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カルマと輪廻転生の関係についてどう考えているのかというと、これは完全にその確率のままと考えていい。


「それは動物のカルマだ。」


などという言い方をすることがあるが、それは動物の世界へ確実に輪廻転生するという意味ではない。


他の世界へ輪廻転生する可能性もあるのである。



実際にはそんな単純ではないが人間、動物、餓鬼、地獄のそれぞれのカルマを、10%、20%、20%、50%であるとする。


三悪趣へ落ちる可能性が90%あるので、ポアする必要があるという判断になる。


しかし、何もしなくても10%の確率で人間界へ転生するのだということだ。



逆に、人間界のカルマが10%あるからポア出来るのであって、もし人間界のカルマが0%ならポア出来ないということになる。


そしてここで、もうひとつ重要なことがある。


たとえ人間界へ転生出来たからといって、動物、餓鬼、地獄のカルマが消えたわけではないということである。


それぞれのカルマは次の生へと受け継がれる。


たとえ死んでも、カルマから逃れることは出来ないのだ。



だからここで人間界に生まれ変わることの重要性が理解できる。


三悪趣に落ちれば修行が出来ない。


したがってカルマを滅することが出来ず、同じ生を繰り返すことになる。



修行が出来るのは人間界だけ、ここに麻原が青い光を強調する理由がある。


まあ、しかし、それもこの世が現実だと考える人にとってだけ来世があるという話である。


この世が幻影だと考える人にとっては来世もまた幻影であり存在しないのだから、何の心配もいらない。

バルドーにおける43日目あたりが人間界である。


本来であれば、ここで青い光が見えるはずなのだが、生きているときに三悪趣のカルマを積んでいるとそちらに意識が向かってしまい、人間界の光を見ることが出来ない。


さらに、そもそも死後ショックがあるので、43日目であることすら分からない。


普通ならそのまま通過して三悪趣へと落ちていくのだが、ここでグルが登場することで事態は一変する。


グルは「今が人間界だぞ、さあしっかりしろ。」とハッパをかけるのである。


そして、こう言うのだ。


「アナハタチャクラに意識を集中して、ガヤトリーマントラを唱えろ。」


すると、あら不思議、薄ぼんやりと青暗い光が見え始める。



しばらくして、「まだ汚れが残っているな、第二のプロセスで甘露を落として浄化しろ。」


しかし、暗さは取れてきたが、まだ明るさが足りない。


「エネルギーが弱いな、しばらく回しておけ。」


で、回していると、青い光はだんだんと明るく輝きだす。



ここまでくればもう大丈夫なのだが、これは43日目に終わらせておきたい。


44日目になってしまうと、同じ人間界と言えども厳しい環境の中へ転生せざるを得なくなるからだ。



青い光に意識を集中していると、それが大きくなり近づいてくる。


さらに集中すると、それがひとつひとつの青い光の粒であることが分かる。


その粒に集中すると、ここで様々なビジョンが見えてくる。

そのビジョンに飛び込めば、輪廻転生が完成する。



ここでバルドーの罠に嵌らないようにするために最後の注意が必要となる。

麻原が選ぶべきビジョンとして挙げているのが、一家団欒や人々がお互いに助け合い、笑顔にあふれているといったものである。


青い光を選んだ時点で最低でも人間界が保障されているが、出来るだけ幸せな環境を選択すべきであると思う。


というわけで、グルが必要であり秘儀瞑想が必要であるとするのが、オウム真理教の教義である。


つまり、事件の被害者はポア出来ないのだ。

オウムの教義では、カルマと輪廻転生の関係をどんな捉え方をしているのかを述べたいと思う。


が、その前に、バルドーについてもう少し詳しく書いておこう。



普通に考えるなら、来世は三悪趣か人間界である。


意識堕落天に転生するには、人を超えた能力の高さを要求される。


それは、ペットと人間の能力の違いと同じことである。


アメリカ合衆国大統領であれば、そのぐらいの違いが一般人に対してあるかもしれない。(笑)



