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修行班の部屋に入っていくと、「どうしたんですか?」


とか、「何かあったんですか?」


と次々に声をかけられた。



知らない人のために説明をしておくと、オウムでは修行に入るということは成就のための修行を除いて、必ず何か問題があったということになっている。


まあ、大抵の師は何がしか問題を起こして修行に入れられるのであるが、僕の場合は常に修行を怠ることはなかったので一度も修行に入ったことがない。


というわけで、このときの修行班の面々はそのことを知っていて、このように声をかけてきたのだと思う。



そこで軽く事情を説明して、場所を借りることにした。


なんだか順番に監督をやっているようで、ちょうどひとり分スペースが開いていた。


畳の上に毛布を折りたたんで置いてあり、その前には書見台があった。


懐かしいなあと思いつつ、これから究境の瞑想の時間だというので、一緒に瞑想することにした。


このときのメンバーはなぜか女子だけだったような気がするが、あれは何だったのだろうか?



照明が消され、瞑想が始まる。


突然の事だったのでアイマスクは持ってきていなかったが、夜なので目を閉じればそれで十分だった。


蓮華座を組んでツァンダリーを始めると、直ぐに光の中へ没入した。


赤、青、黄、緑、無数の光の球体の中で一緒になって漂う。


それぞれの球体ははっきりと違う色を発しており、その光が混ざり合うことはない。


とても綺麗だ。



瞑想をやらない人は知らないと思うが、瞑想中に見える光はこの世で見るどんなものよりも美しい。


まさにこの世のものではないのだが、自然現象におけるオーロラや太陽の光が作り出す光景は、瞑想中の光と比べればただのぼんやりとくすんだものでしかない。


瞑想中の光はゾッとするほど美しく、我を忘れて見入ってしまう。

かもめのジョナサンの完成版を読んだ。


前作と同様、あっという間に読み終えますな。



まあ、修行者の立場で見れば、どこから見ても修行の話です。(笑)


空間を超えて、時間を超えて、光の存在になる。


修行のプロセス以外の、一体何だというのだろうか。


かもめのジョナサンだけを読んでいると分からないかもしれないが、リチャードバックのほかの作品であるイリュージョンやONEを読むとその意味がはっきり分かるだろう。



それにしても不思議なのは、このリチャードバックという人物である。


すでに悟りを得ているようにも見えるが、修行の大切さを伝えなければならない焦りのようなものも垣間見える。


おそらくキリスト教圏で育ったのだろうが、考え方に東洋的なものを含んでいる。


まあ、いいか、そんなことは。




それよりも大切な事は、解脱を求め続ける重要性である。


グルを求めても解脱しないが、解脱を求めるとグルが現れる。


もちろん、その人のカルマに応じてということになるが。



かつて、ラマナ・マハルシは(昔はラーマナ・マハリシだったんだよなあ。)グルを求める修行者の「あなたは私に神を見せてくれるのですか?」という質問にこう答えた。


「誰もあなたに神を見せることは出来ない。」


かっこいい~。


かっこよすぎる~。


死ぬまでに1回ぐらい、こういうセリフを言ってみたいもんだね。(笑)

村井が出て行ったところで、麻原に色々と報告をする。


次の指示を受けたり、あれこれと話をしたり。


意外に思われるかもしれないが、麻原はいつも難しい話ばかりしているわけではない。


普通に話もするし、結構笑いが溢れている感じである。



一通り話が終わった後で、麻原が「よし、イニシエーションだ。」


と言い出した。


大声でドゥルガーを呼ぶと、たしかチャンだったかと思うが、を持ってくるように言った。




麻原は、すし屋で見るような大きな湯飲みを受け取り、しばし瞑目して修法すると、


「チベット密教において、偉大な修行者たちはこれを飲んで瞑想した。」


と言って、その湯飲みを僕に差し出した。


僕がその湯飲みを受け取ると、


「一気に飲み干せ。」と言った。



言われたことを言われたままに実行するのが、ヴァジラヤーナの弟子の務め。


言われた通りに、一気に飲み干すと、麻原は「強いなあ。」


と一言。


こういう時、麻原はいつもご機嫌である。(笑)



味はというと、すっきりとした癖のないやや辛口。


見た目は、どぶろくよりは米粒が大きめに残っている感じ。


酵母による発酵が少し足りなかったのかもしれない。



で、飲み終えたところで、麻原が「下で修行班が修行しているから、1時間回しておけ。」


と言うので、場所を借りに下へと降りていった。

麻原に呼び出されて第二サティアンに行ったときのこと。


1階入り口のSPSの窓口で、「Rで~す。」と告げると、直ぐに「お上がりください。尊師がお待ちです。」という返答があった。


さすがだねえ。


富士のアホな受付とは違う。



前に、夜中に石井から1千万持って来いと言われて持っていったとき、富士の受付窓口で石井を呼んでくれと言ったら、「マハーケイマ正大師は誰にもお会いになりません。」と言われたことがあった。


お腹の大きい石井をかばってのことなんだろうけど、アホにもほどがある。


石井に確認もとらずに追い返そうとするなんて、普通の社会人としては到底通用しない。


まあ、この場合は何の連絡もしていない石井がアホなのかもしれないが。



というわけで、SPSの連中は優秀だなあ、と思いながら階段のほうへ歩いていこうとすると。


「エレベーターをお使いください。尊師の許可がおりています。」


と言われた。



これは結構珍しいことだと思う。


サティアンでは何度かエレベーターを使ったことがあるが、それは全てワークで何かを運ぶ必要があった場合だけだ。


まあ、しかし、「功徳を減らしたくないから階段で行くよ。」


と答えて、麻原の部屋へと向かう。



部屋の外で「Rです。」


と一声かけてから、引き戸を開けて部屋の中へと入ると、村井がたくさんの資料を広げて麻原に何やら説明をしている最中だった。


麻原の「マンジュシュリー、外してくれ。」の声を聞いて、村井は資料を片付け部屋を出て行った。

コメントに書き込みがあったので、軽く書いておこう。



まあ、戒律としてあることはあるんだけど、それが絶対というわけではない。


それに戒律とはいっても、それは信徒のことであり、サマナは与えられたものしか口にすることは出来ない。



が、しかし、例外はいくつかある。


あれはいつごろだったかなあ、94年に入ってからだったかなあ、麻原がやたらと亀戸で説法をするようになった時期があった。


10回ぐらいはあったかもしれないが、夜中に集まってということなので、終わった後は既に終電も終わっている。


信徒の帰依を試す意味が会ったのかもしれない。


まあ、内容はこれからはヴァジラヤーナの救済だぞ、みたいなことだったと思うが、特にどうこうということはない。



それよりも、問題はその時のイニシエーション。


これにアルコールが含まれていたのであーる。


作り方は簡単。


人数は100人ぐらいだったと思うが、ポリタンクにサントリーホワイトとサットヴァレモンを入れてお湯割りにする。


後はタンクを振って混ぜ合わせるだけ。



これの担当がドゥルガーなんだけど、未成年者だよね。(笑)


まあ、力持ちだからって事なんでしょう。


これがなかなかどうして、結構美味い。


だからといって今飲みたいとは思わないが、せめて角にしてくれって感じですかね。