法友(とも)へ -715ページ目

法友(とも)へ

ブログの説明を入力します。

思えば理不尽な話である。


「何をやってんだー!」


と言われても、やらかしたのは僕ではなく事故を起こしたサマナである。


おまけに、その処理にもたついているのはマルパである。


まあ、正直なところ、知らんがなって話ではある。



ヴァジラヤーナにおいて、グルが「変化身のマルパ」と言えば、それは例えそれが何であったとしても「変化身のマルパ」である。


「いわしの頭」であっても、「イヌのうんこ」であっても、「変化身のマルパ」である。


今回の件は、そこへさらにヒナヤーナの教義を当てはめても、「マルパの変化身」では意味が通じないことが分かる。



で、こういった事を電話の最中に長々と考えている余裕はない。


麻原への返答は、常に瞬間的になされなければならない。


しかも、ミスは許されない。



なので、「変化身のマルパ」には触れずに、


「肉体のマルパだと思いますが。」


と答えた。



すると、麻原は、「そうか。しっかりやれよ!」


と言って、電話が切れた。



それだけですか?


それで終わりですか?


何だったんだ、一体?



まあ、とにかく、無事に切り抜けることが出来た。(笑)


「変化身のマルパとは何ですか?」


とか聞いていたら、麻原の逆鱗に触れていた気がする。


なぜなら、グルが「変化身のマルパ」と言ったなら、それは「変化身のマルパ」以外の何物でもないからだ。



この後、サマナの間で、妙な噂が広まっていった事は間違いないようである。



変化身のマルパ・・・、


マルパの変化身・・・、


変化身のマルパ・・・、



「マルパの変化身」と「変化身のマルパ」は別の物である。


この事は他の言葉に置き換えてみれば簡単に分かる。



例えば、「村上春樹の本」と「本の村上春樹」


または、「天然の水」と「水の天然」


そんな事言うてるあんたが天然や~、という話ではあるのだが。(笑)



世の中というものは、論理的に考えることが苦手な人が実に多い。


トゥー先生の「中川はネットをやっています。」


という言葉を、無思考のまま否定してしまう。


論理的に考えれば、中川が誰とも面会できないという事実があるにもかかわらず、誰かと面会してその情報を得たのだろうと決めつけてしまう。


これをマインドコントロールと言うのだが、マインドコントロールされてしまっている人はその事に気づかない。



論理的に考えれば、「変化身のマルパ」の部分を「マルパの変化身」と言う言葉に変えると、意味が通じなくなる事が分かる。


なぜなら、変化身はこの現象界で活動する身体ではないからである。


変化身を使って、現象界に肉体を現すことはある。


しかし、普通の人間がその存在を知覚することなど出来るはずもない「マルパの変化身」そのものが、交通事故の交渉など出来るはずがないのだ。



従って、「マルパの変化身」ではなく、「変化身のマルパ」が正しい日本語、ということになる。(笑)


まあ、これはオウムの教義の中でも、基本的な事に過ぎないのだが。

何の事を言っているのかさっぱり分からないので、


「どういう事でしょうか?」


と、聞いてみると、


「サマナの事故はどうなってるんだー!」


と言われたので、それはマルパがやっていることを告げると、それに応えて麻原が言ったのが、



「それは、変化身のマルパか?」


「それとも、肉体のマルパか?」


という事だった。



へ、へへへ、へんげしんのまるぱぁ~・・・・、


なんやねん、それ?



来たーーーー!


グルが与える、マハームドラー、来たーーーーー!



まあ、禅ではこれを公案と呼ぶ。


要するに、答えのない問いである。


マルパの変化身ならともかく、変化身のマルパ?



う~む、


ここで応手を間違えると、一気に攻めつぶされる可能性が高い。(笑)


そして、後々ネチネチと嫌味を言われ続けなければならなくなる。


さ~て、どう切り返すべきか?

「変化身のマルパ」とは、「変化身のマルパ」の事である。


決して、「マルパの変化身」などではない。



人間というのは面白いもので、聞いた言葉や見た言葉をそのまま受け取ることが出来ない。


必ず自分の中で、何か違う別の物へと変換してしまう。


この変換は常に起こっており、誰か他人とコミュニケーションが取れているというのはただの錯覚であり、実際にはお互いに勘違いを繰り返している。


まあ、この勘違いを防ぐことは不可能なので、勘違いがあることが前提で人生を生きていれば、何があってもそんなにショックを受けることはあるまい。




サマナが人身事故を起こした事も、マルパがその処理にあたっていることも、すっかり忘れて毎日のワークにいそしんでいたある日の事、麻原から電話がかかってきた。


で、いきなり、


「何をやってんだー!」


「お前のところはー!」


と、どなられてしまった。



何の事やら、さっぱり分からないが、麻原の電話は大体いつもこんな感じである。(笑)


オウム事件の裁判で、麻原が何も語らないという人がいるけれど、僕の見る限り麻原は十分に語っている。


語っていないと感じるのは、その意味が理解出来ないだけである。


麻原は存分に、意味不明な事を語っているのだ。(笑)


全てを語りつくしたと言ってもいいぐらいである。

普通なら、前年度の源泉徴収票から、1日あたりの収入を計算する。


そんなものはないので、代わりの書類を作成する。



事故前の過去3か月間にわたって、何月何日に、どこの現場で、何時から何時まで働き、日当がいくらであったのか、を書き込んでいく。


それを元にして、今度は事故後の仕事を休んでいる間に得られるはずだった収入が、いくらであったのかを計算する。



まあ、これで、やるだけの事はやりました。


結果がどうなるかは、シヴァ大神のみぞ知る。(笑)



で、書類を提出。


しばらくして、調査事務所から電話がかかってきた。


こちらの要求がすべて認められたわけではない。


調査事務所の決定が事実として扱われる。


調査事務所の決定は事実ではないが、そこは公安調査庁と同じ。


決定すれば、事実として扱われる。


まあ、世の中には、事実として扱われていることを、事実だと誤解している人が大勢いるようだが。(笑)



調査員の話だと、算定基準というものがあり、そこから逸脱は出来ない。


しかし、慰謝料は満額の8万円としておきました。


という事だった。



さらにそれからしばらくして、Iさんの口座に30万円ほどが振り込まれた。


まあ、とりあえずはなんとかなった。



ここで面白いのは、Iさんは事故に会っても会わなくても、収入にほとんど差がないということだ。


しかし、事故に会ったおかげで、200時間の修行を達成し、2名を入信させるという結果を残した。


事故に会っていなければ、そんな事は出来なかったはずなのだ。


実に面白い!



これを世間では、災い転じて福となす、とか、人間万事塞翁が馬、とか言うのだろう。


しかし、オウムでは、こういう時にいう事はひとつだ。


「ヴァジラヤーナは結果が全てだ!」