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ヒヒイロカネとプルシャにはもうひとつ大きな違いがある。


プルシャには向きがあるのだ。


ヒヒイロカネには向きが無いので、ヒヒイロカネ袋にどんな入れ方をしても構わない。



ところがプルシャはそうではない。


オウム字のレリーフ側が表になっており、そちらの方がエネルギーが強い。


そのエネルギーが強い方を自分に向けるのが正しいつけ方なのだ。



この事に関して麻原は、自分の周りの人たちにエネルギーをあげたい人は外に向けてもいいけれど、修行を進めるために自分に向けて欲しい、と笑いながら言っていた。



そう言えば、横山が入信してすぐに100万円のお布施をして、大型のプルシャを10個身に付けていた。


歩くたびに、ネコじゃないけどじゃらんじゃらんいわせていたのは、今となっては懐かしい思い出だ。



解脱特別修法と永代幸福祈願の次に登場するのが、超能力セミナーのプルシャである。


これはオウム字のデザインは同じなのだが、大幅に小型化されており周りの花弁も丸みを帯びている。


数あるプルシャの中で最も数が多い量産型である。


それはその値段とシステムの違いによるものである。


解脱特別修法と永代幸福祈願が10万円の布施だけで何もないのに対して、超能力セミナーは3万円の布施でプルシャにプラスして行法伝授が受けられるのだ。



まあ、正しくは行法指導にプラスしてプルシャがもらえるのだが。


ヒヒイロカネの位置はアナハタだけ、大型のプルシャの位置はアナハタとマニプーラ。


まあ、無難な位置と言えると思うが、超能力セミナーの小型のプルシャは、セミナーを受ける回数によって全てのチャクラに対応している。


したがって、その位置も7か所あるのである。



皆さんご存知の様に、ムーラダーラとは尾骶骨の事である。(笑)


これをどうやって安全ピンで留めろというのだろうか?


きちんと衣服の中に隠れているのは、スヴァディスターナ、マニプーラ、アナハタの3つだけ。


この3つはおそらく何も問題はない。



ムーラダーラとはまた別の問題があるのが上位の3つ。


ヴィシュッダ、アージュナー、サハスラーラである。


それぞれが、喉、眉間、頭頂に対応している。


これは喉に何か巻いたり、帽子を被って眉間と頭頂につけたりと、何かと大変だった。



麻原は、セミナーを受ける回数にこだわらずに、自分が引っかかっているチャクラにつければいいと言っていた。


まあ、かなりいい加減ではある。


ムーラダーラについては、スヴァジスターナに一緒につけておけばいいと言っていたので、もはや別次元である。(笑)

アクセス解析の検索ワードランキングを見てみますってぇと~。




「法友へ」はブログのタイトルだから、まあ、当然かなと。


続きまして、大幹部の皆さんの名前が並びまして、その次が、



「泰男」(笑)


林 泰男でもなく、小池 泰男でもなく、ただの泰男!




誰だーーーーーーー!?


泰男兄さんを呼び捨てにしている奴はーーーーーー!?

プルシャには様々な種類がある。


少なくとも10数種類はあったはずだが、正確な数は正直分からない。



最初に登場したのは大型のオウム字のもの。


この時は麻原も一緒になって粘土をこねていたが、悲しいかな素人の仕事であり、焼くとねじれが生じてしまっていた。


この最初のものだけが、周りの花弁の部分が笹の葉型にとがっている。


同時期に存在した、プルシャ型玉手箱と同じデザインである。



先がとがっているために、どうしてもそこが欠けやすい。


そのためこれ以降のプルシャは、小型も含めて花弁の部分が丸みを帯びたものが作られるようになる。



最初に登場したものは2種類あった。


本体は実は1種類しかないのだが、分類上はとりあえず2種類である。


ひとつは解脱特別修法、そしてもうひとつは永代幸福祈願である。



解脱特別修法は背面には何もなく、ヒヒイロカネ袋に入れて使う。


アナハタチャクラの位置である。


永代幸福祈願は背面に安全ピンが接着剤で止めてある。


マニプーラチャクラの位置である。



当時はまだ、マニプーラチャクラ用の紐の長いヒヒイロカネ袋は作られておらず、安全ピンで留めるという方法がとられていた。


いつもの様にオウムのやっていることは大抵いい加減である。


安全ピンで留めるという安易な考えがいくつかの問題を起こすことになる。



ひとつめは衣類に常に安全ピンで留めたままになっているために、その部分に穴が開いてしまうという事がある。


もうひとつが安全ピンとプルシャとの接合部分の接着剤が外れてしまうということである。


当たり前のことなのだが、金属とセラミックという材質の違うものを同じように強力に接着することは難しい。


したがって、外れてしまったプルシャは下に落ちるのである。


これがまた、実によく落ちる。(笑)


