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一番最初のシヴァ神であっても、後からの真理勝者であっても、どちらも全く同じ同一の存在である。


それは完成されており、変化しないものである。


相対的な世界においては、弟子が師匠を超えるという事が起こりうるが、絶対の世界においてはそれはない。


さらに、絶対の世界においては個人のオリジナルの何かというものも存在しない。


それゆえにシヴァ神は、偉大なる・完全なる・絶対なる、と称えられる。



が、しかし、シヴァ神は幻影に巻き込まれることがなく、欲六界に落ちることはないので、人間たちはその教えを受ける事が出来ない。


過去において、ティローパはシヴァ神が人間界に降りて来たものとされているが、それ以外にはそのような機会はない。


さあ、どうする?


で、ある。



この答えは簡単で、実はシヴァ神はたくさんの身体を持っている。


金剛身、本性身、報身、法身、変化身。


それらのひとつではない身体のうち、欲六界で活動する身体が変化身である。


欲六界で活動する身体があるからこそ、人間はシヴァ神とコンタクトを取ることが出来る。


そして、このシヴァ神の変化身の事をグヤサマジャと呼ぶのである。



グヤサマジャは修行者としての完成形であると同時に、弟子たち修行者の目指すべき理想形でもある。


それゆえ、修行者はグヤサマジャに変化する。


と観想する。



これは、日本の密教における金剛薩埵と似ているかもしれない。


修行者としての基本形であるが、オウムではヴァジラサットヴァは重要視されていない。


魔を破壊するという意味では、やはりマハーカーラーの方が上位である。



そして、ツァンダリーにおいて、修行者はグヤサマジャに変化してダキニと交わるのだ。

幻影の中は相対的な世界である。


相対的な世界においては、努力に終わりはなく、修行に終わりはない。


これで十分だと思った瞬間に進歩が止まるというのは事実である。



ところが、絶対的な世界においては、修行に終わりがある。


まあ、終わりのある世界の事を絶対的な世界と呼んでいるという事も出来るので、それは全く正しいのだが。(笑)



そして、その修行を終えた魂のことをシヴァ神と呼ぶのだが、その定義で行くと、当然のことながらその数は時間の経過とともに増えていくことになる。(笑)


で、便宜上、最初のシヴァ神と後からシヴァ神になった魂とを区別するために、後からの方を真理勝者(如来)と呼ぶ。


この真理勝者となった状態を完全解脱と言う。



完全、絶対の存在であるために、最初からであっても後からであっても、どちらも完全・絶対である。


従って、シヴァ神と真理勝者の区別はなく、それらは全て等しく、一つであっても複数であっても等しいということになる。


ゼロはいくつ足してもゼロであり、無限大はいくつ集まっても無限大のまま変化しない。



そして、これまでに誕生した真理勝者の数は24人とされる。


これまでとは無始の過去からという意味であり、10の何十乗億年という話である。



まあ、それにしても、こう言った事が全て教義で定義づけられているのだから、オウムの教義を理解出来る一般人が誰もいないのは当然の事なのだろう。

幻影の中にいる限り、答えは見つからない。


幻影の外にいる存在に、その答えを教えてもらうしかない。


そこから導かれるのが、グルなしには解脱出来ない、という考え方である。



この考え方をさらに推し進めると、常識的には恐ろしいとしか思えない考え方に行き着く。


幻影の中に答えがなく、幻影の中でいくら考えても答えが見つからないということは、グルの指導法が正しいか間違っているかを弟子が判断することは不可能だということになる。


なぜなら、弟子はまだ解脱しておらず、幻影の中に居続けているからだ。


論理的には、全く正しい。(笑)



従って、グルに言われたことは、自分の考えを差し挟まずに、言われたとおりに実行しなければならないということになる。


これは、そのグルが本物であっても偽物であっても、同じように実践されなければならない。


なぜなら、弟子にはそのグルが本物か偽物かの区別がつかないからだ。



グルが本物であっても、偽物であっても、常に全力で実践しなければならない。


なぜなら、グルが本物であったとしても、幻影の中にいる弟子にはそのグルが本物であるかどうかが分からない。


本物であった場合に、中途半端に実践しても解脱はしない。



本物のグルに、いつ巡り合えるのかは分からない。


しかし、全力で実践しなければ結果は得られない。


ならば、すべてのグルに対して、全力で帰依する以外に方法がない。


修行者にとって、これ以外の答えは存在しない。



全てはカルマだから、どのようなグルに巡り合うかの責任は、全て自分にある。


自分の身に降りかかる不幸は、自分以外の誰のせいでもない。


修行者ならば、どのような苦難があろうとも、解脱を目指して突き進むのみだ。

この世界は幻影である。


その幻影から抜け出すことを解脱と言う。


しかし、幻影にとらわれている限り、幻影から抜け出すことは出来ない。


幻影の中には、幻影から抜け出す方法がない。



そこでグルが登場する。(笑)


グルは幻影から抜け出す方法を知っているのだ。


なぜなら、グルは幻影から抜け出した存在だからである。


ではなぜ、グルは幻影から抜け出すことが出来たのだろうか?



それはもちろん、そのグルのグルから、幻影を抜け出す方法を教えてもらったからである。(笑)


では、グルのグルは、一体誰から教わったのだろうか?


それは当然、グルのグルのそのまたグル、ということになる。



こうやって遡っていくと、最終的に一番最初のグルに辿り着く。


グルを持たずに解脱した、無師独覚のグルである。


そして、それをシヴァ神と呼ぶ。


その魂は、一人かもしれないし、複数かもしれない。


それは定かではない。



ではなぜ、シヴァ神は解脱する方法を知っているのだろうか?


というよりも、そもそもシヴァ神はどうやって解脱したのだろうか?


実は、その答えは単純である。



幻影の中には解脱する方法がなく、幻影の中では解脱する方法を知る事が出来ない。


幻影に巻き込まれることなく、常に幻影の外にいた魂だけが、解脱する方法を知る事が出来る。


つまり、シヴァ神は、最初からずっとマハー・ニルヴァーナに居続けている。


過去に一度も幻影に巻き込まれたことがない。


一度も欲六界に落ちたことがない。


最初から解脱したままの魂。


そういうことになる。

なんだかんだでponanzaの優勝。


どうなってるんだ一体!



それにしても、棒銀って史上最強の戦法なのかも。(笑)