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ブログの説明を入力します。

今年のセリーグの優勝チームの話ではありません。


大文字だし!



驚くべきことに、カーリーのブログがまだ炎上していない。(笑)


上祐正大師や野田正悟師が同じ事をやったら、世間から袋叩きにあってボコボコにされて、おまけに刺されて死んでるかもしれないほどの過激な内容であるにもかかわらずである。


なんということでしょう!



これってやっぱりDNAの為せる業なんでしょうかねえ。


アーチャリーもそうだったけど、カーリーにも父親譲りの人を引きつける魅力がある。


そういうことなんじゃなかろうか。



持って生まれた天性の影響力の大きさ。


麻原ならこれを「器が大きい」とか「偉大だ」と表現するのだろうと思う。

元TD師のブログで出てきたのでこれも書いておこう。



もはや記憶が定かではないのだが、あの場所は写真付きでマハーヤーナにも紹介されていたと思う。


まあ、オウム関係者であれば、誰でも知っているネタと言っていいと思う。


大規模なツアーも2回行われており、数百人もの信徒・サマナがあの場所を訪れている。



で、あそこがどんな感じなのかと言うと、一言で言ってしまえば「ただの道端」である。(笑)


舗装も何もされていない、インドの田舎道。


そういうことになる。




しかし、あの場所には、ひとつだけ普通と違うところがあった。


僕もあそこで地べたに直接蓮華座を組んで瞑想したのだが、特別なヴァイブレーションやエネルギーは感じなかった。


だが、あそこには確かにあったのだ、他の場所にはないものが。



それは何かと言えば、それは静寂である。


普通の場所には、この静寂はない。


この世界は、どんなに静かな音のない場所でも、常に騒がしい。


あの静寂はおそらく、この世のものではない。


そう思う。



あの感じを味わってみたければ、直接現地へ行ってみるしか方法がないだろう。


とは言っても、あの場所がどこなのか、僕にはさっぱり分からないのだが。(笑)

汲み取り業者が帰っていった後で、V師から汲み取ってくれますよねと聞かれた。


業者のおっちゃんたちは二度と来ないとのたまっていたので、そういう状況になっても大丈夫ですよね、という確認だ。


知らんがな!



何度も繰り返し書いているので、読者の皆さんも見飽きていると思うが、私のワークは汲み取りではない。


断じて、無い!




まあ、しかし、最近は地震や台風などの災害のたびに、ライフラインという言葉を聞く機会も増えてきたが、これを断たれると生きていくのは非常に困難となる。


電気・ガス・水道という入力のライフラインはもちろん重要だが、下水道や糞尿の汲み取りという出力のライフラインもまた重要である。


これが都会だと、下水のマンホールをそのままトイレとして使用するという方法があるが、オウム施設というものは大抵は田舎にあり、下水はおろか上水道もないような場所に建てられている。



このライフラインを断たれた状況の中にあるのがオウム施設の特徴というものであり、それらの中でも特に厳しい状況にあったのが波野村である。


あそこには、入力も出力も、ありとあらゆるライフラインがなかった。


汲み取り業者が来るはずも無く、そのため浄化槽を備えた水洗トイレを設置してはみたものの、流すための水が無く、汚物が山積みになり便器から溢れ出していた。



食事を作るための水や飲み水が優先であり、トイレの水に回す余裕はなかった。


もちろん風呂になど入れるはずも無い。


そして、水があるといっても綺麗な水などなく、緑色の藻が繁殖した濁った水しかなかった。


今から考えれば、まあ、みんな、よく生きていたものだなと思う。

カーリー女神が怒っている。(笑)



ドゥルガー、カーリー、パールヴァティーは全てシヴァ神の妃の名前なのだが、その中でもカーリーは特に気性が荒い。


何せ、怒らせると地球を破壊してしまうほどなのだから。



さて、これからどういう展開になるのだろう。




コメントにあったので答えておこう。


本来この質問は、コメントで簡単に答えられるようなものではない。


そもそも最終解脱とは何か?


修行とは何か?


少なくともこのふたつが明確になっていなければならない。


その上で、最終解脱の修行とは何かが理解出来ていなければ、何を答えても意味不明になってしまう。



で、オウムの修行体系についてはすでにこのブログで解説したとおりなのだが、誰も読んでいないだろうし、当然誰にも理解出来ていないだろう。


クンダリニーヨーガにおける実践課題と、最終解脱における実践課題は全く違う。


ダンテスダイジが遺したババジ系のクンダリニーヨーガと、オウムのクンダリニーヨーガも全く違う。


ババジのクンダリニーヨーガだけで最終解脱は可能だが、オウムのクンダリニーヨーガだけでは最終解脱は不可能なのだ。



したがって、オウムにはオウムならではの最終解脱の実践課題がある。


そしてそれは、オウムのクンダリニーヨーガの成就を前提としている。


当たり前の話である。



が、しかし、この当たり前の事を知らない人が多すぎる。


大人になってから毎日九九の勉強を続けることに、意味があると考える人は少ないだろう。


クンダリニーヨーガもこれと同じである。


オウムの修行体系における最終解脱については、最初にエネルギーを強める必要がある。


なぜなら、エネルギーが弱ければ最終解脱できないからである。



だからといって、エネルギーだけで最終解脱出来るわけでもない。


クンダリニーヨーガの後は、形のない修行へと入っていく。


生起から究境への移行ということだ。

当然の事だけれど、オウム側としてはメーター分しか料金を払うつもりはない。


業者は業者で自分達が主張する分を支払えと言う。


お互いに一歩も譲らないまま言い合いになってしまった。



オウム側の言い分というのは、料金表に記載されている正規の料金を支払うというものである。


それに対して、業者側の言い分というのは、それは正規の料金ではないということなのだった。


意味がさっぱり分からない。



その業者たちの言葉を借りるなら「俺らが決めたらそれでいいんだよ。」


ということになるようだった。


なんだかよく分からんが、汲み取り業者には公安調査庁なみの権限が与えられているらしい。


その決定は、根拠なく事実とみなされる。


なんて素晴らしいんだ!



汲み取り業者はお上の命を受けて汲み取りを行っている。


汲み取り業者の命令はお上の命令。


下々の者達はお上に逆らうことは許されない。


どうやらそういうことであるらしい。



それが社会常識というものであり、普通の人間なら「教えていただいて有難うございました。」ということになるのだろう。


ところがオウム相手には、そんな社会常識は通用しないのであ~る。(笑)


断固としてメーター分しか払わないと主張し続けるのだった。



もう最後はお互いに怒鳴りあいになってしまって、結局正規の料金だけを支払って終わりにしたのだが、汲み取り業者の帰り際の捨て台詞がとても素敵だった。


「もう、二度と汲み取ってやらねえからな!」



気持ちは分かる。


社会常識の通じない相手に、怒り心頭に発しているのだろう。



どうやら、彼らはもう二度とやって来る気はないらしい。


さて、これからどうすればいいのやら。(笑)