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麻原がダンテスダイジの死に関与していたとしても、麻原の傍にいた者達は麻原ならやりかねないなというぐらいにしか思わないだろう。



さて、坂本弁護士事件である。


この事件の争点はただひとつ。


玄関の鍵が開いていた。


その一点である。



鍵が開いていたというのは単なる事実である。


この事実は覆らない。



この、鍵が開いていた理由について、世間の人たちは大好きな偶然というものを持ち出すだろう。(笑)


警察も鍵が開いていたことを大して気にも留めていない。


なぜなら、これはオウムが起こした事件である事が明白であり、既に解決した事件だからである。



それともうひとつ。


毎日ちゃんと鍵をかける人、世の中の大多数の人はそうだと思うが、そういう人たちからは信じられないような事実がある。


例え夜中であっても、鍵をかけずに寝てしまう人が、実は大勢いるのである。



その場合、当然犯罪者たちに狙われやすくなり、たやすく家の中に侵入されてしまう。


中には、2度3度と泥棒に入られる家まである。(笑)


まさしく観念の崩壊であり、自分の常識が他人には当てはまらないことを教えてくれる。



鍵をかけないことで泥棒に入られるならまだましだが、殺人事件もいくつか起きている。


警察にとって坂本弁護士事件は、数ある鍵をかけないことで起こった事件のひとつに過ぎないのだろう。


FBIのプロファイリングでも、殺人事件の犯人がその家を狙った理由のトップが、鍵が開いていたからだったはずだ。

この世界には、様々な分野のプロがいる。


それは当然、裏の仕事についても同様だと思う。


もちろん、その仕事には、攻める側と守る側の両方があるということなのだが。



僕はオウムに関してはプロである。


その能力は、これはもう素人とは比較にならない。


オウム関連でたくさんの本が出ているが、宗教学者だの心理学者だのが書いている本は、ただの素人が書いたいい加減なものに過ぎない。


ただ、村上春樹だけが、自分が素人であることを正しく認識出来ている。


やはり、村上春樹は天才なのだろうと思う。


ぜひ修行をしてもらいたいと思うのだが、そんな事はないだろうな。(笑)



オウム関連の本のほとんどがいい加減なものであるというのは、オウムにおいてある程度の地位にいた者なら共通する認識であると思う。


いうなれば、オウムに関するプロたちという事になる。


で、そのプロたちは、全くと言っていいほど世間に認識されていない。


ブログでもやっていなければ、その存在を知る人は誰もいないだろう。



一般人など比較にならない圧倒的な能力を持ちながら、その存在を知られることがない。


それは、裏の仕事でも同様なのだろうと思う。


ましてや、オウムと違って、その存在を知られてしまったら仕事にならないのだから。

麻原には動機がある。


というよりも、麻原の他に動機のある人間がいない。



では、麻原がやったのだろうか?


その答えはノーだ。


オウム事件を見れば分かるように、麻原が直接手を下したことは一度もない。



薬事法違反は麻原がやった事である。


これについて麻原はわざとやったと言っている。


ヴァジラヤーナにおいてカルマ落としはごく当たり前の事である。


自分でやる分には勝手にやってもらって構わないのだが、何も知らない弟子たちを巻き込むのは勘弁してもらいたいものだ。(笑)


麻原のこの発言は、オウムが初めからヴァジラヤーナであったことの裏付けにもなっている。



さて、ここで麻原なら、


「さあ、そろそろ答えが見えて来たねえ。」


と言って、にやっと笑うところだろう。



まとめてみよう。


ダンテスダイジはサマディ死ではない。


解脱者であるダンテスダイジは自殺などしない。


身近にいた弟子たちにも自殺に見えるほどである。


麻原には動機がある。


麻原は直接手を下したりしない。



ここから導かれる結論はただひとつ。


麻原がプロに仕事を依頼した。


ということになる。



科学の世界であれば、この仮説で間違いがないと考えられる事だろうと思う。


ただ、残念な事に、何の証拠もないので、証明することは不可能だ。(笑)

サマディ死でないとすると、ネットで噂になっているようにガス自殺なのだろうか?


これはもう、笑っちゃうしかない。


解脱者がそんな事あるわけないのだから。



解脱者は自殺などしない。


てか、そもそも修行者は自殺しない。


これはオウムに限った事ではないが、自殺する教義などこの世界のどこにあるのか教えてもらいたいものだ。


テロリストが自爆するのは、彼らが修行者ではないからに他ならない。



しかし、ダンテスダイジの死がガス自殺に見えたのなら、それはダイジ本人ではない他の誰かが、ダイジに自殺をさせたという事になる。


論理的に考えるという事は本当に素晴らしい。


有り得ないことから排除していくと、だんだんと答えに近づいていく。



では、その他の誰かとは、一体誰なのだろうか?


その誰かは、身近にいた弟子たちに気づかれることもなく、ダイジに自殺をさせている。


そこには、目立つような不自然さは何もなかったということになる。



その誰かは、通りすがりの旅人なのだろうか?


まさか、そんなことは有り得ないだろう。


通りすがりの旅人には、そんな技術はないし、何よりもダイジに自殺をさせる動機がない。



では、麻原はどうだろうか?


麻原には動機がある。


オウムの活動を妨害する、目の上のたんこぶが邪魔であったことは間違いがない。

ダンテスダイジは麻原の活動に否定的だった。


もし、ダンテスダイジが生きていれば、オウムにとって目の上のたんこぶとなっていただろう。


もしかしたら、オウムの数々の事件は未然に防げていたかもしれない。



しかし、である。


オウムが神仙の会となって、その活動が活発になって来た87年に、なぜか都合よくダンテスダイジが死んでしまうのだ。


まあ、これは、世間の皆さんが大好きな、偶然というやつなのだろう。(笑)



ダンテスダイジの弟子たちは、自分たちの師匠の死について沈黙したままである。


当時は今のように、ブログだのツイッターだのはない時代ではあったが、書籍にするなり冊子にするなり何らかの手段はあったはずである。


それが何もない。


これは一体どういうことなのだろうか?



普通に考えれば、そこには理由がある。


何かあったという事なのだろうと思う。


では、それは何なのか。



サマディ死の場合、釈迦牟尼にしてもマハルシにしても、そうしようとするのは最初だけである。


解脱した最初の頃にそうしようとして、誰かに止められる。


いわゆる、懇願されることによって、現世に留まる。


そして、一旦そうしたら、その後は寿命が尽きるまでこの現世に留まるのだ。



ところが、ダンテスダイジの場合は、このパターンには当てはまらない。


つまり、ダンテスダイジは、サマディ死ではない、という事になる。