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全能者のパラドックス。


サイコパスⅡの根底にあるテーマとなっている。



しかしまあ、西洋人という奴は、こういうことを考えるのが好きだねえ、と思う。


こんな事をいくら考えても、思考の中に答えは無いのにな、と思う。



まあ、全能者の定義が問題であり、もしかすると全能者という日本語訳が間違っているのかもしれないが。



その点、東洋人は西洋人と違って、この手の問題を正しく考えることが出来る。


などと思ったのだが、実はそうではなかった。(笑)



シャカムニの弟子たちも同じように、思考の罠に嵌ってしまっているではないかいな。


真我を無我なのかと考えたり、非我なのかと考えたりしている。


真我だといっているのに、思考が真我ではないものからスタートしてしまっているのだ。


これでは永遠に正解に辿り着けない。



出来の悪い弟子たちばかりでシャカムニも随分苦労したと思うが、それで仕方なく真我とは関係のない回りくどい方法を考えて弟子たちに伝えた。


シャカムニ自身が実践したのとは違う方法であるにもかかわらずだ。



その点、オウムの教義の根幹をなすものは真我独存である。


これは非常に分かりやすい。


そして、真我の概念を理解できずにオウムの教義について語ることは、全能者のパラドックスに陥ることになるだろう。

ある時、遠藤が週刊誌を持って来て、読んでおくようにいった。


それがサンデー毎日だった。


どうやら、その日発売されたばかりだったようだ。


内容についてはほとんど覚えていないが、「オウム真理教はイエスの方舟とは違う。」とかなんとかいう記事だったと思う。



サマナたちは誰もイエスの方舟を知らない。(笑)


一通り記事を読んでは見たものの、何が言いたいのかがよく分からない。


オウムとは違うって、何を当たり前のことを言っているんだという感じだった。


しかも、イエスの方舟などという訳の分からないものと一緒にするなんて、と怒り出す始末。(笑)



記事にはしっかりオウムとイエスは違うと書かれているのだが、誰もそこは読んでいない。


で、遠藤が編集長の家の電話番号を書き残して、抗議の電話をする様に言って出て行った。


富士山総本部だけではなく、おそらく日本全国の支部道場からも抗議の電話が殺到し、大抵は話中になっていたようだ。



僕の隣でもサマナがせっせと電話口に向かって文句を言っていた頃、村井がやって来た。


その時の村井の第一声が、「誰か、手っ取り早く功徳を積みたい者はいるか。」だった。


いかにも村井らしいセリフだ。




サンデー毎日に対して抗議の姿勢を示すことが、現時点における最高のグルの意思の実践。


それで編集長の自宅の周りで抗議のビラを撒くということだった。


当時はまだ印刷工場はなくリソグラフでの印刷だったが、数百枚刷り上ったところでとりあえず第一便が出発し、残りは後発部隊に引き継ぐ形となった。


既に記事の内容に十分に腹を立てていたサマナたちが名乗りを上げ、村井の「車を待たせてあるから、直ぐに乗ってくれ。」の声に飛び出していった。



これがオウムが持つ機動力の恐ろしさと言えるのではないかと思うが、その中心にいるのは、やはり村井なのだ。

冬の間、お供物にみかんが出たことがあった。


なんかちょっと不思議な気もするのだが、サマナたちはほとんどが皮を残していた。(笑)


まあ、このほとんどっていうところがみそで、しっかり丸ごと供養しているサマナもいることはいた。


で、そのみかんの皮は毎日大量に出る事となる。



そこで、偉大なるマンジュシュリー大師はひらめいたのである。


このみかんの皮で陳皮を作ろうと。


陳皮とは、地丹の材料のうちのひとつである。


いつもは漢方薬店から買っているのだが、自家製の陳皮があれば余計な金を使わずに済む事は言うまでもない。



もちろん、寝る暇もないほど忙しいマンジュシュリー大師のことだから、自分でそんなことをやっている暇はない。


この重要なワークを任せられる、信頼できる人物はどこかにいないだろうかと、マンジュシュリー大師は探しましたとさ。(笑)


そこで白羽の矢が立ったのが、かのR師なのでありました。


いやあ、そんなに信頼して頂けるなんて、なんて嬉しいんだ。


ということで、僕は村井にサティアンの2階に案内されて、そこで新聞を広げてみかんの皮を乾かしてくれと言われた。


たしかその時、窓側で深山さんが支部の祭壇に飾るグヤサマジャの絵を描いていたと思う。


そこへ杉浦弟がやって来て何やら話をしていた。


で、この村井の提案通りの作業をするということになると、結構大変なことになる。


サマナ全員の残したみかんの皮を回収するところから始まり、白い筋をとって純粋にオレンジ色の皮の部分だけにして、それを早く乾燥させるために重ならないように広げて、上側から乾燥してくるので途中でひっくり返す。


