとても魅力的に見える。


そのため、大勢の魂が地獄に落ちる、という理屈になっている。



ここで麻原はこう言うのだ。


「だからグルが必要なんだよ。」


それが危険な赤であることをグルが教えてくれる。


そして、より高い世界へと意識をポアさせるための行法を指導してくれる。


そういうことになっている。



最初に輪廻転生があるという前提を受け入れることで、その後のグルが必要であるということと、バルドーでの実践である秘儀瞑想が必要であるということを受け入れざるを得なくなってしまうのだ。


で、ここでひとつの疑問が出てくる。


グルが忙しいときは、助けに来てくれるのだろうか?(笑)


あるいは、大勢の信徒、サマナが死んでしまうような時はどうなるのだろうか?



これに麻原はこう答える。


「変化身は無数に飛ばせるんだよ。」


とか、


「私の代わりに、アストラルにいる高弟達が君達のところへ行く。」


今生の生きている弟子たちは蚊帳の外である。(笑)