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これもついでに書いておこう。



修行の達成に必要なのは、自力なのか?他力なのか?


その答えは、両方である。


では、自力が何パーセントで、他力が何パーセントなのか?


この答えは阿左田哲也が上手いこと説明している。



阿左田哲也と言えば、麻雀放浪記である。


仕事帰りに立ち寄った本屋で、何気なく手にした本の書き出しがあまりにも見事だった。


ムツゴロウさんはこれを天才と絶賛している。



面白いものだから、20ページほど立ち読みしてからはっと気づいて、手に持った本をそのままレジに持っていって買って帰った。


家に帰ってからも読み続け、全部読み終えたころには夜が明けていた。(笑)



直木賞作家である色川武大が、もっぱら金を稼ぐために書いていたのが麻雀小説なのだが、その中に麻雀において実力は何パーセントなのかという問いが出てくる。


阿左田哲也は実力が100パーセントであると答えた。


そして、こう続けた。


運もまた100パーセントであると。



合計200パーセントの戦い。


運と実力、どちらが欠けても勝利することは出来ない。


修行においても同じ、自力と他力はどちらも100パーセント。


どちらもが全力でなければ目的を達成することは出来ない。



ここで難しいのは、おそらく100パーセントの他力という部分だと思う。


本当の意味での秘儀と呼べるのはこの部分だ。


行法のやり方が秘儀なのではない。


生起から究境への移行。


どうやってそれを達成するのか?


その部分が秘儀なのだ。

カルマの法則と輪廻転生は、ふたつでワンセットである。


例えば、人を殺したのならば、法則に従い殺されなければならない。


ところが実際には、死刑になる事もなく生き延びている者たちがいる。


これは明らかな矛盾である。



そこで輪廻転生の考え方が登場する。


今生殺されなくても、来世殺されるよ。


または、来世地獄に落ちるよ。


という考え方である。



これなら辻褄が合う。


なんて素晴らしいんだ!



ところが、である。


オウムの教義の根幹をなすものは、真我独存であり、一切は幻影であるという考え方なのだ。



ということはつまり、あれれ?


困ったぞ。


一切は幻影であるという事は、カルマの法則も、輪廻転生も、幻影だという事になってしまう。(笑)



さあ、どうする?


麻原彰晃の五時教判はどのように解釈すべきなのだろうか?(笑)

この件については何度もこのブログで取り上げている。



普通の人間なら、この事について深く考えることはない。


ダメなものはダメ。


それで終わりである。



しかし、修行者はそうではない。


考えて、考えて、考え抜いて、脳みそに汗をかくほどに考えて、死ぬほど考えて、答えが見つかるまで、どこまででも考え続ける。


これがジュニアーナヨーガの修行であり、また不可能を可能にするマハームドラーの修行でもある。



で、その答えではあるが、それはリチャードバックに任せよう。(笑)


かもめのジョナサンでお馴染だが、他にもいくつかの作品がある。



このブログで前にも取り上げたことがあるが、おすすめはイリュージョンである。


イリュージョン (集英社文庫 ハ 3-1)/集英社
¥494
Amazon.co.jp

この本はリチャードバックが凄いというよりも、村上 龍の翻訳が凄い。


まあ、嫌いな人も多いようだが、かもめのジョナサンの完成版を見る限り、村上 龍の翻訳は適切であったように思える。




オウムの教義については、このブログで散々書いてきたから分かっている人にはわかっていると思う。


なので、今さらという話になるが、一応ざっくりと説明してみたいと思う。



まず、方便と教義が混在しているので、方便を取り除く。


これが出来なければ、教義もへったくれもない。



教義はどうなっているのかというと、全ては脳内現象であるという色即是空。


脳内現象であるのだから、全ては幻影であるという一切階空。


そして、なぜそうなのかという真我独存。


これがオウムの根幹をなす教義である。


簡単でしょ。(笑)



天上天下唯我独尊。


この唯我独尊を、麻原は真我独存と説いた。


これらはすべて麻原が説法で語っている内容だ。



この極めて簡単な事、しかし、それを達成するのは人間の力では難しい。


なぜならエゴが邪魔をするからである。


だから、エゴが介入することのない、クンダリニーというエネルギーの力を借りる。



クンダリニーを覚醒させるための努力、すなわち自力が生起の修行。


自力、すなわちエゴを放棄して、クンダリニーに身を任せるのが他力、究境の修行。



とてもシンプルで分かりやすい。

このブログを始めて、早いものでもう4年目に突入する。


始めた時は1年もあれば書き終わるかなと思っていたのだが、まだまだ終わりそうにない。


ほんと、誰か代わりに書いてくれないかなと思うのだが、なかなかそうもいかない。(笑)



去年の9月はトゥー先生の講演会に参加したが、今年もあるんだろうか?


あるとしたなら、講演会が終わるまではこのブログで記事にすることはない。


去年はあまりにも不思議な偶然が重なったが、今年はブログに書かない事で、ネットから中川に情報が伝わらなかったらどうなるのかを確認してみたい。(笑)



まあ、あんな偶然が2年連続で起こるとは考えにくいのだが。


それよりも、トゥー先生が言った「中川はネットをやっています。」


という言葉の意味を、直接本人に聞いた方が早いな。(笑)



ま、講演会がなければ、もとより何もなしということなのだが。



それと、高橋克也の判決が出る日も近い。


まあ、結局、最高裁まで争うんだろうとは思う。


刑が確定したら面会に行こうと思っているのだが、その日はいったいいつになるのやら。



あ、そう言えば、ポーシャって、どこの刑務所にいるんだっけ?