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西村尊師の真似をしてみようと思ったが、そもそも今年10大ニュースなんてあったのだろうか。(笑)



とりあえず第10位から。


オブツ真理教公安調査庁にすら認識されず。


まあ、最初からダメだろうなとは思っていたが、そもそもひとつにまとまっていないじゃあ~りませんか。


西村尊師、野田正悟師、滝本弁護師の3人のグルがいるうえに、最大派閥が滝本弁護師一派なのだから。


てか、オブツ真理教ってオウムじゃないし。(笑)



第9位


カーリーブログを始める。


まあ、生きてりゃいいさ。



第8位


元TD師ブログを始める。


まあ、それなりに興味深い。



他の連中も同じミスを犯しているような気もするが、修行の目的は脳を活性化させることではない。


修行の目的は心の作用を止滅させる事。


つまり、脳の働きを止めることにある。


勘違いしたまま逆の方向に努力を続けても、いつまでたっても正しい結果は得られない。



これは麻原が、ステージの低い弟子たちに合わせて分かりやすく法則を説いた事に原因がある。


いわゆる対機説法と呼ばれるものだが、それをそのまま記憶修習しても無智が増大するだけなのだ。



第7位


西村尊師とオフ会


アレフにせよ、ひかりの輪にせよ、アーチャリーにせよ、オウマーとオフ会をやればいいと思う。


オウマーは一般人ほど攻撃的ではない。


ちゃんと話が通じる相手なのだ。


特にひかりの輪、綺麗事ばかり言っていないで、少しは中身のあるところを見せてもらいたい。



第6位


トゥー先生の講演会に行く


これは勉強になった。


あらゆる面で、凄まじく勉強になった。


やはり学ぶべきは専門家だ。



で、サリンの製造法について検証してみたが、どうやら高校の化学の知識があれば誰にでも作れそうだという事が分かった。


これはまた後で記事にしてみたい。



第5位


・・・・・・・、


ない、


もうない、


な~んもない、


なんて素晴らしい一年だったんだ!

「すべてがFになる」での最後のやり取り。


これもまた凄い。



他人の干渉によって死ぬという事について、


「僕には理解出来ません。」


「しかし、それは僕がそうプログラムされているだけで、あなたがおっしゃる事は正しいかもしれない。」



素晴らしい考え方だ。


自分とは違うものを受け入れるには、高い知能か智慧か、どちらかが必要になる。



「私には正しい。」


「あなたには正しくない。」


「いずれにせよ、正しいなんて概念は、その程度の事です。」



これも素晴らしい。


さすがは天才のセリフだ。



「あなたは正しくない。」ではなく、


「あなたには正しくない。」


「は」ではなく「には」なのだ。


なぜなら、正しいという概念は、ただの観念に過ぎないからだ。


間違っているのはその人ではなく、その人の観念なのだ。


そして修行によって、観念は崩壊できる。

前回の続き。



誰も死を恐れてなどいないと言われて、


「おっしゃる通りです。」


と答える。



「なぜ自殺しなかったのですか?」


と質問すると、その答えが、


「自由へのイニシエーションです。」



「多分、他の方に殺されたいのね。」


「自分の人生を、他人に干渉してもらいたい。」


「それが、愛されたいという言葉の意味ではありませんか?」



う~む、深い。


何度も書くけど、日本のアニメって凄い!



「自分の意思で生まれてくる生命はありません。」


「他人の干渉によって死ぬという事は、自分の意思ではなく生まれた者の、本能的な欲求ではないでしょうか。」



なるほどね。


そういうことか。



ニュースでたまに、「死刑になりたくて人を殺した。」


というのを見ることがある。


僕はずっと、死にたいのなら自殺するほうが合理的なのにな、と思っていたが、その答えは違っていたという事なのだろう。


人を殺すのは死にたいからではなく、殺されたいからだったのか。



それなら納得できる。


僕にはない感覚だが、論理的に矛盾はない。


繰り返し書きますが、日本のアニメって凄い!

相変わらず日本のアニメは凄いなと思う。



もっとも去年実写版でドラマ化されているが、アニメのほうがより原作に近いのだろうと思う。


その作中でのセリフ。



「死を恐れている人はいません。」


「死に至る生を恐れているのよ。」


「苦しまないで死ねるのなら、誰も死を恐れないでしょう。」



全くその通りだ。


死んだらどうなるかなど誰にもわからないのだから、死を恐れる人間などいない。


これは、最近子供の間で増えてきている高所平気症と同じ事だ。



普通、人間は高いところを怖がる。


なぜなら、その高い場所から落ちたら、どれほどの肉体的苦痛を味わうかを知っているからだ。


ところが、生まれつきマンションの高層階で育っている子供には、その恐怖がない。


そのため、ベランダの柵を乗り越えて、下に落ちてしまう。


そして、大変な大けがをしたり、場合によっては死んだりもする。


しかし、たとえ死んだとしても、死の恐怖が全くないのだ。



死を恐れる人間などいない。


死ぬのが怖いと勘違いしている理由は、生まれた後にマインドコントロールされたからであり、かならずどこかにその原因がある。


まあ、その原因を突き止めようとする欲求を持つのは、修行者しかいないのだが。(笑)

そう言えば、昔こんな事があったのを思い出した。



まあ、普通に考えれば、変化身のマルパというのは、本の村上春樹とか水の天然というような、文法的に間違った言葉ということになる。


英語で言うなら、call me taxi、みたいなものだろうか。



ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらおうとして、コール ミー タクシーと言う。


すると怪訝な顔をされる。


あれ?


発音が悪かったかなと思って、語気を強めてコール ミー タクシーと言う。



別に、大きな声で言ったところで、発音の悪さが修正されるわけでもないのだが。(笑)


さらに変な顔をされるので、もっと大きな声でコール ミー タクシー コール ミー タクシー と繰り返すと、あきらめたような顔で「分かった、お前はタクシーだ。」と言われるのだ。


要するに、コール ミー タクシーとは、俺をタクシーと呼んでくれと言う意味なのだから。




昔、麻原がやたらと大学で説法をしていた時期があった。


チャクラとかクンダリニーとか、初めて聞く言葉が多用される麻原の説法に、えらく感動した大学生がこう言っていた。


「俺をチャクラと呼んでくれ!」(笑)



よし、分かった!


君は今日からチャクラだ!