法友(とも)へ -696ページ目

法友(とも)へ

ブログの説明を入力します。

続いて、次の段階の解説。



ダキニ天女を普通の身体で観想するだけでもあっさりと光に没入することが出来るが、より精妙なエネルギーを得る方法がある。


それが三面六臂のダキニ天女を抱く方法である。



三面六臂のダキニ天女は、グヤサマジャと同じく三管が完全に浄化され、金剛界五仏を具足している。


そして、両腕をグヤサマジャの首に回し、抱き付いている。


完全な神々の身体であるために、より精妙で微細なエネルギーを得ることが出来る。


通常の観想だと、エネルギーは強いが暴れ馬のような感じであるが、三面六臂であれば強いエネルギーでありながら静かで穏やかな感じで、より安定したサマディに入りやすい。


通常のダキニ天女では白い光に没入するが、三面六臂のダキニ天女では白銀の光に没入する。


ここまで来れば勘のいい人は気が付いていると思うが、これを反対にしたものが女性バージョンとして存在する。


すなわち、自身は三面六臂のダキニ天女に変化し、グヤサマジャに抱かれるということである。


三面六臂対三面六臂で対等、ということになる。



このバージョンだと男尊女卑という事はなく、女性修行者からの苦情もない。(笑)


女性たちも速やかに性欲が湧き、同じく速やかに光に没入する。


さらに、このバージョンには、普通の身体のダキニ天女に変化し、グヤサマジャに抱かれるというものも存在する。


性欲絶倫となり、大変危険な行法である。(笑)




そして、いよいよ、次はツァンダリーの最終形態へと突入する。


が、その前に、知らない人もいるかもしれないので、読み方の解説を少々。


三面六臂(さんめんろっぴ、sanmenroppi)


抱く(いだく、idaku)


変化(へんげ、henge)


である。

光に没入した後、というか実際には光に没入する前からなのだが、究境の瞑想においては自分からは何もしない。


いわゆる無努力である。



ここでダキニを観想する、つまり努力をすると究境に失敗して元に戻ってしまう。


修行のプロセス、生起から究境への移行を理論的に理解しておく必要がある。


理解しておかないと、生起から抜け出すのがとても難しい。



エネルギーがさらに強まると、次の段階へと進む。


ビジョンが見えたり、変化身が抜け出したり、様々な体験をする。


ここでも体験にとらわれると、その先に進めなくなる。



体験は起こるに任せ、何もしない。


究境の瞑想は無努力である。


プルシャのごとく、ただ見るだけである。



そうしていると、無努力のままサマディに導かれる。


サマディは自力では達成が不可能なのだ。


なぜなら、自分が自分がというエゴの働きが、サマディに入ることを妨げるからである。



最後の段階のサマディについて、瞑想だと勘違いしている者もいるかもしれないが、サマディは瞑想ではない。


瞑想は努力、サマディは無努力。


生起は努力、究境は無努力。



無努力とは絶対他力、すなわち帰依の事であり、ヴァジラヤーナの本質である。

女性信徒からの質問で、


「目の前に可愛い女の子を観想しても、性欲が湧いてこないんですけど。」(笑)


とか言われたこともあったが、そうだろうなと思う。



まあ、グルが性欲を出せと言っているのだから、性欲が湧かないのであればイニシエーションを受ける資格はない。


麻原は常々、「女には最終解脱は無理だ。」と言っていたのではあるが、ステージを上げるためにはチュウやグルヨーガといった他の瞑想法を使う必要があるのだろうと思う。



で、仕方がないので、男限定で話を進めることにする。(笑)


観想を始めると、短時間で強烈にエネルギーが強まり、ダルドリーが起きる。


そのエネルギーを、肉体ではなく内側に向けると、ダルドリーが止まり、たやすく光に没入する。



まあ、秘儀伝授を受ける前に、三悪趣のカルマが切れているというのが前提条件ではあるのだが。



光に没入するところまでは誰でも行けると思うが、この先が少し難しい。


クンダリニーヨーガの成就の条件は、まだあと2段階ある。



最初の段階ではダキニを観想しているのだが、光に没入するともはやダキニはいない。


ただ純粋な性エネルギーだけがある。


そのエネルギーの力で、光に没入し、悦に入る。


生起から究境への受け渡しのプロセスである。

ダキニ天女は16、7歳の少女である。


この年頃について、麻原は最も美しいと評している。



顔はうりざね顔で髪を結っている。


耳が見える状態のお団子ヘアである。



後は各自、自分の好みのタイプを観想する。(笑)


巨乳好きなら巨乳にすればいいし、貧乳が好きなら貧乳にすればよい。


目鼻立ちも体形もすべて自由である。


年上好きの皆さんには残念だが、我慢して若い女子を観想してもらわなければならない。



服装は最低でも上半身は裸。(笑)


全裸でも構わない。


性欲を発生させることを目的としているので、当然と言っていい。



で、ここである事に気づくと思う。


まさにオウムの男尊女卑をよく表していると思うのだが、変化するのはグヤサマジャである。


修行者が男であっても、女であってもグヤサマジャに変化する。



グヤサマジャは男である。


つまり、女の修行者はとりあえず、男に変化するところからスタートしなければならないのだ。(笑)



僕は男なので詳しい事は分からないが、多分、無理だと思う。

グヤサマジャとダキニとの交わり。


すなわち、神と神との交わりにより、神々のエネルギーを得る。


これがツァンダリーである。



グヤサマジャは三面六臂である。


三面とは、イダー・ピンガラ・スシュムナーの三管が全て完全に浄化され、エネルギーが上がりきっていることを表す。


すなわち、完全なる怒り・完全なる無智・完全なる執着の達成である。



六臂とは、金剛界五仏を具足することを表す。


六本の腕に、アクショブヤのヴァジラ、ラトナサンバヴァの曲刀、アミターバのヴァジラベル、アモガシッディの経典を持つ。


修行者にとって必要な、功徳・意志の力・智慧・修行の成就、の達成である。


そして、中央の手に抱くのが、ヴァイローチャナの象徴であるダキニ天女なのだ。



ツァンダリーにおいて、修行者はまずグヤサマジャに変化する。


そして、ダキニ天女と交わる。


と観想する。(笑)



これはまあ、要するに、立たせて入れる。(笑)


と観想する。


ということである。



性欲を修行に使うというタントラならではの修行法であるが、成功すれば一気に修行が進むが、失敗すれば大変な事になるという、もろ刃の剣のような行法である。