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さかはらあつしは挨拶を済ませた後、僕の後ろの席に陣取った。


連れと話をしていたが、予想通りの笑える内容だった。(笑)



「さかはらって音があさはらに似てるよね。」


と、連れに言われて、


「そうなんだよ。俺、さかはらそんしって言われてんだよ。」


と答えていた。


この後、さかはらあつしは右側の最前列へ移動した。



余談だが、さかはらの次回作は、「ヒロシとふたり ぶらり旅」みたいな映画らしい。


撮影は既に終了し、現在編集中とのこと。




僕の前の席ではさっきの大学生が、パソコンからpdfファイルの画像を次々に映し出している。


オウム事件に関するものなので、どこかで見たようなものばかりだが、全く同じものを見た事が無いように思えたので、その学生に聞いてみた。


「このデータはネットでも見られるんですか?」



学生が答えるよりも早く、隣にいたトゥー先生が答えた。


「いや、これはまだ公開されていないです。」


なんて気さくな先生なんだ!(笑)



それから色々と話をして、トゥー先生が僕に、「どういう関係の方ですか?」


と聞いてくるものだから、


「元オウムです。ボツリヌスの培養をしてました。」


と答えると、


「ああ、そうでしたか。」


と、答えが返ってきた。



凄いぞ、トゥー先生!


さすがは死刑囚と何度も面会をしているだけの事はある。


元オウムを目の前にしても微動だにせず。(笑)

さて、本題に入る前に、今回の講演で個人的に最も驚いたことについて書いておこうと思う。


この記事は、色々と大人の事情があるかもしれず、明日には削除かアメンバー限定になっていると思う。




皆さんご存知の様に、同じ事件で死刑が確定している場合、死刑囚たちは同じ日に刑が執行される。


オウム事件で死刑が確定している13人は、全員が東京拘置所にいる。


1日で執行するには、13人は数が多すぎる。



死刑執行の手続きは複雑多岐にわたっており、その中身はまさにブラックボックスであり公開されることは無い。


国民は、刑が執行された後に、その事実を知るだけである。


当然、死刑囚も自分の身が、今、誰の掌の上で転がされているのかを、知る事は出来ない。



ところが、死刑囚本人が、そのことを知る機会があるのである。


死刑執行自体は、当日にならなければ分からない。


しかし、その日が近い事は、ある事実によって知ることが出来る。



もう、ここまで書けば勘のいい人にはお分かりだろう。


日本全国にある、死刑を執行出来る拘置所は、全部で7ヶ所。


東京拘置所だけでは数が多すぎるのだから、その内の何人かを他の拘置所へ移送する必要がある。



皮肉なことにと言うべきか、東京拘置所で刑が執行される死刑囚は、自分の刑の執行が近いことを知る事が出来ない。


それを知る事が出来るのは、移送の通知を受けた死刑囚だけである。


そして、来たのだ。


その通知は、中川のところへ。



2012年の事だそうだ。




ここから、様々なことを考えることが出来るし、疑問も浮かんでくる。


マニアにとってはとても興味深いネタだと思う。



2012年ということは、平田が出頭した後である。


平田が出頭した後に死刑の手続きが進んでいたということは、平田の出頭は麻原の死刑を延期する手助けにはなっていないことになる。


それよりも何よりも、2011年の末ぐらいにはオウムの死刑囚全員の、死刑を執行する手続きが進んでいたということを意味する。


しかもそれが、なぜか2012年以降になって、執行が回避されているのだ。


これは一体、どういうことなのだろうか?


当時は民主党政権だが、誰が何をしたというのだろうか?



そして、遅れてきた3人の裁判に証人として登場した井上の事である。


まるで司法取引でもしたかのように、それまでの証言を翻している。


もしかしたらだが、井上のところにも移送通知が来たのだろうか?



井上は、13人全員の同時の死刑執行など出来ないと考えていた。


しかし、日本国政府はやるつもりでいた。


そのことを知って、恐怖に駆られて命乞いをし始めた。


そういうことは考えられないだろうか?



分からない事だらけだが、事実は2012年に中川に移送通知が来た。


ということである。

10分前になったので食堂を出て、会場へと向かう。


案内板があったので見てみると、最新技術が使われていた。(笑)



今までならホワイトボードにマーカーで手書きをするか、プリンターで打ち出したものを貼るかだったものが、驚くべし液晶ディスプレイになっている。


よくもまあ、こんな縦長の物をつくったな、と思って感心してしまった。



なのだが、


講演会のタイトルが「台湾と日本の学術交流、医療分野を中心として」


になっている。(笑)



なんだこれは!?