次に天界であるが、これは自分のエゴを滅してどれだけ世の中のために尽くしたかで決まる。


他にも天界の要素はあるが、これがなければ天界へ転生することは不可能である。


ただひたすら世の中のために尽くす。


マザー・テレサなら多分行けるのだろう。



ということになれば、人間界よりも上の世界に行くことなど到底無理、白い光など見ることも出来ないことが理論的に理解してもらえると思う。


次に青い光についてである。



バルドーというのは基本的に生起の瞑想と同じ。


いわゆる時空を超えるというもので、距離や大きさはなく、時間の流れは一定ではなくしかも同一方向とは限らない。


下位四つの世界の色は、青、緑、黄、赤の順であるが、これらが平等に四つ並んでいるわけではない。


それぞれの光に意識を集中すれば、大きく近くに見えるが、そうでなければ小さく遠くあるいは見えない。



この意識を集中するという心の働きが、カルマと呼ばれるものである。


生きている間に、身・口・意においてなした行為の蓄積が、その魂の心の働きの傾向を決めている。


青い光に集中したくても、他のカルマのほうが強ければ、他の色の光が大きく近くに見える。


ほとんどの人には、赤い光しか見えないというのが現状である。



そしてそこで、そのどうにもならないように見える状況を打開する救世主が現れる。


それがグルである。


とまあ、オウムの教義ではそういうことになっている。

リベンジマッチは思っていた以上に好勝負となった。


見ている方は将棋の面白さを満喫出来たが、やっている方は大変だったろうなと思う。



それにしても習甦は名局製造機ですなあ。


前回MVPを獲得したのが分かる気がする。


もうこうなったら、菅井プロには勝てるまでリベンジし続けてもらいたい。(笑)


全部を解説していると長くなるので要所要所だけでいきたいと思う。


74手目の1二玉について、ここまではとりあえず互角の展開だが、面白いことに激指はこの手を悪手と判断している。


ここで先手有利となるのだが、ところがこの後の9六歩がこれまた悪手で形勢互角に。(笑)



で、勝負どころの後半に入って、89手目の6二角成これがいわゆるぬるい手。


自分で飛車の横利きを止めてしまっている。


おまけにこの後、5三成銀と入るのだから、6二角成とせずに5三成銀と入るのに比べて一手遅れてしまっている。


おそらく、これが敗着になったのだと思う。


単に5三成銀と入ると、6一金打の両取りが見えているが、それは7五飛成としておけば問題はないし、3二飛成と攻める手もある。



続いて、95手目の7八飛、この手もぬるい。


逃げるなら4八だろう。


それがだめでも、せめて6八に逃げて相手の馬に当てておかないと先手が取れない。



113手目の3二飛成、これもまた悪手。


ここは6二飛上成とすべきだった。



まあ、この後も熱戦が続き、人間の目で見れば先手が勝ちそうにしか見えないのだが、激指の解析ではずっとコンピュータ有利の状態が続いており、終盤でこれだけの差をつけられたら絶対に挽回は不可能と言えた。



そして、後手の2五角打ち。


この狙いは、6九角成、同飛に4八飛と打ち込み、王手成り銀取りで相手の攻めゴマを全部取ってしまうということ。


これに対する3六歩がこの対局最大の悪手。


これで完全に先手が崩壊した。



142手目、3二金と銀を取った手が詰めろ。


3四金と上がって、7五角を消したが、所詮は時間の問題。


141手目2四歩のところで4一角としておけば、詰み上がりの8五桂を防いではいるのだが、これ以上勝負が長引いても人間側の体力も精神力も持たないだろう。



全体を振り返ってみても、やはり菅井のミスが目立つ。


習甦はじっくり指すタイプのソフトなので、一気に止めを刺しに来ることはないが、見た目以上に力の差はあるのだろうと思う。

事件の被害者をポアすることはオウムの教義と矛盾し、不可能であることは既に書いたとおりである。


もしそんな事が可能なら、修行もそれ以外の何らかの努力も全てが無駄だということになってしまう。



では何故、麻原はそんなはっきりと分かるような嘘をついたのだろうか。


そこがタントラヴァジラヤーナ。


単なるヴァジラヤーナではなく、タントラヤーナすなわち、目的を達成するためには嘘をついても構わない、という部分がくっついているのである。


つまり、グルは始めから、「これは嘘だよ~ん。」と宣言してくれているのだということになる。



これはカスタネダの話と似ている部分がある。


カスタネダのグルのドンファンは、最後に光の中へと消えていくのだが、その直前にカスタネダに向かって「今までお前に教えたことは全部嘘だ。」と言い残している。


ひとり残され、茫然自失とするカスタネダ。


なんて美しい師弟愛なのだろう。(笑)




で、ポア出来ないことははっきりしたのだが、だからといって救済出来ないという訳ではない。


というより、そもそも麻原は何をどのように救済するつもりだったのか?である。



既にこのブログに何度も書いているが、それは人類の救済、全ての魂の救済と麻原自身の完全解脱の達成である。


個の完成が最終解脱であるのに対して、救済の完成が完全解脱なので、当然のことながら救済は必要であり、その救済の完成というからには人類全ての救済でなければならない。


狂人の頭の中では実に当たり前の話なのだが、普通の人間の頭では到底理解できないのだろう。


まあ、僕はその狂人の思考パターンを理解できるので、僕も麻原と同じく狂人だってことなんでしょうかね。