プルシャを落とすためにこんなやり方を考えたのかと思うほどである。



接着剤をより強力なものに変えるなどの工夫はしたものの大した効果は無く、段々と安全ピンは使わずにヒヒイロカネ袋に入れて使用するという方向へ変わっていくことになる。

プルシャは基本的にヒヒイロカネ袋に入れて使う。


ヒヒイロカネの使用が廃止されてプルシャだけになった後も、ネーミングはヒヒイロカネ袋のままである。(笑)



神仙の会のころはオレンジ色、真理教になってからは薄紫色にオウム字がプリントされたものになった。


ヒヒイロカネはアナハタチャクラの位置にくるように袋の紐の長さが決まっていたが、プルシャの登場でマニプーラチャクラその他の位置でも使用する場合が出てきたため、紐が長いタイプのヒヒイロカネ袋も作られるようになった。



ヒヒイロカネは一ヶ月に一度、修法し直したものと交換する。


それまで使用していたヒヒイロカネは甘露水につけておく。


甘露水とは、バケツの水に麻原が指を入れて、マントラを唱えながらかき回したものである。


これがアストラルテレポーターの登場によって、バケツの水に電流を流すというやり方に代わっていく。


プルシャには、この修法し直すという手順が必要ない。


したがって、交換の手間も修法し直すという手間もかからない。


とても便利である。(笑)



ヒヒイロカネもプルシャもどちらも麻原が修法したものであるのだが、このふたつはかなりエネルギーの質が違う。


ヒヒイロカネはまるで生き物である。


金属で出来た心臓のように、暖かいエネルギーが送り込まれてくる。



それに対してプルシャは鋭いエネルギーである。


ただ熱いだけでなく、胸の骨に五寸釘を打ち込まれてガンガン叩かれているような激しさがある。


ヒヒイロカネ袋を身体から離さないと痛すぎる。(笑)


そして最後は真ん中からバックリ割れて、観音開きのように左右に開くのだ。

プルシャとは真我の事である。



一般的には、真我とはアートマンの事を言う。


まあ、アートマンに対してはブラフマンという言葉があるし、ブラフマンに対してはヴィシュヌやシヴァという言葉もある。


一体どれが真我なんじゃい?


という話になる。



麻原は「天上天下真我独存」であると言っていた。


これこそがシャカムニの教えであり、シャカムニが修したのはヨーガであるという考え方である。


真我独存であるので、ただひとつの真我だけが存在し、それ以外の一切は三グナが作り出した幻影であるということになる。



で、ここで疑問が生ずる。


真我がひとつしかないのであれば、この私は一体誰なのだろう?


ということになる。


まあ、要するに、この誰をプルシャだと言っているということなのだ。

(実際にはこの表現は正しくない。笑)




実は真我には様々な特性がある。


その特性の違いによって、真我を様々な角度から捉えることが出来る。


単に意識とか気づきと言う人もいれば、ただそれとかただあるとか言う人もいる。


麻原は純粋光の存在とか、透明な水とかいう表現を使っている。



そして、その数ある真我の表現の中で、プルシャとは観照者という意味である。


観照者とは、ただ見ているだけの者である。


それ自体は何もしない。


真我はひとつしか存在しないが観照者は人の数だけ存在し、個人の視点から肉体を通してこの世界を見ているということである。


それがプルシャの本来の意味なのだ。



エゴからの視点では「私は存在しない。」であり、真我からの視点では「私は全てである。」となる。


私は存在しないと私は全てであるはどちらも正しく、前提を省略するとと矛盾してしまうので話が見えなくなる。


そして、このふたつをつなぐのが観照者、すなわちプルシャである。


観照者は真我そのものではないが、自分というエゴを見ている者なのだ。