一応、杜 祖健になっているから、まあ、これで間違いはあるまい。


と、思いつつ、会場のある2階へと階段を登っていく。



入り口受付で記帳。


名札をつけて会場の中へと入る。


案内では定員に達したら締め切りということだったが、思っていた以上に参加者が少ない。



見渡したところ、ほとんどが大学関係者の様に思える。


年配の男性達と、少数の女性。


後はお手伝いの大学生が2名。


一般の参加者はどうやら僕ひとりだけのようだ。(笑)



正面にはプロジェクターが設置され、パソコンからの画像が映し出されている。


3名がけのテーブルが3列になっている。


僕はプロジェクターのすぐ後ろに陣取ることにした。


先ほど食堂にいた学生が、プロジェクターを操作している。


もうひとりの学生はマイクの準備に忙しそうだ。



そのまましばらく待っていると、後ろの方でかなり大きな話し声がした。


僕は前を向いたまま、声だけを聞いていたのだが、声を聞いただけで、あれ?


さかはら あつしか?


と思った。



後ろを振り向くと、どこかで見たような体格の男が、トゥー先生に「地下鉄サリン事件の被害者です。」


と挨拶をしていた。


その側には、お付きの者(らしき男)の姿が。



これで参加者は全員のようだ。


さあ、何はともあれ、役者は揃ったぜ。

再び駅前の地図とにらめっこをして、明日はどっちだと考えてみる。


予想通りだが、目的地とする京大は地図上にはない。


まあ、方角が分かればそれで問題は無い。


途中、左手に京大付属病院があって、その先ってことだ。



てくてく、てくてく。


歩いてい歩いて、かなり歩いてもまだ着かない。(笑)


バスやおけいはんを使うルートなら、停留所や駅から徒歩2分なんだよなあ。


まあ、しゃあない。



京大付属病院を過ぎ、さらに歩いて、ようやくそれらしき建物が右手に見えてきた。


ありました、楽友会館。




到着は1時20分頃だったので、とりあえず食堂で腹ごしらえをする事にした。


講演会は2時からだ。


食堂に入ると、真ん中あたりのテーブルに向かい合わせに座っている、ふたりの老紳士がいた。


こちら側に背中を向けている老紳士を見たときに、「あ、アンソニー トゥーだ。」と思った。



これは、後でその通りだと判明する。


左手奥には大学生らしき若者が一人。


もうひとりの老紳士から「○○君、今日は頼むな。」


とか言われているので、皆さん今日の講演会の関係者なのだろう。



僕がランチを食べている間に3人とも先に出て行ったのだが、トゥー先生は講演会の後の懇親会の飲み物について店の責任者らしき人物と話をしていた。


「ビールは栓を抜かずにお出ししますので、残された分はお下げします。」


とのこと。


なんて良心的なんだ!


さすがは京大で商売やっているだけの事はある。

ふたつ目の信号の前に地図があったので見てみると、青蓮寺はもう目の前だ。


50メートルもないかもしれない。



青蓮寺が近づくにつれて、近代的な建物からまるでタイムスリップでもしたかのように、古風な建物になっていく。


アルジェンチーノはそんな町並みを眺めながら、やたらと絶賛の言葉を口にしているようだ。



ふたつ目の路地を入ったところで、誰の目にも明らかに由緒正しいと思われる門構えが現れた。


「お~~~~!」


と言って感動するアルジェンチーノに、僕は「ヒア。」と言って立ち去ろうとすると、


アルジェンチーノは「さ・よ・お・な・ら」と、たどたどしい発音で感謝を現してくれた。



さらば、友よ!


僕は「ば~い。」と言って、今来た道を引き返していく。


駅までの道すがら、あちこちに道に迷っているらしい外人の姿が見受けられた。



京都市も大学生のボランティアか何かに、こういった外人の話し相手になってもらったらどうだろうか。


東京ではすでにそういったことが行われているらしいのだが、そうなれば京都にもさらに大勢の観光客がやって来る事になるだろう。


とはいっても、僕みたいに青蓮寺がどんなお寺なのか知らないのでは心もとないのだが。(笑)




てくてくと歩いて、東山に到着。


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