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考える人、強し!


糸谷が森内をカド番に追い込んだ。


これは新しい時代が来るのでしょうか?




それにしても、よくもまああそこから逆転したもんだなと思う。


まあ、それも、将棋というのはミスをした方が負けるという性質上の事なのだが。



途中までは森内の有利な展開だったのだが、91手目の5六金打が悪手で形勢は互角に。


111手目の6四角がこれまた悪手で糸谷の有利に。



序盤ならともかく終盤に来てのミスは痛い。


続く113手目の6三銀が連続の悪手で勝負あり。


森内は持ち時間を使い切ってしまっていたので、致し方なかったのかもしれない。


ここで糸谷が座り直し、決めにかかる。



121手目に森内の王手龍取りが決まるのだが、終盤は駒得よりも速さの格言どおり。


糸谷が龍を取らせているその一手の間に鮮やかに寄せ切った。



さて、いよいよ近づいてきましたかね。

さて、その翌日。


護摩供養の呼び出しがかかったのだが、参加しないと言い張るサマナも出始めた。


護摩供養は基本的には強制参加なのだが、幹部たちが逃げているのだからサマナたちも当然の権利を主張したことになる。



それはあかんやろう。


自分が参加しなかった分だけ、他人の苦しみを増やすことになるのだから。


「自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする。」とする修行者としてはやってはならないことだ。


だからといって他人に強制するわけにもいかないので、今日はキャベツが無いことを祈りつつ道場の2階へ上がっていった。


連日の死闘を覚悟した上でのことだったのだが、この日は上祐から重大発表があった。(笑)




さて、ここでクイズです。


いかにも上祐らしいその重大発表とは何だったでしょうか?




1時間を過ぎても一向に食べ終わる気配が無い。


すでに腹一杯で何かを口に入れるのが苦しい状態がずっと続いている。


固いものを噛み続けているので顎が疲れてきている。


普段の食生活でいかに柔らかいものを食べているのかを思い知らされる。


顎が筋肉疲労を起こして痛みを感じるまでになったのは、僕の人生の中では後にも先にもこの時だけだ。



後年、映画「セブン」を見たときに、このときの事を思い出してしまった。


死に到るまで食べ続けるなんて、大変な苦しみなのだろうなと思う。


まあ、この時は2、3時間で終わることなので、大したことはないとは言える。



困るのはその分だけワークが遅れてしまうことだ。


「キャベツを片付けるのに時間がかかってしまい出来ませんでした。」


などという言い訳が通用するほど、オウムというのは甘い集団ではない。


和気あいあいと、おしゃべりでもしながらならまだ気がまぎれるかもしれないが、供養している間は沈黙の行である。



2時間を過ぎた頃になって、ようやく全てを片付けることが出来た。


腹がパンパンでゆっくりとしか動けない。


身体を少し傾けるだけで、吐く気も無いのに胃袋の中身が外に出そうになる。


翌日の護摩供養はキャンセルしたいところだが、サマナたちは強制参加である。


幹部たちと違って逃げることが出来ない。



3時間を過ぎた頃になって、知り合いのV姉さんが2階から降りてきたが、その時に「今生で一番苦しかった。」と言っていた。


やはり女の身にはきつかったのだろうと思う。



それにしても腹立たしいのは幹部たちの行動である。


これまでもニンジンが丸ごと出ているような時には参加せず、丹とソーマと果物だけの時だけ参加したりしていた。


こんな連中が成就者だなんて、お笑いぐさだなと思ったものだ。

ケーチャリームドラーでのついでの話。



カミソリで切る場合、一度に全部切ってしまうと舌が思うように動かせずに、自分で噛み切ってしまう恐れがあると言っていた。


たしかに、舌が真ん中にくるように裏側がくっついているわけだから、それを切ってしまったら舌がどこへ行くか分からない。


なので、少しずつ切って舌の動きになれる必要があるということだった。



で、麻原は井上の舌を思いっきり根元まで切ってしまうということを言いたかったのかもしれない。



舌切りスズメか!

その日の護摩供養は、なんだかいつもと違う雰囲気だった。


社食や学食でよく見かける四角いトレイからはみ出すようにバカでかいキャベツが乗っていた。


大きさの違いがあるので人によって違いが出てくるのだが、丸ごと1個プラス4分の一から1個。


ふざけているとしか言いようの無い事態だった。



誰がどう考えても神々に捧げる供物では有り得ない。


行列の出来るトンカツ屋でも、ここまでのサービスはしてくれないだろう。(笑)


こんな事が起こってしまうのがカルトの怖さということなのだろうと思う。


幹部たちの無思考状態が、末端の人間達に悲劇をもたらしてしまうのだ。



この日の護摩供養はまさに死闘と呼んでよかったと思う。


食べても食べてもなくならない。


内側の固い芯までも、まるごと全部キャベツを生のまま食べたのは、このときが最初で最後だ。



もはや、喉にグルを観想してどうのこうの、などという余裕はどこにも無い。


ただひたすら苦しい時間が続く。


おまけに供養のルールとして、何も道具をつかってはならないということと、供養が終わるまではその場を離れてはならないというのがある。



1時間かけて、ようやく半分くらい片付けることが出来た。


キャベツの芯は固いけど、そんなに不味いものではないなと思ったりもする。


僕は男だからまだいいけれど、お年寄りや身体の小さい女性には骨が折れる作業だったと思う。


周りからかはお婆さんのため息のようなうめき声や、女性のすすり泣きのような声が聞こえてきて、もはや地獄絵図。



それだけならまだよかったんだけど、もうひとつおまけに酷い話しがある。


この日の護摩供養には、幹部たちが参加していなかったのだ。


幹部たちは前日に祭壇に上げられる供物を見ているので、翌日に何が出るのかが分かる。


しかし、サマナたちには分からない。



幹部たちは、自分達が苦しみから逃れるために、サマナには知らせずに自分達だけが逃げたのだ。


そうすることによって、サマナたちの負担が増えることを知った上でのことだ。



これがあらゆるカルト団体の内部で起こっている事なのではないかと思う。


幹部たちの無思考状態によって末端の者達が酷い目に会う。


そして、幹部たちは末端の者達を見捨てて逃げる。


それが人間というものなのだろうなと思う。