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人間の目は光を見ることが出来ない。


普通に考えると、これはとても不思議なことの様に思える。



人間の目に見えるのは、光を反射した物体だけである。


光そのものは見えない。


そして、なぜ人間がものを見ることが出来るのかは、未だに分かっていない。



しかし、そうでないと目というものは役に立たなくなってしまう。


例えばライトから光が出ているとして、光そのものが見えたなら目の前に見える光に遮られて、ライトは見えなくなってしまう。


これは光を横から見てみれば直ぐに分かることである。


空気中に光の筋が見えるのは、光そのものが見えるわけではなく、空気中に浮かぶチリやほこりに光が反射しているだけである。


つまり、見えているのはチリやほこりであり、光が見えているわけではない。



暗黒物質や暗黒エネルギーというものが純粋な光であったとしたら、もちろん人間の目には見えない。


しかし、このことに関する答えを、修行者たちはとっくの昔に出してくれている。


彼らは一様に、口を揃えてこういうのだ。


「この世界は光で溢れている。」


なんて素晴らしいんだ。




もうひとつ面白い話がある。


光に関する話としては、光は重力の影響を受けないというのがある。


しかし、重力レンズによって光は曲がっているように見える。


これは光が曲がっているのではなく、重力によって空間が曲がり、その曲がった空間の中を光は直進しているだけだというのはご存知の事と思う。



もうひとつの面白い話というのは、光よりも早い速度で移動するものがあるのかどうかということである。


実はこれは、あるということなのだ。


宇宙空間の膨張は相対的であり、お互いに遠ざかっている。


従って、距離が遠くなるほど、その遠ざかるスピードは速くなる。


そして、180億光年離れると、空間が遠ざかるスピードが光速を超えてしまう。


当然、その空間の中にある物質は、光よりも早く移動することになる。



つまり、光よりも早く移動することが出来ないというのは、一定の空間内でのという条件付での話だということだ。


まさしく観念の崩壊ですな。(笑)


そして、光よりも早く遠ざかる物体から発した光は、こちらに届くことが無いために見えなくなってしまう。


その向こうに広大な宇宙が広がっていたとしても、もはや見ることは不可能ということだ。

あ、そうだ。


暑中見舞いの文面は、


でっかく、「盛夏深涼」



そして、


暑さ厳しい折いかがお過ごしでしょうか

 時節柄、

 皆様のご健康をお祈り申し上げます。


になっていた。



そして、ホタルの絵。


小池さんから暑中見舞いが届いた。



「先日は差し入れをありがとうございました。」


「泰男さんがとても感謝しておりました。」


とのこと。



こういうのを見ると、


おお~、ほんとに結婚してたんだ。


とか思う。



まあ、無事で何よりでございますな。

最近の物理学はなんだか凄いことになっているなあと思う。


あれこれよく分かんないところもあるので、広瀬に解説してもらえたらなあと思ったりする。



素粒子はどんどん細かくなっていくと、波の性質を持つということらしい。


しばらく前までは、この意味が分からなくて、「ふーん。」という程度だった。


最近になって少し意味が分かってきたのだが、この仮想フィールドと呼ばれるものは、別の表現をするなら点滅に近いものらしい。



原子核は陽子と中性子で出来ているというのは、現代日本人にとっては義務教育で教わる社会常識ということになると思う。


この陽子と中性子は、実はその瞬間瞬間に、現れたり消えたりしているらしい。


まさに一切は無常であるということになる。(笑)



現れたり消えたりといっても、陽子が丸ごとということではない。


陽子を無数の細かい点の集まりと考えた時に、その点のひとつひとつがものすごいスピードで現れたり消えたりしているということだ。


この宇宙を構成する物質は、結局のところ陽子と中性子で出来ているので、この宇宙の全てはその瞬間瞬間に創造され破壊されていることになる。


なんてこったい!なんてこったい!



そしてその物質であるが、宇宙全体ではほんの数%しかないらしい。


実は全宇宙の95%以上は物質ではないのである。


てことは、やっぱりアストラルがメインなのか?(笑)



アインシュタインの相対性理論というのは偉大なもので、重力レンズにより何も見えない空間に暗黒物質と呼ばれるものが存在することが証明された。


これは目に見えないが、そこに質量を持っている。


次に、宇宙全体の運動エネルギーと位置エネルギーが釣り合っており、プラスマイナスゼロであることが証明された。


つまり、宇宙は無であるということになる。


今までは、宇宙が誕生するのに膨大なエネルギーが必要とされてきたが、実は宇宙は無から生まれたということが分かったのだ。


なんてこったい!なんてこったい!



そして、運動エネルギーと位置エネルギーが等しいことから、物質と暗黒物質を足しても宇宙全体の位置エネルギーが足りず、そのバランスを取るための暗黒エネルギーと呼ばれる、目には見えない質量も持たない純粋なエネルギーが存在することが証明された。


まあ、人間の目は光を見ることが出来ないので、暗黒なんちゃらと呼ばれるものを見ることは出来ないんだろうなと思う。

オウムの教義には、これは絶対に外せないという大前提とでも言うべきものがいくつかある。



自己の救済というものは修行なしには有り得ない。


そして、他の救済というものも修行なしには有り得ない。


つまり、救済とは何らかの方法で、他人に修行をさせること、ということになる。


したがって、何もなしには救済もポアも有り得ないという事になる。



この大前提に従うものが教義であり、この大前提から外れているものが方便である。


非常に分かりやすい。


そして、もうひとつの大前提が、カルマの法則は絶対である。


というものである。



この、カルマの法則が絶対であるという考え方は、輪廻転生する限りはという条件がつく。


つまり、ニルヴァーナに入るのなら、カルマの影響は受けないということである。


その場合、残されたカルマは空性に還元され、消えていく。



逆に、ニルヴァーナに入らないのであれば、絶対にカルマの法則からは逃れられない。


前に人間界へ転生しても、三悪趣のカルマが消えるわけではないと書いたのはそういう理由による。


そして、この世界に生きて肉体が存在している間は、輪廻転生の途中でありカルマの影響を受ける。


これはシャカムニやその弟子たちの死に様を見れば理解できるだろう。



この、カルマの法則は絶対である、ということを知っていれば簡単に方便を見分けることが出来るのだが、そしてその時同時に、ある驚くべき事実を知ることになる。