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ネットをうろうろとしていると、色々と目に留まる事がある。



オウムで言うところの神秘体験とは、全て脳内現象である。


これは絶対的に正しい。



そして、ここで普通は止まる。


いわゆる、思考停止状態に陥るのだ。


それ以上の事は考えることは出来ない。



しかし、修行者はそこからさらに考え続ける。


神秘体験は、経験した事がない人には理解しがたいかもしれないが、ある意味現実以上にリアルなのだ。


あれだけのリアルな体験が脳内現象であるのなら、今、この現実だと思っている世界は、脳内現象ではないのだろうか?



その答えはイエスである。


現実が脳内現象であるという事は、絶対的に正しい。


神秘体験は脳内現象、現実もまた脳内現象。


これが仏教でいうところの、色即是空である。


つまり、神秘体験が意味を持つのは、色即是空を悟るためにあるということになる。



全ては、感覚で知覚し、脳で認識出来なければ、何も存在しない。


理科系ではない人はにわかには信じがたいかもしれないが、この世が存在している事は、誰にも証明出来ない。


証明出来るのは、その人が知覚し・認識しているという事だけである。



自分以外に他の人も認識していると考えるかもしれないが、それは「他人が認識しているということ」を自分が認識しているに過ぎない。


どこまで行っても、証明できるのは自分が認識しているという事だけなのだ。


これを麻原は、感覚が無ければこの世界は存在しない、と説いた。




僕にとってはどうと言う事はないのだが、一般の人にとってはオウムの教義はとてもじゃないが理解できるものではないのだろうと思う。


麻原はいったいどうして、こんなにも複雑な教義体系を作り上げたのだろうか?




修行の目的は、心の作用を止滅させる事にある。


心を止めるとは、すなわち脳を超えるということである。


これは当たり前の話だ。


脳は肉体の一部である、いつまでも肉体にとらわれたままで、解脱もへったくれもないではないか。

オウムでは様々なイニシエーションが行われていたが、絵によるイニシエーションは無かった。


その理由は定かではないが、必要ないか金にならないか、そのどちらかと判断されたという事かもしれない。


何よりも、そんな絵を描ける人材がオウムにはいなかった。


そういう事なのだろう。



こういった絵を描くには、二つの能力が必要となる。


一つはもちろん、普通に絵を描く能力である。


この能力を持つ人間は、オウムにはいなかったかもしれないが、世の中には相当な数が存在する。



もう一つは修行ステージ。


これは残念ながら、世の中にはいない。


もしいたのなら、その人にお任せして僕自身は絵を描こうとはしなかっただろう。



僕の場合、修行ステージは申し分ない。(笑)


ただ、絵を描く能力がないのである。


これは困った。



どの様な分野であったとしても、ある程度の出来の作品を仕上げるためには、それなりの努力を必要とする。


まあ、これは、頑張って努力をしてみるより仕方あるまい。


問題は画風をどうするかである。


油絵が一番いいと思うのだが、そんなものは高校の授業以来何十年も書いていない。


最近ではパソコンでも絵を描けるので、そっちもありかなと思う。



さ~て、どうするか?


なのだが、とりあえずオーム字でも書こうかと思う。


これも調べてみると、3種類に分類出来るようだ。



日本独自のオーム字がひとつ。


インド由来のものが2種類。


オウムが採用していたのは、その2種類のうちの少数派の方。



このインドの少数派を、オウムが採用した理由は分かる気がする。


日本独自のものだと、念力密教のイメージが強いし、インドの多数派の方だと日本語とのなじみが薄い。


おそらくだが、書道の達人である岐部は、書かれた字を見て日本語としてみた場合の筆順が頭に浮かんだのだろうと思う。


まあ、書いたところを見たわけじゃないので断言は出来ないが、岐部はおそらく一番上にある点から書き始めていると思う。


上の部分を書いてから、下の部分を右から左へ書いているように見える。


日本語の漢字なら、そういう書き順になる。


ところが、実際のサンスクリット語の筆順では、左の下から書き始め、一番上の点は一番最後になる。



まあ、こういった事を考慮しながら、どんなオーム字にするのか、考えてみたいと思う。

思い出されるのは総理になった時にかかってきた電話。


他に用件もなく、この事だけで電話がかかって来た。(笑)



麻原の弟子の中で、誰と誰がこの話を振られたんだろうなあ?


オウムでは、外部の情報を遮断して云々と言われているが、それはあくまでも末端のサマナだけ。


マインドコントロールされる側の話であって、マインドコントロールする側は外部の情報を取り入れて、自分なりにまとめておく必要がある。


麻原から話を振られた時に上手い切り返しをすると、さすがだなとご機嫌になる。(笑)



それにしても、


「細川さん、総理になったなあ。」


と、嬉しそうに言った麻原は、いったい何の話で盛り上がりたかったのだろうか?



で、その殿は、早々と政界を引退なさった後に、芸術の道に入られたようである。


前に春画がブームだという話を聞いたことがあったが、どうやら殿が火付け役だったようだ。



陶芸についても、美味しいと評判のピザ屋のピザ釜をヒントにしたというオリジナルの窯で焼いている。


火炎放射器のように凄まじい勢いで立ち上る炎の中で一個ずつ焼く。


真っ赤になるまで熱して、一気に水の中へ入れて冷やす。


あんな焼き方があったとは、まさしく観念の崩壊だ。



薬師寺から依頼されたという障壁画もまた面白い。


モチーフは、三蔵法師がインドから経典を持ち帰る道すがらの様子なのだが、テンペラ画の技法を用いている。


自由すぎるなあ。(笑)



ワシも負けずに、絵を描いてみたいものだ。

いやあ、結構面白い。


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160819-00099300-diamond-soci


http://diamond.jp/articles/-/99361


こういうくっだらない話が結構好きだったりする。



それにしても、日本の歴史上、自衛隊は怪獣にも宇宙人にも勝てていない気がするのだが。(笑)


陸、海、空ともに、ゴジラに勝てる戦闘力を持っているとという主張だが、何を根拠にしているんだろうなあ?



ゴジラを甘く見ているとしか思えないんだけど、これはカバを甘く見ているというのと似たようなものなのだろうか。(笑)



それにしても、やっぱり防衛出動は、国会で承認を得られない場合は、ただひたすらゴジラの行動をウォッチするだけ。


なんて悲しいんだ!