完全に乾燥したら、今度はミキサーで粉末にして、それから袋詰めにする。



これをサマナ全員分やるとなると、どう考えても毎日2時間ぐらいの作業が必要になる。


まあ、はっきり言って、すでに毎日のワークが忙しいのだから、その上にこんな作業をするのは無理っぽい。


ところがこの時の村井は、とても良い事をしているように僕に説明してくれた。


要するに、功徳が積めて、寝る暇がなくなって一気に修行が進む。


ということなのだ。


はぁ~、やはり、偉大な魂は考えることが違うね。

ノーベル平和賞かあ。


テロリストに襲撃されても生き延びて、活動を続けたってことなんだねえ。


てことは、滝本弁護士にも何かあげてもいいんじゃなかろうか。(笑)



戻りまして。


早食いチャレンジを始めたものの、やはり村井は初めから苦しそうだった。


地丹というものは単に不味いというだけでなく、恐ろしく吐き気をもよおす代物である。


テレビのバラエティ番組で使ったとしたら、その半分さえ口の中に入れることすら出来ないだろう。


制限時間の半分ほどが経過した頃、村井はそれでも大皿の半分を食べ終えていた。


そのままいけば、なんとか麻原と同じぐらいの時間で終了できそうだったのだが、残念ながらそこでギブアップ。



そこで村井が言った言葉が、「これ以上やったら吐いてしまいます。大切なイニシエーションを吐くわけにはいきません。」だった。


さらに続けて村井が言ったことが凄かった。


村井は麻原に呼び出された時に、最近麻原に会っていなかったのでとても嬉しかったという。


麻原に会えるのが嬉しくて、エネルギーを強めておこうと思って地丹をやったというのだ。


しかも、2日分を一度に。(笑)



麻原は愛弟子の告白を黙って聞いていて、一言「いいよ。」とだけ言った。



つくづく村井は怪物だなと思う。


二日分の地丹をやって、その上で超大盛りのカレーライスを半分たいらげたというのだ。


こんな奴に誰も勝てるわけがないと思ったりするのだが、村井の心の中ではかつて上祐にマハームドラー成就に向けての地丹の修行で負けた時のことがあったのかもしれない。

アストラル丹とソーマの消費が大いにすすむ中、麻原からお達しが出ることになる。


石井が言うことには「神々がもっとよこせと言っている。」


と、麻原が言ったらしい。



というわけで、丹もソーマも、そして果物も増量されることになる。


その理由は、麻原の子供たちが貪り食っているからなのか、それとも美味しいものをサマナに食べさせてやろうという麻原の親心なのか、定かではない。



ここまでで終われば、あ~、よかった、よかった。


といういい話なのだが、そこはオウム真理教である。


そこには必ず笑いのネタが提供されているのですよ。



果物は最初は生活班のサマナが、他の買い物と一緒に買いに行っていた。


Vはそれとは別に市場にセリに行っていた。


ちゃんとふたつに分かれていたのだが、供物の量が増えることで市場で買ったほうがかなり安いという話になる。


それで、Vがセリのついでに果物も買って帰る様になった。


ここまではまだいい。


問題はこの後である。



最初はVは果物はサティアンへ、その他オウム食の食材と、ただで引き取ってきた生ゴミ、じゃなくてまるごとキャベツや腐ったブドウは道場へと運んでいた。


ところがである。


「神々がもっとよこせと言っている。」発言の後、石井に手を引かれてお供物の修法をしているときに、麻原がポツリとこう言ったのだ。


「供物が少ないな。」


さあ、大変である。


グルのご機嫌をそこねてしまった。



何度も書くが麻原は目が見えない。


目が見えない人に対しては、その周りにいる目が見える人間がきちんと状況を説明する責任がある。


しかし、残念な事に、石井にはその能力がないのである。



麻原に供物が少ないと叱られた石井はすっ飛んできて、Vを叱りつけた。


「何をやっているんですか、あなたは!」


「オウム食以外は、全部サティアンに運びなさい!」


もちろんの事であるのだが、愛人である石井には、下々の者達が苦労して安く食料を調達していることなど知る由も無い。


石井は金庫番だから金が出て行くことには敏感だが、買ったわけではなくただで引き取っているものには金の動きは無い。



そして、これまた当然の事なのだが、Vは驚いて聞き返す。


「え、全部ですか?」


これに石井は、「当たり前です。」と答える。



まったく困ったもんだよねえ。


どちらも主語が抜けたまま会話をしている。


正しく意思の疎通など出来るはずがない。



石井が全部と言っているのは、もちろん供物、つまり果物の事である。


Vが全部と言っているのは、もちろん生ゴミの事である。


アホがふたり揃うと恐ろしい事が起こってしまう。


なんて悲しいんだ。



しかもこのふたり、護摩供養には参加していない。


他人の苦しみには完全に無頓着なのだ。


これぞまさにオウム真理教という気がする。


オウムでは何をやっても、大抵はこんな感じである。



かくして、ただで引き取られた大量の生ゴミがサティアンの高貴なる祭壇へと運ばれ、偉大なグルが修法してエネルギーを込め、幹部たちは逃げ、サマナたちは無常の苦しみを味わう。


一気に修行が進んでしまう。


なんて素晴らしいんだ!